第05話 食堂から出たら

『リオ! あの箱を使うときは、相手の人によく説明して、納得してもらった上で使うようにって言ったわよね? ちょっと話が違うんじゃないかしら?』


 リリーはちょっと優しく、だけど厳しめにリオを問い詰めた。下を向いた私を見て、リリーは私に同情したのだろう。席順の都合上、リオの顔は見えなかったが、リリーとのやり取りからリオが焦っているのがわかった。リリーとリオがしばらく言い合っていると、ずっと口を閉ざしていたリサさんが声を上げた。


「済んだことを話していても仕方がないわよ。どうにもできないことより、これからどうするかを考えなきゃ」


 リリーは「それもそうね」と言って、落ち着きを取り戻した。しかし、浮かない様子は変わらない。リリーは話を続ける。


『でも……私たちもこの魔法に関しては手探り状態なの。正直、今の私には解決策が見つからないのだけど……私の双子の兄のロイなら、何か考えてくれるかもしれないわ』


 リリーは私にそう言うと、リツさんを見上げた。


「ロイが帰ってくるのは明日の午前中の予定だ。……ということで、話は明日、ロイが帰ってからすることにしよう」


 そう言ってリツさんがリリーの本を閉じようとしたとき、リリーが慌ててそれをとめた。


『待って待って! 私、もっとリノとお話がしたいの。リエとリサもどうかしら?』


 リリーの提案を聞いて、リエさんは前のめりで同意した。「構わないわよ」と言ったリサさんは無表情だったが、私は少し嬉しくなった。リツさんはみんなに「じゃあ、また明日」と告げると、食堂を去っていった。それに続くようにリオも立ち上がり、私と目が合うと軽く手を上げて、足早にこの部屋を出た。



「じゃあ、いったん閉じますね」


 話はリサさんの部屋ですることになり、私はリリーのイラストが載っている分厚い大きな本を閉じた。その本は縦幅が20センチメートルよりも大きいくらい、横幅は30センチメートルくらいある。厚さも5センチメートル以上ありそうで、かなり重い。リツさんは片腕で持っていたなぁ、と思いながら、私は両腕に抱えて持った。落としでもしたら大変だ。

 部屋までの移動中、それぞれが人生を取られたときの服装の話になった。リエさんのときはギャルのような格好で、リサさんは憧れていた高校の制服だったそうだ。どうも、本人が憧れていた服装になるらしかった。それで、私の格好が一番大人っぽいということになった。


「私なら、そのワンピースには白か赤のハイヒールがいいわね。あ、ここよ」


 リエさんはそう言うと、リサさんの部屋に率先して入っていく。私はリサさんの顔を見た。


「どうぞ」


 リサさんに穏やかにうながされ、私はそろそろと部屋に入った。10畳くらいの部屋は、洋館にしては狭く感じる。カーテンが開いている窓からは、廊下が見えた。部屋にある家具はかなり乙女チックだ。白い机に白い椅子。部屋の端にある白いタンスは、ところどころに金色の装飾がほどこしてある。白い机の対角には白とベビーピンクのベッド。その横からドアまでの間にはハンガーラックが置いてあり、洋服がいくつかかけてあるようだった。ベッドの横にはテレビがあり、その前の床には毛足の長いピンクのラグマットが敷いてある。そこに私はリリーの本を置き、靴を脱いで座った。するとリエさんが、リリーのイラストが描いてあるページを開いた。


『やっほぉ! 恋しかったわぁ』


 リリーの明るさに、自然と笑みがこぼれる。


『リノ、あなたに私たちのこと、ちゃんと教えておこうと思ってね。もし元に戻ることができて私の話すことが意味をなくしたとしても、今のリノの不安をやわらげられると思うの』


 私は曖昧あいまいにうなずいた。リリーは話を続けた。


『私はね、今から30年以上前に死んでしまったんだけど、どういう訳かこの本に魂が移ってしまったみたいなの。ロイは自分のせいだって思っているけれど、何が真実かははっきりしないのよ』


 私は正座をして、静かにリリーの話を聞いていた。


『私が入っているこの本は、リツが作家志望の私にプレゼントしてくれたものなの。何でも好きに書き込める無地の本だったのよ。入院していた病院まで持ってきてくれてね。でも、登場人物の名前を記しただけで、何も思い浮かばずに何も書けないまま死んでしまったの。その登場人物の名前が「LITSU(リツ)、LIO(リオ)、LISA(リサ)、LIE(リエ)、LINO(リノ)」の5人なのね。この本の魔法……というか花の魔法で人生を取り込まれた人は、代わりにこの5つの名前のどれかを受け取るみたいなの。だから、この本に取り込める人生の数は5つだけだろうってことになっているわ。その考えで言うと、あなたは最後の1人だったのよ。なんでこんな仕組みになっているのかはよくわからないのだけど、物語を書けなかった私が、誰かの人生でこの本を埋めることで気を晴らしているのね、きっと』


