第04話 館にて

 玄関に私とリオを降ろすと、孝汰郎こうたろうさんは車を走らせてやかたの敷地の外へ向かった。

「行こうか」

 リオが重そうな扉を開けると、床には赤い絨毯じゅうたんが敷かれていて、正面の大きな階段に続いていた。階段の上には通路が左右に広がっており、折り返すようにさらに階段が上へと繋がっている。正面の階段の手前には横に伸びる通路があり、両側にもそれぞれ階段がある。私は館の豪華な内装に気圧けおされて顔をあまり動かせずにいたが、目だけはきょろきょろといろいろなところを確認していた。

 すると、正面の階段の右奥に、背の高いグレーヘアの男性がいた。孝汰郎さんと同じく黒いスーツ姿で、とても姿勢がいい。その男性はリオを見つけると、慌てた様子でこちらにやってきた。

「リオさん! 何か大変なことが起こっているとかで、私――」

 リオに話しながら、男性はふと私に視線を向けた。男性の表情はみるみるうちに悲しげになり、そして更には泣き出してしまった。リオは男性の肩に手をのせ、申し訳なさそうに言った。

「時山さん、心配かけてごめん。これからリノをリツとリリーのところに連れていくよ」

「ううう……ずずずぅ。リオさん、ぐす……リツさんから、すん、お話は、ずず、皆さんで一緒に食堂でと、聞いております……ぐす」

 リオは少し困惑した様子で男性に「わかった」と返事をした。男性は時山という名前のようだ。時山さんは私とリオにまず洗面所に行くように言った。帰宅時の手洗いを重視しているようだった。

 それから食堂へ向かうためにまた玄関の方へ行くと、階段から降りてくる1人の男性がいた。とびきり背が高くて、すらっと細い。とても静かな雰囲気をまとっている。そして、肌の色がとても白い。後ろでくくっている黒髪は、下ろしたら肩につくぐらいだろうか。右腕には、大きな本を抱えている。

「リツ……」

 男性に向かってリオが口を開いた。この人がリツさん。さっきリオが名前を挙げていた、重要人物と思われる人のうちの1人。と……なんだなんだ。これは……威圧感? いや、怖い……くらいに美しい! その人が段々と近づいて来るにつれ、その詳細が明らかになってくる。目は大きくて切長で。鼻はすっと高くてきゅっと締まっている。唇は少し赤く、程よいボリュームで形も整っている。さらに近づいてくると肌の感じもよくわかり、その白い肌は陶器のようにきめ細かい。白のスタンドカラーシャツをベージュのズボンにタックインしている姿は、落ち着いた大人の男性といった様子だ。そして、元の肌色が白いからわかりにくいが、この人も皮膚が少し光っているようである。

 リツさんに見とれてしまった私は、我を忘れていた。リツさんが一瞬私に目をやったときに、驚いて思わず「わっ」と言ってしまった。そんな私を気にする様子もなく、リツさんはリオに声をかけた。

「話は食堂でしよう」

 そう言うと、リツさんは先に食堂と思われる場所へ入っていった。

「リツは女が嫌いなんだ」

「えっ」

 リオの言葉に最初は驚いたが、あれだけの美形なら色々あったのだろうという気もした。


 食堂と思われる部屋へ入ると、真っ白なテーブルクロスのかかった10人がけの長いテーブルがあった。赤くて分厚いカーテンが閉めてある側の席の真ん中に、リツさんが座っていた。そして、リツさんの他にも2人座っている。1人はリツさんの左隣に座っている、髪の長い女性。ぱっちりとした目に赤い口紅。目鼻立ちのはっきりしたかなりの美人だ。深い赤色の大人っぽい服を着ているが、顔は若い。頬杖をついていたが、私たちを見つけると、手から顔を離して背筋が伸びた。少し口角が上がったかと思うと、その女性の視線はリツさんが開いている本へ移った。

 もう1人はリツさん達とは反対側の一番奥の席に座っていた。背もたれにもたれかかり、両手は太ももの上で重ねているようだ。淡いピンク色のふわふわとしたニットを着ているが、かなりやせた人のように見える。その愛らしい服装とは対照的に、髪型は前髪が分かれたショートカットで、かなり男性的だった。その人のぼんやりとしていた瞳がちらりとこちらをとらえた。かと思うと、その人は興味なさげに目をそらした。女性のようだが化粧気がなく、素顔のようだ。

