第11話 エルフと光の塔の黄色い箱(1/4)

「んんっ――――やっぱりベッドで寝ると違うわねー」


 光の塔を前に決意を新たにした後、時刻を理由に登頂を先送りした翌日。快適な寝床を後にしたベルは塔の麓で気持ち良さそうに体を伸ばしていた。特に足の筋肉や関節を重点的にほぐしていく。


「今回は途中でへばらずに登り切りたいわね」


「わう!」


「……ただ、明らかにあの建物より高いのよね……」


 念入りな準備運動をしながら、ベルはこれから登る建物の頂上があるであろうあたりを見る。それはこの国に飛ばされて来た初日、周囲を確認しようと登った建物よりも高く、優に数倍はあろうかと言うほどだった。


「ま、何とかなるでしょ。とりあえず水とカリカリと、念のため弓も……荷車は流石に階段じゃ邪魔だから置いておいて……っと」


 上を向きすぎて首が痛くなる前に視線を戻したベルは探索に備えて用意を整えた。


「よーし、とりあえず入ってみましょうか!」


「わん!」


 ベルの威勢の良い声を合図に二人は意気揚々と建物の一階へと入っていく。






「えぇぇ……建物の中に……商店街がある……」


 建物の中に入った二人をまず待ち受けていたのは、通路沿いに店が建ち並ぶ商店街のような光景だった。棚はやはり少し荒らされており、外観の綺麗さと相反していて痛ましい。


「これなら雨の日でも買い物が出来て良いけど……商店街を建物に収めるって、どういう発想よ……いや、考えたとしても実際にやる?」


 建物の中に建物が並ぶような異様な光景に、ベルは舌を巻きながらも奥へと進んでいく。しかし彼女を驚かせたのは入り口の商店街だけでは無かった。馬場のような広さを持つホールに大森林の精霊樹もかくやと言う太さの支柱、更には身長を超える高さの壁一面に塔が描かれた壁画や、工芸品の様な天井の模様などが空間を彩っていた。


「これだけの広さに、えらく凝った装飾……何か宗教的な施設だったのかしら……教会とか?」


 誇示するように大きく、豪奢に作る物と言えば宗教的な意味合いを持つ物が常である。ベルも当然のようにそう考えた。


「あー、でも教会の中にお店ってのも変かなぁ。神様っぽい物も見当たらないし……あれ?」


 考え事をしながらも、ここまで順調に進んでいたベルの前から上り階段が姿を消した。


「え? 階段ここまで? あんなに高い塔なのに上れるのはここまでなの?」


「わぅ?」


「そんなぁ……意気込んでたのにバカみたいじゃない」


 階段が途切れたフロアは商店街のあった一階に比べて随分と手狭である。少し歩けば一周してしまえる程度だ。その狭いフロアには扉がいくつかあっただけだった。ベルは落胆しつつも周囲を探索していき、やがて一つの扉の前で立ち止まる。


「この取っ手の無い……鉄の扉? 他所でも似たようなのあったわよね……開くのかしら……まさか金庫だったり? ってそれは一回やったわ」


 それは分厚そうな鉄の扉にも関わらず取っ手が無い不思議な造りをしていた。ともすれば金庫の扉のようでもあるが、先日肩透かしを食らったばかりのベルの薄い胸は期待には膨らまなかった。


「でもまぁ、折角ここまで来たんだし一応調べてみますか。こんな扉の奥に一体何があるのか――」


 それでも多少の好奇心を刺激されたベルは鉄の扉に手をかける。


「なにこれ重っ! やっぱり開かな――あ、ちょっと開いてる」


 扉のあまりの重さにベルは諦めかけるも、少しだけ隙間が広がっているのに気づく。


「よし…………んぎぎぎぎ…………んーーーっしょ!」


 ベルは扉を全力で横に引いた。乙女にあるまじき声を上げながら。その甲斐あってどうにか扉が少し動き、人が通れる程度の隙間が出来る。


「はぁ……やっと開い――ん? 真っ暗か……しょうがない……」


 真っ暗な隙間を覗き込みながらベルは照明魔法を唱え、一歩踏み出そうとする。


「ラ・ルーミ――」


「わっふ!」


「――ひゃぅ!」


 しかしその寸前、ベルのズボンの裾をテオが横から噛んで引き止めた。


「うわっ! 落とし穴!?」


 テオの行動に驚くベルの視線の先には、魔法に照らされて尚、奈落のような穴が口を開けて待っていた。文字通り一歩間違えば死んでいたかも知れない事実にベルはその場でへたり込む。


