第7話 エルフと手押し車と命の水(前編)

「んー……んんっ」


 ベルとテオはテントから出て、木の合間から差し込む朝日を浴びつつ伸びをする。


 テオは一つ伸びをしたかと思えば、すぐさま寝そべって日向ぼっこの体勢に入る。片やベルはと言うと首や肩を回してパキパキと鳴らしていた。


「昨夜のソファに比べたら酷い物だけど、野宿ばかりだった頃に比べるとまだまだマシね……」


 街道脇の木陰に外套一枚で包まって寝ていた頃に比べれば、屋根のあるテントはベルにとっては大分まともな寝床だった。体をほぐし終えた彼女は他のテントの中に食べ物や使える物が無いか探しに出る事にした。


「他のテントもちょっと見てこようかな。テオもついて――」


「すぴー……ぴょぴょぴょ……」


 ベルがふと横を見ると、そこにあったのは気持ち良さそうに寝ているテオの姿だった。


「二度寝とは良いご身分だわ……まぁ、昨夜はぬか喜びさせちゃったから許して上げるか……ふふっ」


 相棒の気持ちよさげな寝姿に和んでしまったベルは一人でテント巡りを開始していった。




 どのテントも紙の箱を主材料として作られており、似たような造りになっていた。それらを回って食料になりそうな物を探したベルは、例の鉄の容器をいくつかと他にもそれらしい物を発見する事が出来た。


「んふふー、大漁だわー! さてと……」


 現在、見つけた物を目の前に並べ、最後のテントの中で中身の推理をしている所だった。


「昨夜食べたのと同じ絵の物は分かるとして……コレとコレは多分 魚かな……こっちは……まさか桃? そんな、まさかね……いや、でもこの場所なら或いは……」


 ベルの居た森にも果物の木はあったがその数はあまり多くなく、管理は厳重になされていた。そのため住民であっても気軽に口にできる物ではなく、ましてや桃の木は森には存在していなかった。


 桃は王国内でも非常に人気が高く、見かける事も稀であり、仮に見かけたとしても高価なそれは彼女の口に入る事は無かった。そんな果物と思しき物が今、彼女の手の中にある。


「これはリュックの底にしまっておきましょう……」


 彼女は何となく大事な時のために取っておこうと思ったのだった。


「次は、コレね――」


 それは一つ手前のテントで発見した、他よりも小さめな平たい形をした鉄の容器と、コップ程の大きさをした無色透明な液体が入ったガラス瓶だった。


 鉄の容器には直接絵が描かれており、それらはベーコンの角切りの様に見える。一方ガラス瓶の方には青い帯が付いてはいたが、ベルには読めない文字で何やら書かれているだけだった。


「わざわざ隠していたあたり、怪しいのよね……」


 ベルがこれらを見つけられたのは偶然であり、あまりにも汚く臭いの酷い毛布を外へと放り出そうとした弾みの事だった。他の物と違って何故か寝床の下に隠すように仕舞われていたこれらは、かつての住人のとっておきの品であるように思えた。


「父さんもそうだったけど、こうやって隠してたって事は恐らく――」




「――わん! わんわん! わんわんわんわん!」


 途端、テントの外からけたたましい犬の鳴き声が聞こえて来る。


「あら?」


「テオの鳴き声ね。きっと、起きたら近くに私が居なくて焦ってるのね。ふふっ」


 焦って自分を探し回るテオの様子がありありと脳裏に浮かんだベルは、笑いを堪えながらテントを出る。


「はいはい、今行きますよー」


 ベルが扉を開けて外へと出た瞬間、丸っこく小さな影が矢弾のように胸元へと飛び込んでくる。


「わぅん!」


「わっ! っととと……きゃぁ!」


 大した衝撃では無かった物の、完全に不意を突かれたベルは入り口傍に置いてあった何かに足を取られて尻もちをついてしまった。


「あいたたた……もう……テオは大丈夫?」


「わっふ! ハッハッハ――!」


 ベルは転倒しながらも胸元の小さな温もりを手放さなかった。一方その元凶は、千切れんばかりに尻尾を振りながら、ようやく見つけた主人の顔面を舐めましている。


 側から見れば子犬がエルフを押し倒して襲っているようにも見えた。


「わっぷ! こら、ちょっと! 落ち着いて! んもぅ――――おすわり!」


「きゃん!」


 ベルの一喝でぴしりと動きを止め、テオは彼女の胸元で座り込む。


「はい、お利口さん」


 ベルは落ち着きを取り戻したテオの頭をひと撫でして地面へと下ろした。その傍らには足を引っかけた際に彼女と一緒に転倒した物が転がっている。


「これ、手押し車かしら? ずいぶん小型だけど……」


 そこには小さな車輪が二つ付いた、鉄製と思われるL字の荷車があった。ベルが知っている木製の物より一回りか二回りは小さく頼りなさげに見える。


「でも、リュックを載せるのには丁度良いくらいね」


 起き上がったベルは試しに自身のリュックを載せて押してみる。


「ここがハンドルよね――わっ、凄い! 軽い、軽い! 良いわねコレ!」


「わんわん!」


 一見頼りなさげに見えた小さい荷車も、鉄製なためしっかりとしていた。また思いの外軽く、押すにも引くにも力があまり要らなかった。水筒の重みが増えてからと言う物、自身の肩を圧迫してやまなかったリュックから解放され、ベルは顔を綻ばせる。


