第6話 エルフと箱庭の森と青いテントと鉄の容器再び
「これにしようと思うんだけど、どうかしら?」
「わーぅ」
ベルの一人ファッションショーは昼をとうに過ぎてもいまだに続いており、その間テオは二度ほど居眠りするも彼女に叩き起こされていた。今や彼はどうにかして彼女に早く切り上げて貰いたいと、ヤケクソ気味である。
「テオもそう思う? それじゃこっちに――」
「んー、やっぱりアレも――」
ようやく決まったと思った矢先に、ベルが目移りをし始める。
「わぅわぅ!」
「え? 何々? 最初のが良いって?」
「わん!」
テオはかつて無いほどに真剣だ。
「何よぅ、最初からそれくらい乗り気だったら私ももっと楽しかったのにー」
「わ、わふ…」
急に乗り気になったテオの反応に、むくれてみせるベルもまんざらでは無い様子。一方の彼はこの時間がようやく終わる事への安堵で一杯だった――
「こんな良い生地の服着てるとちょっと落ち着かないかも……えへへ」
ようやく選び終わった服に着替え、上機嫌のベルと疲れた顔のテオは光の塔へ向かって街道を歩く。それまで来ていた服――旅に出る前、母親に仕立てて貰った一張羅――はリュックにしまってあり今は洗濯される時を待っている。
落ち着かないと言いつつも、彼女は大きな窓ガラスに自身の姿を映してご満悦である。
「こんなに真っ白で光り輝くような生地の服を着てると、まるで私が輝いてるみたいだわ……ふふっ」
ベルは今、白く輝く生地で作られ背中に大きな犬の刺繍が入った服に着替えていた。仕立て屋跡地で最初に見つけた物だ。
「でも、折角の大きな刺繍もリュックを背負っちゃうと見えないのが勿体無いわね」
ガラスを鏡に見立てたベルは、踊るように一回転してみせた。彼女は精一杯の可愛らしい動きをしてみせるが、どうにも背中のリュックが野暮ったく思えてしまう。
「むぅ。こればかりはしょうがないか……でも、この服、案外動きやすいわ」
ベルの中では貴族が着るような高級な服は動きにくそうと言うイメージだったが、今も歩きながら非常に動きやすく感じていた。
「本当にいい服って言うのは動きやすさも重視されているのかしらね?」
少し大げさに足を上げて歩きながらベルはテオに語る。
「わぅ?」
テオは当然分からない様子だった。
「まぁ、テオは服 着ないもんね」
「あ、でも、そう言えば――」
ベルは顎に指を当てて思い出す。
「――馬用の鎧とかあるし、探せば犬用とかもあるのかしら?」
「わふ!」
犬用の鎧、その響きにテオは少し興奮したようだった。彼の脳内では犬の鎧がどのようなイメージがなされているのか、知る由も無い。
「ふふっ。テオったら男の子ね――ん? あら?」
和やかに街道を往く二人だったが、急にベルが足を止めて周囲を見渡す。
「くんくん……この匂い……もしかして!」
犬の様に鼻を惹くつかせた後、ベルは駆け出した。テオも慌ててその後を追う。
動きやすい服である事を証明するように機敏な動きで駆けて行くベルは、土と緑の匂いが濃い場所で立ち止まる。
「木だ……森がある!」
それはベルにとって石塔の森にあっては思いもよらない場所だった。彼女の目の前には馴染み深い森――の一部を切り出した様な光景が石造りの建物の隙間に広がっていた。
土がむき出しの道が伸び、その両脇を伸びた芝生がカーペットのように覆っている。青々としたそれは見るからにふかふかで寝心地が良さそうだ。
道からすこし距離を置いて木々が生い茂る。それらは管理された森のように陽の光を遮りすぎないよう調整され、爽やかで清涼な瑞々しい空気を漂わせている。
その懐かしさすら感じる空気にベルは思わず深呼吸をする。
「すー……はぁー……森としては小っちゃいけど……この国にもちゃんと木が生えてる場所があったのねー」
大森林で育ったベルは木の存在に殊更喜ぶ。そのままテオを伴いベルは土の道を森の奥へと歩いて行く。
「以前は手入れが行き届いてたみたいね。こじんまりした感じも箱庭みたいで可愛いかも」
ベルは森を眺めながらのんびりと道を歩き、テオは芝生の上に駆け出してはしゃいでいる。二人の様子はまるで、近くの森に遊びに来た犬と飼い主だ。
「あら、広場があるわね」
少しの間 散歩を楽しんだ二人は小さな森の中で開けた場所に辿り着いた。
