ヤドリギ、もしくは

 ――九七〇年 花季一節



 植物学者の男と、他愛ない言葉を交わしながらの採取作業はごくごくつつがなく進んだ。時折『ヤドリギ』が手を貸さねばならないような場面もあるにはあったが、それでも依頼人を危険から守るのが『ヤドリギ』の役目だ。

 案内人という「仕事」も含め、『ヤドリギ』が己に課しているのは何もかもが自分で勝手に決めた役目ではあるが、信用というのは積み重ねがあって初めて得られるものだ。故に、『ヤドリギ』はその役目だけは破らないと決めている。

 ――いくつかの例外を除いて。

「あとは……、案内できる範囲で、珍しい花というのは、これだろうか」

 ランタンを翳し『ヤドリギ』が男を導いたのは、洞窟には不釣合いな「花畑」であった。少し大きめな部屋一つ分くらいの空間を埋め尽くす、ちいさな花。幾重にも重なった花びらは薔薇に似ているが棘はなく、『ヤドリギ』の膝より少し低いくらいの背丈で咲き誇っている。

 花を踏み荒らすのを覚悟で『ヤドリギ』は花畑の中心に向けて歩きながら、一言一言を紡いでいく。

「俺も、この場所を見つけた時には流石に驚いた。一体何を糧としてここまで見事な花を咲かせるのか、俺には到底想像も付かない」

「私にもです」

 と、少し距離を置いてついてきたのだろう、男の声と花を踏む足音。つい『ヤドリギ』の意思を無視して――もしくは意思を反映して揺らめきそうになる右腕の蔦を意識して抑え込みながら、もう一歩、薔薇に似た花を靴底で踏みしめて。

「それで」

 花畑の中心で足を止め。

『ヤドリギ』は、振り向いて男に向き合い、左目で真っ直ぐに男の双眸を見据える。どれだけ姿形を変えようとも、その目に宿る、闇夜の霧払いの灯りを思わせる光だけは「知っている」。

「本当に『採取』したいものはなんだ? クライヴ・チェンバーズ」

 その「名前」を呼んだ瞬間、周囲の空気の温度が急に下がったような錯覚に陥る。姿こそ、つい先ほどまで他愛ない会話を交わしていた植物学者のものであったが、その中身がまるで別物にすり替わったかのように、男は先ほどとは全く別の声、それでいて『ヤドリギ』にとっては懐かしさを感じさせる声で言う。

「気付いて、いたのか」

「流石に旧友に気付かないほど耄碌はしていないつもりだ」

 嘘だ。おそらく「かつての」自分であれば絶対に気付けなかっただろうと『ヤドリギ』は内心で苦笑する。この辺りは、『怪盗カトレア』を名乗る彼女に感謝せねばなるまい。彼女を間近で見ていたからこそ、「変装」の何たるかを少しでも理解できたのだから。

「そこまで気付いているなら、俺の目的も理解できているだろう」

「……わかりたくはなかったが」

 花を探している、と。目の前の男は言った。『獣のはらわた』に咲く花は確かに珍しいものばかりではあるが、この、薄闇に咲き誇る花畑すら、彼のお気に召すものではなかったはずだ。何せ、それらは最初から彼の目的ではない。

「君が摘み取ろうとしているのは、『俺』だろう」

 そうだ。この右腕を『ヤドリギ』は普段「蔦」と呼ぶが、その本質が「花」であることはあまり思い出したくない類の実感と共によく知るところだ。

 そして、目の前の男は『ヤドリギ』の言葉に対して首を横に振ることはなかったが、「微妙に違うな」と付け加える。

「『摘み取る』つもりはない。『生かしたまま』が主の命令だ」

 は、と。『ヤドリギ』は思わず喉の奥から笑い声を漏らしていた。

「話し相手でも欲しいのか? ハロルドは随分と寂しがりやになったとみえる。この八年間で、友達の一人も増えなかったのか?」

「お前がそういう皮肉を言うとは珍しいな」

「伊達に八年も地下で暮らしてはいないさ。この手の冗談の一つや二つ、言えるようでないとやってはいられない」

 もちろん、自分に求められている役割がそんな生易しいものでないことはわかっている。一つ、息をついて、目の前にいる男の「主」に思いを馳せる。その顔は今でもはっきりと思い出せるし、何ならつい最近の新聞でも見た顔である。八年を経て自分はこれだけ変わってしまったけれど、新聞の写真の中で笑う彼は、あくまで『ヤドリギ』の知る彼であり続けていた。

 次期女王シオファニアの婚約者、つまりは次期王配、ハロルド・マスデヴァリア。

 持ち回りで「女王のつがい」となることを運命付けられた五大公爵家の一つ、マスデヴァリア家の嫡男であり、これからこの国を新たな女王シオファニアと共に背負うことになる人物。