 それから、時山さんも食堂に入って来たが、入り口付近に立ち止まって、まだ鼻をすすっていた。

「あなた……は、こちらへ」

 リツさんが私の方を見て、自分の右側の席に私の着席をうながした。隣なんて……。リツさんの隣に座るなんて、緊張してしまう。でもぐずぐずしていてはダメだ。などと考えていると、時山さんが私を案内し、椅子を引いてくれた。時山さんに軽く会釈をして席に着くと、リツさんの前に広げられている本に目がいった。50年くらい前の少女漫画のようなタッチの女性のイラストが描いてあった。西洋のお姫様のような、ドレスを着た女性である。見続けていると、そのイラストの女性がこちらを向いて私にウインクしたように見えた。

「えっ」

 驚いて思わず声が出た私に、リツさんがこちらを向いて尋ねた。

「どうしました?」

「あっ、あの……」

 そう言って私はさっきの本を見た。その視線の先を横目で確かめると、リツさんは静かに口を開いた。

「どこまでご存知なのかわかりませんが……この本の中にはリリーという女性がいて、この絵を介して彼女と話ができるんです。まあ、この絵が彼女自身だと思っていただいても差し支えないでしょう」

 そう言うとリツさんは、私に軽くうなずいた。それにつられて私も軽く会釈をしていると、本の中から突然声がした。

『リツ、本立ててぇ!』

 リツさんはやれやれといった様子でその大きくて分厚い本を立て、そのイラスト、つまりリリーさんを私の方に向けた。

『やっほぉ! あなたがリノね。私はリリー。リリーって呼んでちょうだいね』

「はっ、はい。リリーさん……じゃなくてリリー……?」

『ふふふっ』

 リリーの威勢のよさに少し驚いたが、その明るさに私は自然と笑顔になっていた。リツさんは本をまた横に倒すと、自分の左隣の髪の長い女性に席を移動するようにうながしていた。女性には「リエ」と呼びかけている。リエさんは少し不機嫌になりながら、リツさんの正面の席に座った。リエさんが立ったとき、彼女の赤い服がワンピースであることに気がついた。そして、リエさんは少し背が高めだ。

「リオ、お前はここに座ってくれ」

 そう言ってリツさんは、リオに自分の左隣の席を指定した。さっきリエさんが座っていた席だ。

「リオ。リノ……さんに、どこまで話したんだ」

 リツさんがぎこちなく私の名前を呼んだので、リリーがすかさず指摘してきた。

『リノさんなんて他人行儀な呼び方しないでよ。リノって呼びなさい。ねえ、リノ?』

「え、はい。あ、いえ……私はどちらでも」

 私がまごまごしていると、イラストのリリーが大きな身振り手振りをして宣言した。

『それじゃあ、リノはリノと呼ぶことに決定! みんな、いいわね?』

「いいわよ」

 リツさんの正面の席で、机の上に肘をついて両手を重ねていたリエさんが答えた。そして私の方へ顔を向け、うきうきした様子で私に話しかけた。

「私はリエよ。そしてあっちの彼女がリサ。リサはいつもあんな風で無表情だけど、怒ってる訳じゃないのよ。リオのことはさすがにわかってるか。あなたの隣の人はリツよ。イケメンでしょ? っふふ」

 リエさんが紹介してくれたので、ショートカットの女性がリサさんであることがわかった。リエさんの話が終わると、リツさんは何事もなかったかのように話し始めた。

「リオ、リノにはどこまで話した?」

「どこまでって、体の時が止まることと……あぁ、人生を取られるって話をしたよ。この世界からこれまでの自分の痕跡こんせきが消えるって」

 リオの話を聞いて「そうか」と言うと、リツさんは顔に手を当てて何か考えている様子だった。私が本の中のリリーを見ると、リリーと目が合った。リリーは申し訳なさそうな顔をして、こう言った。

『リノ、あなた、元に戻りたいのよね? 他の人と間違えられてこうなってしまったそうだけど、だったら、いろんな説明も魔法がかかったあとから聞いたのかしら?』

「そうです……」

 私はそう言うと、下を向いてしまった。でも、それは自分の状態が悲しかったからではない。戻りたいという自分の意思が、そこにいる人たちの存在を否定しているようで、気まずかったからだった。

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