その中央には小さな丘がありそれを囲むように、建築中の小屋のような物、骨組みしかない球体、頭上に何故か横に掛けてある鉄の梯子など、いくつもの謎の人工物が設置されていた。他には休憩用だろう椅子が外周に置かれている。
「良く分からない物ばかりだけど……これはブランコね。この国の人もやっぱり森で遊びたかったのかしら」
設置された物の殆どはベルにとって理解不能だったが、一つだけ見知った形の物があった。周囲に木があると言うのにわざわざ鉄の柱を立て、ロープでは無く鎖を使って作ってある豪勢なブランコだ。
彼女はその一つに座り膝を数度、手で叩く。
「テオ、一緒に乗ろっか?」
「わん!」
呼ばれたテオはベルの膝の上に飛び乗る。
「小さい頃に父さんが作ってくれたのに乗って以来だわ。ふふっ」
懐かしい記憶を呼び覚まされたベルは小さく笑いながらブランコを漕ぎだした。
「そーれ!」
「わーぅ!」
「結構高くまで上がるわね! 案外大人になってからでも楽しいかもー!」
思いの外高く上がるブランコによって普段よりも大幅に高くなった視界に大人げなく楽しみ始めたベル。
「ん? あれ、何かしら?」
その視界の端に少しの異物感を感じて目を向ける。
「青い……テント?」
木々に埋もれるように、青くツルツルとした生地が目立つテントのような物がそこにはあった。
「気になるわね。行ってみよっか?」
「わぅ!」
ベルはブランコをゆっくりと停止させて、テントの見えた方へと向かった。
「山小屋に見えなくもないわね。この森の管理者が生活してたのかしら?」
そこには見た事無い青い生地で覆われた、テントとも小屋とも言えるような物がいくつか建てられていた。当然の様に人の気配は無い。
「このテント、水筒が入ってた箱と同じ素材で出来てる? 紙で出来たテントとか、価値観の崩壊もいよいよ極まって来たわね……ちょっと中が気になる……」
テント群に近寄ったベルは、それが水筒の入っていた紙の箱と同じ素材で作られている事に気付く。彼女にしてみればテントを紙で作るというのは、絹で作るも同然の事だった。
「お邪魔しまーす」
ベルは誰にともなく声を掛けてテントの中へと入る。
その中は彼女がかつて森の管理の手伝いで泊った山小屋のようであった。手狭な空間に生活に必要な最低限の物だけが詰め込まれ、獣のようなすえた臭いが残っている。
「王様が住んでそうなあの部屋とは違う意味で落ち着くかも……」
森での暮らしの長かったベルにはむしろ慣れた雰囲気であった。しかし住み心地とはまた別の話である。
「汚い毛布に微妙にいびつな机、相変わらず良く分からない物ばかりの棚――あら」
室内を見回していたベルは、棚に納められているある物へと目を留める。それは銀色に光る円筒状の鉄の容器で出来ており、何か絵の描かれた紙が巻かれている。テオが一心不乱に食べた粘土状の物が詰まっていた銀色の容器にそっくりだった。
大小様々なそれらにベルは見知らぬ土地で思わず知人に出会ったかのような感覚を覚える。
「これ、テオの好きなやつじゃない?」
「わんわん!」
銀色の容器を見せるとテオは急激にはしゃぎだし、ベルの周りをぐるぐると回っている。
「ハッ――ハッ――ハッ――!」
「もう、落ち着いてってば。今 開けてあげるわ」
既にこの容器の開け方を覚えたベルは手間取る事無くフタを開く。カシュっと言う小気味良い音と共に中身が姿を現し――
「……」
待ちきれなかった様子のテオが中身を覗き込んで固まる。そこには真っ赤な汁に浸された赤い塊が詰まっており、酸っぱい匂いが辺りに漂ってくる。
「何かしら、これ? テオ……?」
「くぅぅん……」
テオは先ほどまでのはしゃぎっぷりからすると、見ているのが居た堪れないほどの意気消沈している。ぶんぶんと振り回されていた尻尾からその勢いが消え、眉毛の様な白い模様も心なしか力なく下がって見える。
どうやら彼の好物では無かったようだ。
「匂いはアレだけど、悪くなってる感じじゃないわね。――うん、酸っぱいけど野菜らしい甘さもあって悪く無いかも」
ベルは独特な匂いに少しの躊躇するも、おもむろに容器へと小指を突っ込み汁を舐めてみる。
