第03話 夜に進めば
私たちはまたアカネイルカの地下鉄の駅に戻って来た。リオが2人分の切符を買い、私たちは地下鉄に乗ってシオンウツボの駅まで行った。目指す駅はサクラクラゲだが、乗り換えが必要なのだ。
乗り換えのためには、シオンウツボの歓楽街を通らなければならないという。歓楽街などは馴染みのない場所なので、少し緊張してきた。
時刻は18時過ぎ。狭い車道を挟んだ歩道には、程々の人手があった。その道路の両側には、夜をにぎわす店が立ち並ぶ。リオは脇目も振らず進んでいく。遅れないように私も早足で歩いていたのだが、道路上でのいざこざにちょっと気を取られているうちに、リオを見失ってしまった。
立ち止まって辺りを見回していると、横から声をかけられた。
「お姉さんどうしたのぉ? 誰かとはぐれちゃったぁ?」
声の方を見ると、見覚えのある男がいた。お見合いを経て結婚することになっていた私の婚約者、
「ヒロ君、まぁた女の人に声かけてぇ。今日、何人目よぉ」
「あははは」
桑名は2人の女を連れていた。ナンパするのも常習のようだった。
「これじゃあ、婚約者も大変ねぇ」
「かわいそうな婚約者」
『あははは!』
女2人は声を合わせて笑っていた。婚約者というのは私ではないはずだが、それでも不快だった。こんな人と結婚するはずだったなんて……。桑名に振り回される人生の中の自分を想像し、人生を取られたこの状況に助けられたような気分になった。桑名たちを無視してその場を離れようとしたとき、桑名が私の腕をつかんだ。
「一緒に飲もうよ。それともお連れさんを一緒に探してあげようか?」
「やだぁ、メンドクサイ」
「何言ってんのヒロ君、こらぁ」
3人のやり取りを尻目に、私はリオを探した。リオはこちらに向かってきていた。
「リノ! ……なんですか、あんた」
リオは私の腕をつかんでいる桑名の手をどけた。
「お前こそなんだその態度は。せっかく心配してやってんのによ!」
桑名は手でリオを押した。リオはバランスを崩して尻もちをついてしまった。
「だっせ」
桑名は気が済んだのか、女2人を連れてその場を去っていった。私は3人をにらみつつ、リオに駆け寄った。
「大丈夫? ごめん、迷惑かけた」
「いや、いいよ……」
桑名のことをリオに言おうか一瞬迷ったが、話すことにした。
「あの人、私の婚約者だった人なの。やっぱり私のことは覚えてないみたいだったけど。でも、あんな人だとは思わなかった……」
「そう」
それだけ言うと、リオは私の手を握った。突然のことで状況がよく飲み込めなかった私に、リオは澄ました顔でこう言った。
「人が多くなってきたから」
リオは私の手を引いて歩き出した。私はまだ少し驚いていたが、黙ってリオのあとについていった。
シオンウツボの駅から電車に乗ってサクラクラゲの駅を目指す。乗り込んだときに電車内は結構混んでいて、車両の8割くらいは埋まっていた。ドアの近くに立っていた私たちだったが、リオが私を人混みからかばってくれている気がして、少し恥ずかしかった。リオは携帯電話を片手に、メールか何かしているようだった。その様子を見て、リオの使っている携帯電話は誰の契約なのだろうかと気になった。そして、普通の携帯電話ではないのかもしれないと思ったりしていた。
手すりにつかまる自分の腕を見ると、かすかに光っていることに気がついた。リオの言う通りなら、皮膚から蒸発した水分が体に戻っているのだろう。同じ手すりにつかまっているリオの手も横目でちらりと見たが、同じくかすかに光っていた。
「ほら、降りよう。サクラクラゲだ」
リオの声に、慌てて電車のドアを通り抜ける。改札口に行く間、リオは携帯電話で誰かと話しているようだった。話を終えたリオは、歩きながらこちらに振り返った。
「今、迎えを呼んだよ。館は山の中だから、ちょっと距離があるんだ」
山の中に連れていかれるなんて、と私は少し不安になった。でも、この人間を信じるしかない。自分の光る手を見つめながら、リオは嘘はついていないと自分に言い聞かせた。
迎えに来る車がここに着くまで、30分くらいはかかるだろうということだった。駅舎前の階段の下に立っていたリオに、私は近づきながら声をかけた。
「ねえ、徳宮さんとはどういう知り合いなの?」
リオは驚いた顔でこちらを見たかと思うと、すぐに目をそらして体を横に向けた。
「高校の同級生。って言っても、話したことないけど」
リオの言葉に、私は何を言ったらいいかわからなかった。これは純愛というのだろうか。一目惚れみたいなもの? 誰とも交際をしたことがないままお見合い結婚しようとしていた私が言える立場ではないと思うが、なんだか不安定な感じがする。しかし、恋愛とは案外、そういうものなのかもしれない。
「リノ、引いてんじゃん」
リオは笑っていた。コートのポケットに両手を突っ込んで、前かがみになりながら。その態度に、卑屈なところは全く感じられなかった。
やがて、1台の黒い車がゆっくりと私たちの方へ来て止まった。車体はツヤツヤに磨かれており、車の顔である前面は全体的に四角っぽい。いかにも高級車といった感じである。運転席から、20代くらいの黒いスーツ姿の男性が出てきた。背はそんなに高くなく、短髪の黒髪は、テカテカと光っている。目はくりっと丸くて、体も少々丸い。
「お帰りなさいませ、リオ様」
私はその男性の言葉を聞くと、一瞬固まってしまった。まるでお金持ちのお坊っちゃんみたいな扱いだ。そんな私を見て、リオがにやけているようだった。
「よせよ、
それを聞くなり、男性は目を見開き、私の方に近づいてきた。
「リオお前、ついに使っちゃったの? あの箱。じゃあ、あなたが
男性は、リオに対して急に馴れ馴れしい口調になった。どうやら、こちらの話し方が普通らしい。私は、からかわれていただけのようだった。でも、そこにある車は高級車に違いはなさそうなので、疑問が残る。
「リノさん、聞いてます?」
「あ、はい、ええと……」
「話は車で移動しながらしよう。孝汰郎、ほら席について」
そう言ってリオは、孝汰郎さんを運転席まで連れていく。それから私を手招きし、車の後部座席のドアを開けた。
目的地までの道中、孝汰郎さんはよくしゃべった。リオのおっちょこちょい話や失敗話が主だった。しかし、私が人違いで魔法にかかったことを知ると、3秒くらい黙っていた。それから、「やっぱりこいつは、おっちょこちょいだなぁ!」と笑い始めたが、話をしているうちに私に同情してくれたらしく、しまいにはリオに対して怒っていた。そして、私が元に戻るために協力すると言ってくれた。
大きな門を通り抜けて、なおしばらく道を進んだ。所々に明かりがついており、広い芝生と剪定されている木々が見える。
「さあ、見えてきたよぉ!」
孝汰郎さんがちょいちょいと指差す方を見ると、大きな洋館が見えてきた。大きな窓がいくつもある。カーテンがかかっているようだったが、どの部屋からも明かりは感じられなかった。そのずっしりとした
「今、夜だからわからないけどね、この
孝汰郎さんがせっかく説明してくれていたが、その雰囲気に飲まれてがちがちに緊張した私は、それどころではなかった。
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