『ヤドリギ』は彼についてよく知っていた。知りすぎたと言っていいほどに。それについて後悔したことが、皆無というわけではない。ただ、今は後悔していないと言い切っていいだろう。故にこそ自分は今ここにいて、こうして「向き合う」ことができる。

 ――「友」であり「主君」であった、彼の信念と。

「ハロルドは俺という『検体』が欲しいんだろう? 女王種シオファニアの体組織を持ちながら『共生』という関係性で生存している例は現時点で俺しかいないはずだ」

「何故そう言い切れる?」

「君が来たからだ、クライヴ。俺のような結果が無数に生まれているなら、わざわざ俺を生かしたままつれて来いなんて命令をハロルドが下すはずがない。俺の居場所がわかった時点で、『はらわた』に油でも撒いて焼き払えば終わりだろう、件の事件と同じように」

 言いながら『ヤドリギ』はあの日のことを思い出す。

 右腕を失った日のことを。この身を焼かれた日のことを。

 完全な「不意打ち」だった。己の迂闊さを認識する間もなく、剣を握った右腕を落とされ、炎に巻かれて痛みと熱とでのた打ち回ることになった。

 知っていたはずだった。目の前の男はそういうものなのだと。影に潜み、確実に相手の息の根を止めるための一撃、ただその一撃のために布石を打っていく。事実、そうしてかつて『ヤドリギ』でなかった彼は葬られた。そうなる、はずだった。

 けれど、現実はそうはならなかった。その理由も今の『ヤドリギ』は知っている。だからこそ、それ以上何も語らぬままに間合いを測りはじめる目の前の男に対して、『ヤドリギ』は全身の力を抜いた姿勢のまま言う。

「クライヴ。……どうせ君は『決闘』には応じてはくれないだろう」

 かつての自分はあまりにも愚かで、あくまで正面から挑むことにこだわった。もはや、そんな段階ではなかったというのに。そして、今もそう。それでもあえて問いかけたのは、『ヤドリギ』の、もしくは「かつての自分」の矜持のようなものだ。

 案の定、男は身を低くしながら、呆れた声をあげる。

「そんな前時代的なやり合いを好むのはお前くらいだ」

「だろうな。だから、俺は『今の俺』らしいやり方で君に抵抗するまでだ」

「言っていろ」

 その一言だけを残して、男は『ヤドリギ』に肉薄する。『ヤドリギ』は無造作に左肩を引く。それだけで十分だった。今まで垂れ下がった形で蠢いていた右腕の蔦が、無意識のレベルで宿主たる『ヤドリギ』を守るべく男へと殺到する。

 だが、対する男は焦り一つ見せずに、袖から飛び出した刃で、最低限、自分を絡め取れるであろう位置に来た蔦だけを切り払いながら、前進をやめない。『ヤドリギ』は蔦を斬られた、という認識よりも先に背筋に走った怖気に従って一歩退こうとするも、間に合わずに右の肩を切り裂かれる。蔦に痛覚はないが、ちょうど植物と肉体とが融合しているその箇所には、激しい痛みが走る。

 よろめきながら、それでも『ヤドリギ』は何とか男から距離を取る。以前よりずっと体が鈍っている、もしくは右腕の定まらない動きや重さの違い、それに右目、右耳が利かないことによるバランスの崩れが大きいか。そんなことを魂魄の片隅で考えながら、まずは率直な感想を吐き出す。

「今、首を狙っただろう! 生かして連れてこいという話だろう?」

「精霊の権能をもってすれば、首を丸々飛ばされさえしなければ治ると聞いている」

「ああ治るさ、めちゃくちゃ痛いがな……っ!」

 頚動脈を斬られて生きていられるかどうかは試したことがないからわからないが、どうも即死はさせてもらえなさそうだ、と何となく思う。

 それよりも、問題はこの痛みだ。斬られた痛みと、傷を修復しようとする際にどうしても避けられない痛みが同時に襲ってくる状態では、ろくに思考もできやしない。これでは次の一撃は、本当に頚動脈に突き刺さってもおかしくない。

 ――だが、「次の一撃」は来ないだろう。

『ヤドリギ』はうっすらと唇に笑みを浮かべる。

 何も強がりではない。その証拠に、男の体がぐらりと傾ぎ、その表情が明らかに歪んだのが『ヤドリギ』の片方だけの目にくっきりと焼きつく。

「なあ、クライヴ? 俺はこの花の名を知らない」

 ふらつく男の足が足元の花を踏みしだく。薄暗い空間に満ちる甘い香りがさらに濃さを増すのが、手に取るようにわかる。

「君がくれた『これ』にとっては、人間の名づけなどは知ったことではないのだろうな」

 だが『ヤドリギ』に宿るものは、観測した植物の「特性」を『ヤドリギ』に伝える能力を持っている。まさしくそれは、草花を統べる『精霊』たる女王種の権能である。

 やがて、その場に力なく膝をついた男が、掠れた声で呻く。

「毒、か……っ」

「博打ではあった。『女王の鴉』である君には毒への耐性もあるだろうから」

 そう、男――クライヴ・チェンバーズは、女王に絶対の忠誠を誓う女王国の暗部、『女王の鴉』と呼ばれる特殊部隊員だ。中でも、クライヴは次期女王の王配となるべく定められたハロルド・マスデヴァリアの影であり刃でもある者。幼少時から、ハロルドの危機となりうる全ての事態に対応できるよう訓練を積んできたはずであるし、その中には毒や薬物への耐性をつける訓練も含まれていることは容易に想像できた。