 彼女は上機嫌でカートを押しながらテントの傍を歩いてみせると、楽しそうにテオもその後をついて来る。


 しかし――


「おっとと……案外、バランス取るのがむずか――きゃっ」


 少し歩いた所でベルはバランスを崩し荷車を倒してしまう。


 低い荷台と小さい車輪のせいで重心が低く、そこに来て長いハンドルを持つ荷車を押してバランスを取るのは中々に難しかった。


「う~ん、ちょっと扱いにくいわね……やめておこうかしら……」


 軽く触っただけでその扱いにくさを感じ取ったベルは、早々に諦めて荷車を立て直し、引きずりながらテントへと戻って行く。


「はぁ……せっかく肩が楽になると思ったのに……」


 現在、ベルのリュックは中々の重さになっている。カリカリの袋がその重量の半分ほどを占めているが、現状 出番のない弓矢や、着替えなど細々した持ち物の他に、水筒も二本合わせると結構な重さになって彼女の肩を更に苦しませていた。


「荷車があれば荷物も増やせそうなのになぁ……せめてもうちょっと重心が高ければ……」


 ベルの視線の先には見つけたばかりの保存食の容器がある。ひとつひとつはそこまでではなくとも、纏まればそれなりの重さになってしまう。背負って運べる量に限りがあるのだ。


 そんな事を考えながら、ベルは元の場所へと戻って来ていた。


 一度も荷車を倒す事無く。


「――あら?」


 何かに気付いたベルはそのままテントの周りをうろうろと歩く。


「あら? あらあら?」


「わぅ?」


 主人の不審な行動にテオは困惑しきりだった。


「なるほどねー!」


「わふ!?」


 不意に喜色満面で叫ぶ主人にテオは混迷を極める。


「この形は引いた方が安定するのね! なるほど、なるほどー!」


 コツを掴んだベルはその後、見つけた食料をリュックに詰め込み、竃代わりになる鉢と薪になる枝までも荷台へと積んでロープで固定していく。それだけ積み上げてもなお、荷車は安定していた。





「調子に乗って色々と積んじゃったけど、結構いけるわね! 良いもの見つけたわー!」


「わぅん!」


 上機嫌なベルの言葉に同意するようにテオが鳴く。二人は箱庭の森の道を来た時とは逆に歩いていた。


「ある意味テオのおかげだけど……もうあんな風にいきなり飛びついてきたらダメよ?」


「わぅ!」


「大丈夫かしら、この子」


 テオの即答が信用しきれないベルではあったが、やがて森を抜け、灰色の建物が建ち並ぶ見慣れて来た光景が現れる。


「よし、それじゃ光の塔へ向かって、出発しましょう!」


 一晩森で過ごした事で英気を養ったベルは、声高らかにそう宣言して光の塔の方角へと足を踏みだす。荷車は彼女の想像以上に軽快に、道の上を滑るように重い荷物を運んでくれた。






 ――その日の晩。二人は夕食を取るのに都合のいい場所を探していた。


 そしてそれはすぐに見つかる。とある建物の一階部分、壁は腰までしか無く床は街道と同じ平坦な石畳で作られており、天井に魔法の明かりが残っていた。鉄の馬車がいくつか擱座かくざしており多少邪魔ではあったが、屋根と明かりがあって火も使える場所は都合が良かった。


 炒めたとうもろこしに味付けした物とカリカリで二人はそれぞれ夕飯を済ませる。


「ここ二日がちょっと豪勢すぎたのよね、節約もしていかないと……」


 ひと気のない場所で食べ物が見つかる幸運に恵まれて来ているが、それもいつまで続くかは分からない。ベルはそう思い直し一度気を引き締めるべきだと考えていた。


「もうちょっと休んだら寝られる場所探そうか?」


「わん!」


 小さい竃にくべた薪が燃え尽きるくらいまでと、ベルは自分の中で決め、のんびりと火を見つめながら食休みを取る事にする。




 やがて、竃の火が熾火おきびになって来た頃。気がつけば隣からは安らかな寝息が聞こえて来ていた。


「ちょっと休んだらって言ったのに、全くもう……この子は」


「すぴー……」


 寝ているテオを起こすのも気が引けたベルはリュックから外套を取り出し、呑気な寝息に合わせて小さく上下するその背にかけた。


「うーん、今のうちにちょっと荷物を整理しておきましょうか」


 外套を取り出したリュックを覗き込めば、昼間見つけた食料などが適当に仕舞われているのが見える。


 テオを起こすまでの間の時間潰しとして、ベルは雑に収めていたリュックの中身を詰め直して行く。手慣れた様子で順調に整理整頓を進める彼女だったが、その手がふと止まった。