「……ピクルスとは違った酸味だけど、野菜の保存食かしら。それともこういう野菜なのかな……見た事ない物なのは……もう今更ね」
逞しいエルフはこの国の食べ物に慣れ始めていた。
「帯に描かれてるのは中身の絵かしら。とすると他のも……」
棚には例の茶色い食べ物の絵が描かれた帯は見当たらない。
「……」
「ほ、ほら、開けてみないと分からないし!」
しょぼくれるテオを元気づけるように、ベルは他の容器も開けていく。
一通り開封を終えた二人の前には、鉄の容器が並ぶもその中にテオが喜ぶ物は入って無かった。
「全部違ったね……なんか期待させちゃってゴメン……」
「わぅ……」
ベルは切なげに尻尾を垂れるテオの頭を撫でながら、改めて容器の中身を見て行く。
赤い野菜と思しき物の他に容器へと詰められていたのは、とうもろこしの粒、豆、オイル漬けの小魚だった。
「ふーむ……なるほどね、この容器は保存食を詰めておく物だったって訳か。とうもろこしに豆に小魚、見慣れた物が出てくるとやっぱり安心するわ」
この石塔の森に来てからと言うもの、ベルの目に入る物は悉く見た事無い物ばかりだった。そんな彼女にとってこの箱庭の森の木々や狭い山小屋のような空間、そこにある見慣れた食べ物は、実家に居るかのような安心感を与えてくれた。
そして目の前に広げてしまった食材を前に彼女は思案する。
「さて、この食べ物をどうしましょうか……そのまま食べるのも――」
どれもそのまま食べられる物ではあったが、それでは少々味気ないと思っていたベルに妙案が浮かぶ。
「そうだ! 折角、調味料があるんだもの、スープを作りましょう! テオ用に薄味のも作ってあげるわね」
「わぅ!」
ベルは昨夜キッチンから拝借してきた調味料の存在を思い出し、スープを作る事を思いついた。しょぼんりしていた相棒にも少し元気が戻ってくる。
「森の中だし薪になる物もあるわよね――ん? これって……」
早速テントの外に薪を探しに出ようとしたベルは、足元に転がる鉢に炭が残っている事に気付いた。
「炭の入った小さい鉢……竈代わりにしてたのかしら? バルコニーにあった鉄の竈もだけど、この国の人たちは竈を変な形に作る趣味でもあったの……?」
それはテントの出入口付近に置かれた、ベルでも小脇に抱えられそうな大きさの鉢だった。天辺には網が置かれ、中には小さな炭の欠片が残っていた。使い込まれたその様子は長年このテントの住民が愛用していた事を物語っている。
「とりあえず手鍋を火にかけるには丁度良い大きさだから使わせてもらいましょう」
そして二人は火を熾すべく薪になる物を探しにテントを出る。
「薪になりそうな物を適当に拾ってきますか。テオも手伝ってくれる?」
「わん!」
小さいと言えど森の中、やがて薪になりそうな木切れはすぐに集まる。
「よし、こんなものかしら」
ベルの腕の中には一抱え程の枯れ枝があった。
「よーし、それじゃ戻って料理しましょう!」
「わぅ!」
日は傾き、辺りは夕暮れに染まりだしていた。
戻って来たベルは小さな鉢を使って火を熾す。
「網を置いた後は下から枝を入れれば良いのかしら……ちょっと小さくて使いにくいわね」
見慣れない道具に少々苦戦するも、苦労の甲斐あってやがて火は安定しだす。
ベルは手鍋を布で拭きながら調理行程を思案する。
「水……は少しで良いかな、この赤いやつの汁気が結構あるし……よし!」
手鍋に汁気の多い赤い野菜を空け、そこに水筒から水を少し足していく。
「この赤い野菜ぽいのは崩して煮溶かしちゃいますか。そうだ、豆は早めに入れておいた方が柔らかくなるかな」
容器を開けた段階で煮崩れたような見た目をしていた野菜をスプーンで崩しながら、豆と一緒に煮ていく。
「おぉ、なんか既にちょっと美味しそうな匂いになってきた……」
火が入った事で赤い野菜の匂いが酸味の際立っていたそれから、角が取れたように変わってくる。そろそろ頃合いかと、ベルは続けてとうもろこしも手鍋へと投入していく。ほぼ赤一色だった料理に黄色い彩りが加わり、彼女の食欲をそそりだす。
「いいんじゃない? これ、結構いいんじゃない? ――それじゃ、いよいよ小魚を……」
食材が程よく煮えて来た所で、ベルは小魚の容器を取り出す。