「びっくりしたぁ……ありがとね、テオ……」


「わふぅ」


 命の恩犬であるテオを抱きかかえたベルはようやく人心地がつく。


「まさか落とし穴だなんて……油断してたわ……」


「わう! わんわん!」


「はい、ごめんなさい……気をつけます……」


 腕の中の子犬に怒られた主人は改めてフロアの調査を開始する。先ほどまでよりも少し慎重に。




「何でこの扉、変な絵が飾ってあるんだろ? そーっと……どれどれ……あ! 階段だ!」


 走っている人間が緑に光る不思議な絵に警戒しつつ、ベルが恐々扉を開けると、そこに魔法らしき明かりに照らされた階段を発見する。それは上にも下にも伸びており、どこまで続いているのか分からない。


「なるほど……ここからが本番って訳ね。よーし、登るわよ!」


「わぅ!」


 塔がまだ終わりでは無い事に気合を入れ直した二人は階段を上っていく。どこまでも、どこまでも。






「ねぇ、テオ。私たちちゃんと上ってるよね……?」


「わぅ……」


 周囲を壁に囲まれた空間に階段だけがある状況のせいか、ベルはその場で足踏みをさせられている感覚に陥っていた。はたして自分たちが塔を上れているのか根本的な所で不安になってくる。


「あー、余計な事を考えちゃダメね……無心、無心よ!」


「わぅ!」


「相手はただの階段、上り続けていれば終わりは来る!」


「わん!」


「私たちはこんな所で負けないわ!」


「わん!!」


「勝利はすぐそこよ!」


「わぅー!」


「行くぞー! テオ隊員!」


「わっふ!」


「あはは! 何か楽しくなってきた!」


 疲れて来るとおかしな方向に気分が高揚する事がある。ベルとテオはまさにその境地に至っていた。楽しげに珍妙な掛け合いをする二人の目は、薄暗い階段にあっても怪しく輝いていた。




 それからいったい何段の階段を上って来たのか、今自分は塔のどの辺りに居るのか、その思考の全てが階段を上る音に掻き消され、謎の高揚感も今やすっかり落ち着いてしまっていた。ただただ階段を上るだけの人形になりつつあった頃、その終わりはようやくやってくる。


「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……おわ……り?」


「ハッハッハッ…………」


 ここまで二時間ほど延々と階段を上り続けて来た二人は疲労困憊であった。普段は元気が有り余っているテオですら流石に疲れが隠せない。


「はぁ……はぁ……ふふふ……ふふふふふ……どうよ……今回は途中でへばらなかったわよ!」


「わふぅ……」


 階段の行き止まりにて、膝を笑わせながら不気味に笑うベルは誰にともなく勝ち誇る。


「勝ったわ……私たちはこの塔に勝ったのよ――ゲホッゴホッ!」


 勝鬨に声を張り上げようとしたベルは咽せた。


「わぅん?」


「エホッ……ありがと、大丈夫よ、テオ」


 心配げに見上げてくるテオに応えながら、ベルは正面の扉に向き直る。


「んっんん……気を取り直して……さぁ、開けるわよ……」


「わふ……」


 唾を飲み込む音が聞こえてきそうな静寂の後。


 ――ベルはゆっくりと扉を開く。




「――っ! まぶしっ……」


 出た先は一面ガラス張りの回廊が左右に広がっていた。階段の薄暗さに目が慣れていたベルは飛び込んで来た強烈な光に思わず目をひそめてしまう。


 やがて光に慣れた瞳に映る光景にベルは絶句する。


「な…………」


 まず視界に入るのは目の高さにある空と雲。目線の少し下では数羽の鳥が飛んでいるのが見えた。鳥よりも高い所に居る、それは平地の大森林で育ったベルにとってはありえない状況だった。