 そうか、この本には私の人生が書いてあるのだ。そう思うと、急に落ち着かなくなった。誰かに読まれたらと思うと、恐ろしくもなった。聞くのは怖かったが、気づくと私はリリーに質問していた。


「その人生の物語、誰かが読んだりするんですか?」

「リツね。あいつは読んでるわよ。リリーの本をいっつも持ち歩いてるんだから。ったく、無礼千万ぶれいせんばんよね」


 リエさんがそう言うと、リリーはすかさずリツさんをかばった。


『なぁに言ってるのよ。リツはそんなことしないわよ。むしろ、私のこの絵のページ以外はなるべく開かないように、いつも神経を使っているみたいよ』

「あら、私もリツは他の人の人生を読んでいるものとばかり思ってたわ。ちょっと、いや、かなり見直したわね」


 そう言って、リサさんも会話に参加してきた。私はふと、リリーは5人の人生の物語を読んでいるはずだと思った。でも、それは言わないでおくことにした。

 リリーはさらに付け加える。


『ちなみにね、私として動いているこのイラストは、私が描いたものなの。小説のアイデアが浮かばなくて、なんとなく描いた落書きだったのよね』



 3人から話を聞いていた中、私はふと時刻が気になり、壁の上の方にかけてある時計を見た。もう少しで22時になるところ。


『ごはん、いつ食べた?』


時計を見ていた私に気がついたのか、リリーが私に問いかけた。そういえば、お腹は全く空いていない。


「朝食べたっきりです。でも、全然お腹は空いてなくて……」

「そりゃそうよ。私たち、魔法で新陳代謝してるから、食べないで生きていけるんだって。って、断定しちゃいけないか。これはロイの推論ね」


 リエさんの説明に呆然としていると、リサさんが言った。


「もちろん、食べることもできるのよ。でも、何か食べたら皮膚がいっとききらきらしなくなるわね」



 それから、1日の過ごし方をそれぞれ話してくれた。リサさんは掃除や洗濯をしたあと、ゲームしたりネットサーフィンしたり。ロイさんが休みの日は、ロイさんと過ごすことも多いそうだ。リサさんのお兄さんがロイさんやリリーと同い年で、特にロイさんとは小学校からの親しい友人だったので、リサさんもロイさんと親しいということだった。二人兄妹だったリサさんとお兄さんだが、リサさんが人生を取られたことでお兄さんは一人っ子になったそうだ。そして、今はお孫さんがいるらしい。

 リリーの1日の過ごし方はというと、リリーは本の状態な訳だが、ほとんどリツさんのかたわらにいるという。本を閉じているときは本の周りの世界は見えないが、外の音は聞こえるし、本の中から外へ呼びかけることもできるそうだ。リリーがいる空間は、明るくて柔らかくてあたたかく、花の魔法に関わった普通の人の記憶が映像と文字で見えると言う。例えば、私やリオがアカネイルカの駅で話した駅員の記憶も見えたそうだ。そして、老けない私たちの記憶が残っているといけないということで、私たちに関わった人たちが睡眠をとっている間に記憶の文字の部分を書き換えてしまうということだった。リエさんやリオはよく出かけるので、記憶の書き換えが結構大変らしい。最初の睡眠で書き換えが間に合わなかったら、次の睡眠時に書き換えるのだそうだ。あまりにも書き換えなければならない記憶がたまると、リエさんやリオに外出を控えるようにお願いするということだった。

 その他にも、私は朝が来るまでいろんな話を聞いた。使用人の人たちはリリーたちの事情を知っており、秘密厳守の代わりに記憶を消さないということ。リリーとロイさんはフランス系アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんから生まれたということ。リリーとロイさんとリツさんは幼馴染みで、リツさんはリリーたちより1つ年上だったこと。

 雑談もたくさんした。今何が流行っているとか、昔は何が流行っていたとか、何が好きだとか。リツさんが映画や小説だけでなく、漫画やアニメも鑑賞していることとか。人間としてのさまざまな契約は、普通の人間のロイさん名義でやっていることとか。

 驚いたことは、ロイさんは普通の人間だが、花の魔法に関わったためか、人生が取られた人のことを覚えているということだ。それから、リオが私を覚えていたことも、リオが花の魔法に関わった人間だからなのだと聞いて、納得した。



 いろんな話をして、私は久しぶりに楽しい時間を過ごしていた。ふと母のことを思い出したとき、何かのベルのような音が部屋の中に鳴り響いた。

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