「そうだ、これ……」


 ベルは青いテントで隠されるように仕舞われていた平たい鉄の容器とガラス瓶を手にしている。彼女にはとある前例によって、あのように隠す物に思い当たる節があった。


「これは……あれよね……きっと――お酒とおつまみ……それも多分、とっておきのヤツ……」


 集落に於いてお酒は命の水とも呼ばれ、基本的に祭りや慶事などでしか振舞われない物だった。そのせいもあって、ベルは王都への旅の序盤、町でお酒を飲みすぎてしまいお金を使いすぎた事を思い出す。


「そうよ、さっき節約しなきゃって言ったばかりじゃない……あの日の失敗を思い出すのよ、ベル……!」


 かぶりを振ったベルの目に、平たい容器のフタに描かれた美味しそうなベーコンの絵が映り、思わず口の中に唾液が広がる。


「あ……ぅぁ……うぅ」


 決意が揺らぎゾンビのような声を上げるベルの耳に追い打ちが来る。


「すぴょー……ぴょぴょ……」


 それは未だ気持ち良さそうに寝るテオの寝息だった。


「そ、そうね、テオも寝ちゃってるし。もう少しゆっくりして行っても良いわよね? でも、もうやる事もないしー。あー、ちょっと小腹が空いちゃったかもー」


 しどろもどろに白々しいセリフを吐きつつ、ベルはあっという間に誘惑に屈した。




 そこからの彼女の行動は淀みが無かった。


「絵はベーコンっぽいけど……どうかしら」


 平たい容器を開けるとそこにはフタに描かれた絵の通り、角切りになったベーコンが入っていた。豪華にもコショウが効いている。


「ふぁぁ、やっぱりベーコンだぁー」


 予想通りの中身の登場にベルの知能が少し下がる。そのまま摘みたくなる衝動を必死に抑えて、熾火の上で容器ごと温める。すぐにお腹を刺激する匂いが漂い始めた。


「わぅ……」


 匂いに反応したのか、テオが寝ながらも鼻をヒクヒクと動かしている。


「おっと、テオの安らかな睡眠を邪魔しちゃ悪いわね――ディソ・ドイジー」


 ベルは臭い消しの魔法を唱える。術者周辺の匂いが外へと漏れなくなる狩人必修の魔法だった。匂いが消える訳では無いので、ベーコンの美味しそうな香りはそのまま彼女の近くに漂い、先ほど夕飯を食べたばかりのはずの胃が嘶きそうなる。


「くぅ、良い匂いでお腹が減って来る……もう止められないわ、こっちも開けるわよ」


 続けてベルはガラス瓶の方のフタを開く、鉄の容器とは少し違うも開け方は大体同じであった。


「うん、いい香りね。お酒っぽい匂いがする」


 瓶の淵に鼻を近づけて匂いを嗅いだベルはそれがお酒である事を確信し、その香りに否応にも期待感が高まっていく。


「うふふふ……いざ……」


 ベルは怪しい笑顔を浮かべながら両手でガラスの瓶を持ち、ゆっくりと口元へと運ぶ。


「んく――――」


 ベルが緊張を伴いながらも口に含めば、どこまでも透き通る空のように清涼で、フルーツを思わせる甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐってくる。そして、さらりと喉を通り過ぎて行く驚きの飲み易さは、この液体が実は香り付けされただけの水だったのでは無いかと、彼女に思わせるほどだった。


 しかし数瞬の後に訪れた喉にキリリと来る熱さが、間違いなく酒精の高いお酒である事を主張している。


「ほぅ……」


 ベルの口からは思わず艶っぽい溜息が漏れた。


「水みたいに飲み易いのに喉にグッと来つつ、甘くて爽やかな香りが堪らない……まさに芳醇……こんな美味しいお酒初めて……」


 ベーコンで下がっていたベルの知能が少し戻って来た。


「そしてこっちは――っと」


 熾火で温めていた平たい容器の中からベーコンの角切りを一つ、フォークで口に運ぶ。


「っくぁ……文句なしに美味しい……っ」


 保存食とは思えないほどに柔らかな食感のそのベーコンは、豚肉の旨味と甘みをほどよい塩気と胡椒の風味で包み込んでいる絶品だった。その味にベルは思わずググッと拳を握りこんでしまう。


 そして口の中にその味が残っているうちに、お酒を流し込む。


「んくんく――ぷぁっ! これはお酒が進む味だわ……流石、とっておき……」


 天井を見上げたまま恍惚とするベルの脳内に幸福と至福の二文字が輪舞曲ロンドを踊りながらぐるぐると回っている。


 改めてガラスの瓶を目の前に掲げる。味も香りも良く、完全に無色透明で不純物が一切見当たらないそのお酒は、相当な高級品であろう事が分かる。




「そりゃ隠すわけだわ……今なら父さんの気持ちも分からないでも無いわね……」


 以前、父のせいで家庭崩壊の危機に陥った事件をベルは思い出していた。


 それは夜な夜な出掛ける父の行動を怪しんだ母から相談を持ち掛けられた事から始まる――

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