 更にその下では高い建物がひしめき合いながら、世界の果てまで見渡せそうな視界を埋め尽くしていた。その建物一つ一つはともすれば王城よりも巨大な物が存在する。


 しかし今この場所から見下ろすベルからは、どれも小指の爪の先に乗ってしまいそうな、小さな小さな小石のように見えていた。


「まさに天界って感じね。神様にでもなった気分……」


 霞の向こうに見える壁のような山脈ですら見下ろす感覚に、天上世界の住民の気分を味わうベル。


「あはは……これは、すごいわ……」


 以前に登った高い建物を軽く凌駕するその高さに、町を、国を、世界の全てを眼下に収めたような光景にベルは完全に魅入られていた。


 人の気配を感じない、時が止まったように静止したこの世界に――


「…………この世界を……私が独り占めなのね……ははは……」


 魔法が解けてしまったかのように、乾いた笑みを浮かべたベルの手がきつく握られる。白魚のような指はより一層白くなり痛々しい。


「なんて、でたらめな…………」


 ガラス窓にへばりつくようにして外を見ていたベルの肩が震える。


「城壁は無いの? 見えてる一帯全部が一つの町って事? どれだけ広いのよ? こんな量の建物どうやって建てたって言うの? 王都いくつ分よ? 人手は? 材料は? 山ごと切り崩しでもしたの? そんな事できるの? 畑は? 森は何処? 食料はどうしてたって言うのよ? この塔の高さもふざけてるわよね? 天界にでも届かせるつもりなの? 何もかも……でたらめすぎでしょ……」


 何かを振り払うように、身振りも大きく早口でまくし立てたベルはそこで言葉を切ってうな垂れた。


「こんなでたらめな国、数え切れないほどの人たちが生活してたんでしょ……」


 だらりと垂れていたベルの手が再びきつく握られる。


「なのに……なんで……誰も……居ないのよ……っ!」


 その拳が窓を叩く、しかし頑丈なガラスはひび割れるどころかビクともしなかった。


 今の場所に人が居ないだけで何処かでは普通に生活しているはず、ベルは内心そう考えていた。もっと有り体に言うならば、信じようとしていた。


 しかし右にも左にも、恐らく背後にも、視界を埋め尽くす石塔の森に人の息吹は感じられない。突きつけられる現実に、今まで気丈に振る舞って堪えてきた不安が、堰を切って溢れ出していた。


「くぅん…………」


 悲痛な面持ちで俯くベルの横でテオは静かに寄り添っている。






『――窓を叩く行為は大変危険ですので、おやめ下さいませ。景色をお楽しみになる際には窓から少し離れてご覧下さい』


 萎れた百合の花のように首を垂れたベルへと不意に声が掛けられる。


「え?」


「わぅ?」


『また大きな声での会話は他のお客様のご迷惑となります。お控え頂くようお願い申し上げます』


「はぁ?」


「わん?」


 いつの間にか二人の背後には“黄色い箱”が居た。


 唐突に現れたその黄色い箱はベルの腰ほどの高さをしており、細長い腕で身振り手振りしながら理解出来ない言葉を喋っている。中央にある瞳と思しきガラスのような球がベルを見据えていた。


「なに? ゴーレム?」


『……日本語以外の言語を検知しました。対応言語から検索致します。しばらくお待ちください』


「喋ってるみたいだけど、何言ってるのかサッパリね……」


 思いがけない闖入者に虚を突かれ、ベルから先ほどまでの悲壮な雰囲気は完全に消え去っていた。その代わりに、この国で初めての敵対者になるかも知れない相手を前にした緊張感が全身を支配する。


「これは……不味いかも……テオ、私の後ろに」


「わぅ」


 僅かに震えるベルの膝は疲労によるものかそれとも。


「いざとなったら……」


 ベルは矢筒の外側へ個別に留められた特別な矢に手を掛ける。それは旅立ちに日に両親より贈られた三本の矢の内の一本だ。


 父が加工した宝石のやじりに母が魔法を籠めた特別な矢であり、ベルの奥の手である。いま手にしている矢は並の魔物はおろか、攻城級の相手だろうと吹き飛ばせると彼女の母は豪語していた。