 ただし、それは『知られている範囲の毒』に限られるはずだと『ヤドリギ』は踏んだのだ。

 ここ『獣のはらわた』は地上から切り離された、独自の生態系を持つ「もう一つの世界」と言っていい。

 その探索は人間には踏破が難しい区域も多いこともあって遅々として進んでおらず、棲んでいる生物のほとんどには名前すらつけられていない。違法な居住が社会問題として知られているのはあくまで『はらわた』の上層の話であり、この辺りまでの進路を正確に把握できているのは、現代においては『ヤドリギ』一人であると言っても過言ではないはずだ。

 だからこそ、対峙にこの場所を選んだ。

 この花の「特性」は、香りで闇に潜む動物を引き込む能力、そして何よりも動物を深い眠りへと誘う猛毒だ。眠りに落ちた者はいつしか朽ち果て、更なる花を咲かせるための養分となる。

 膝をついたままのクライヴの体が、更に傾ぐ。今にも倒れこみそうだ。

 一方の『ヤドリギ』は、傷口を押さえることもせずその場に立ちつくしたまま、唇を噛むクライヴを静かに見つめるだけだ。『ヤドリギ』に、植物由来の毒は効かない。これもまた身に宿した権能の一つであり、肉体の修復能力と合わせて『ヤドリギ』が『はらわた』をたった一人で探索し続けられる最大の理由といえた。

「悪いが、君には少しばかり眠っていてもらう」

 殺せ、と。クライヴの唇から声が漏れる。その意味は『ヤドリギ』にも理解はできる。

 これは千載一遇の機会なのだ。今回のような奇策は二度は通用しない。そして、正面からやり合ったとしても今の『ヤドリギ』がクライヴを止められないことは、今の一撃で明らかだった。

 その上で『ヤドリギ』のこれからを考えるならば、自分は殺されていた方がよほど都合がいいはずだ。……そう、クライヴは言っているのだ。お互いが生きていれば、再び対峙することは避けられないのだから、と。

 本当に君は変わらないな、と『ヤドリギ』はつい笑ってしまう。燃え盛る部屋の中、こちらの右腕を切り落としておきながら、全く自身の得にならない『賭け』を持ちかけてきたあの頃と、何も変わらない。

 だから、『ヤドリギ』もあの時と同様、きっぱりと宣言する。

「嫌だ。俺に好き好んで友人を殺す趣味はない」

 クライヴの唇が、微かに動く。きっと『ヤドリギ』の名を呼んだのだろう、ということだけはわかった。正確には、彼の、本当の名前を。

 だから、その呼びかけに応えるように『ヤドリギ』は声を張る。あと少しで完全な眠りに落ちてしまうだろう、大切な友に届くように。

「君との『賭け』に負ける気はない。そのために、この八年間を生きてきた」

 もちろん、諦めようとしたこともあった。

 この国を「変えよう」と望み、水面下で計画を進めるハロルドに対し、なるほどそれでよいのかもしれないと、自分がどれだけ足掻いても意味がなく、その価値すらないと、全てを投げ捨てようとしたことだって一度や二度ではない。

 けれど、今ならば言える。

「時間はかかってしまったが、必ず君の期待に応える。彼を止めてみせる。それこそが、俺の使命だ」

 この命を拾ってくれた人がいる。もはや化物でしかない己を受け入れてくれた人がいる。共に歌ってくれた人がいる。己の力や知識を必要としてくれる人がいる。この異形の「手」を握って、笑いかけてくれた人がいる。

 そして「そうではない人もいる」ということも含めて、『ヤドリギ』は「変えたくない」、否、「変えてはならない」と望む。最低でも、ハロルドの思想とやり方は『ヤドリギ』の信念には相容れない。

 ならば、己が足掻く意味はある。足掻く価値はある。

『ヤドリギ』の言葉に、クライヴは初めて口元に笑みを浮かべて――ゆっくりと倒れこみながら、声を、放つ。

「その言葉、違えるなよ」

「違えるものか」

 その言葉に晴れやかに笑い返し、異形の右手を己の胸に添えて。

「ハロルド・マスデヴァリアの第一の騎士、ランドルフ・ケネットの名において」

 ――宣誓する。

「主君の過ちを諫めることこそが、俺が彼のためにできる唯一だ」

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はらわたの散歩者たち 青波零也 @aonami

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