「保存食とは言え、まさかこんな場所でお魚を食べられるとは思わなかったわ……これは漬けてたオイルも一緒に入れた方が美味しそうよねー」
ベルはゆっくりと容器の中身を手鍋に移していく。すると角の取れた赤い野菜の匂いと小魚とオイルの匂いが混ざりあっていき、その香りに誘われたように、彼女は分不相応な物を持ち歩いている事を思い出した。
「そうだ――昨夜手に入れた香辛料をここに……はわー、私が料理に香辛料を使える日が来るなんて……」
ベルが慣れ親しんだ料理に使われていたのは塩と森で採れる香草くらいであり。その香草も森から出てしまえば中々に高価で取引され、彼女にはおいそれと手が出せない物になっていた。
ベルはやや震える手で肩掛けバッグからコショウの瓶を取り出す。
「ちょっとずつ……ちょっとずつ……」
まさに恐る恐ると言った動きでコショウの瓶を数度振る。すると鮮烈な香辛料の香りがベルの鼻を抜けていく。
やがて落ち着いたその香りは、手鍋の中の料理の匂いと混ざり合い、まるでパズルが綺麗に噛み合わさるが如く、最初から一つであったかのように纏まりベルの胃を猛烈に刺激しだす。
「テオ、何か美味しいの出来た!」
「わう!」
まだ一口も味見をしていないのにも関わらず、その味を確信したベルは目を輝かせて相棒とその喜びを分かち合う。
「って、まだ味見もしてなかったわ」
その事に気付いたベルはおもむろにスプーンで手鍋からスープをひと掬いする。香りの良い湯気はその味を彼女に予見させるのには十分な威力を持っていた。
「ゴクリ……」
スプーンを見つめてベルは生唾を飲み込む。そしてゆらりと腕が動き、スープを口へと含んだ。
「んんー!」
ベルの口の中にはまず赤い野菜の物と思われる酸味と甘みが広がり、追いかけるようにして小魚の塩味と旨味がやってくる。それらをオイルの香りが包みこみ、最後にコショウの刺激と爽やかさが鼻を抜けて去って行った。
「ほぅ……美味しい……個人的にはもうちょっと味が濃ければ完璧――」
「わぅわぅ!」
傍に座ったまま調理を見守っていたテオが羨ましげに吠える。
「あっと、ゴメンゴメン! テオも味見したいよね。熱いからちょっと待ってね」
ベルは手鍋からスプーンでもうひと掬いし、息を吹きかけよく冷ました後に待ちかねた様子の相棒の口へと近づけた。
「はい、どうぞ」
「わっふ」
噛みつくようにスプーンを咥えたテオが目を見開く。尻尾をピンと立たせたかと思った直後、勢いよく振り回し始める。
「わんわん! わん!」
テオはもっと寄越せとベルの周りを跳ね回っている。
「ちょ、ちょっと! 落ち着いてテオ! 気に入ったのは分かったから!」
ベルはリュックから昼間の店から拝借してきた黒い皿を取り出し、そこにテオの分のスープを注いでいく。
「熱いからまだ待つのよ? そうだカリカリも入れる? きっと美味しいわよ?」
「わん! わんわん!」
昨夜の麺のスープの時には否定的だったテオだったが、今回のスープにカリカリを合わせるのは賛成のようだ。ベルはバッグからカリカリを取り出し、テオのスープに浮かべてやる。
「私の分にも入れようっと。本当にカリカリは万能糧食だわー」
ベルは自分の分のカリカリも用意し、一緒にバッグから取り出した塩を片手に手鍋へと向き直る。
「さて、テオ用に塩は入れずに薄味で作ったコレに……サラサラっと」
美味しいスープではあったが彼女にはもう少し塩味が欲しかった。それを補うために塩を足し、かるくかき混ぜて様子を見る。
「これで、どうかしら――っと」
ベルは改めて一口味見をしてみる。
「んー! 完璧ね! 母さんを超えてしまったかもしれないわ……」
先ほどまでのまろやかな味に塩味が足され、よりメリハリのついた味わいへと変化していた。それは森でも料理上手で通っていたベルの母でも、その味を認めざるを得ないだろうと彼女には思えた。
「テオの分も程よく冷めたかしら?」
「わぅ!」
「大丈夫そうね。それじゃ――」
「いただきます!」
森の神へ略式の祈りを捧げ、今日の糧を得られたことを感謝する。
「んー! やっぱりカリカリも合うわー」
「わん!」
暫くの間、二人の和やかな食事が続き、夜が更けていく。
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