「こんな危険物……使う機会無いと思ってたけど……」


 様子を伺っているように動かないゴーレムを見据え、ベルはいつでも矢を抜けるようにしながらじりじりと距離を取る。




『対応言語との一致を確認……』


「使用言語を切り替えます」


 動きを止めていたゴーレムから突如聞こえた耳馴染みのある言語に驚き、距離を取ろうとしていたベルが硬直する。


「エルフ語!?」


「お待たせ致しました。これよりフランス語にて御案内をさせて頂きます。別の言語をご希望の場合はお申し付けください」


 黄色い箱の物と思われる低く渋い声がベルに向けられる。紳士然としながらも、どこかユーモアを感じさせる細長い腕の動きとのギャップが少々不気味であった。


「えらく堅い喋り方……ん? ふらんす語? エルフ語じゃなくて?」


「使用言語を切り替えましたので繰り返しご案内させて頂きます」


「え?」


「窓を叩く行為は大変危険ですので、おやめ下さいませ。景色をお楽しみになる際には窓から少し離れてご覧下さい」


「あ、はい……」


「また大きな声での会話は他のお客様のご迷惑となります。お控え頂くようお願い申し上げます」


「……他に人なんて……」


「お願い申し上げます」


「あ、はい……すいません……」


「ご理解ご協力、誠にありがとうございます」


「なんか普通に怒られたんですけど……」


「くぅん……」


 渋い声に丁寧な言葉遣いで淡々となされるお説教にベルは素直に謝ってしまう。つられてテオも申し訳なさそうにしている。




「天空へ届く塔にエルフ語で喋るゴーレム、ね。次から次へと……感傷に浸る暇もないでたらめな国で助かるわ、ほんと」


 そう言って自嘲気味に笑うベルから重たい空気は抜けていた。


「で? 貴方、いったい何なの? 塔の守護者とか?」


「私は当施設に所属するサポートロイドでございます。体の不自由な方の介助の他、観光案内なども務めさせて頂いております。ご用がありましたら何なりとお申し付けください」


「はぁ……? さぽーとろいど……? 使用人みたいな事してる訳? この国に来てから私すごい困ってるんだけど、助けてくれるの?」


 現状を変えられる物ならば、神でも悪魔でも縋りたいベルは目の前のゴーレムに助けを求める。


「ご利用の前にユーザーIDをお持ちの場合は提示をお願いいたします。所定の端末をご提示頂く他、音声での入力も可能です」


「……え? なんて? ゆーざー? あいでー? 何言ってるの?」


 理解不能な単語を矢継ぎ早に重ねられ、ベルの頭は疑問符で大渋滞している。右に左に、振り子のように首が傾げられて忙しない。


「サポートロイドの全機能をご利用頂くためにはユーザー登録が必要となります。既にご登録頂いている方はご利用者個人を示すIDをご提示下さい」


「個人を示す? 名前で良いのかしら? 私はベルよ」


「ID『ベル』は短すぎます。六文字以上、十二文字以下でご入力ください」


「えぇぇ……短いって何よ……ベルフェームなら良いの?」


「ID『ベルフェーム』を検索致します――――該当無し、ユーザーの新規登録を行います。よろしいですか?」


「登録? どう言う事?」


「ユーザーの新規登録を行います。よろしいですか?」


「……はぁ……もう……勝手にしてちょうだい……」


 何を質問しても同じ答えが返って来そうなゴーレムの様子に、ベルはため息一つと共に問答を諦めた。それを了承と受け取ったゴーレムはベルの正面に回り込み、大きな一ツ目で彼女を見上げた。


「同意を確認致しました。ID『ベルフェーム』様の認証用生体情報を取得致します。誠に恐れ入りますが、そのままの体勢でしばらくお待ち下さい」


「恥ずかしいから私の事ベルフェームって呼ばないで」


 ベルフェームレボアメイユールがベルの正式な名前であるが、その『ベルフェーム』は古いエルフの言葉で『美人』を意味していた。この名前で呼ばれる事をベルは恥ずかしがり、故郷では皆にベルとだけ呼ばせていたのである。


 彼女の言葉を受けても、ゴーレムは考え事でもしているように黙っており微動だにしない。




「しまった……メイユールの方がマシだったかしら……」


 それは五文字である。

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