第40話 前に進むということは。

「……今、この宇宙に根付く負の感情の連鎖、その不可避の終息点を、時の観測者はこの宇宙に見始めております。現状、そこで我々は、これら危機を助長する危険な種族、文化、精神性の根絶を目指し、審判を下している状況にあります」

 それは不可避の犠牲、命の取捨選択トリアージとでもいうべきか。

 やらねばより大きな災禍を招く。それを人ではなく神と呼ばれる存在と、天使という名の配下が行っているだけ。アンジェが言った現象を、もしこの世界の人間が自力で観測し対策を立てたなら最終的に同じ手段を選んだだろう。

 人間が同じ人間を裁くというそれでないだけで、結果に違いはないとノーカが平然と思う中、

「……だから滅びろっていうのかよ」

 キースが現実逃避から復帰し抗議の声を上げる。神、天使から見て、この宇宙は全世界から見て多大な危険を孕んでいるのと理解しているが。

 それでも口に出さずにはいられなかったそれに、アンジェは無慈悲でありながら彼女達の裁定に寛容が含まれていることを示す為に、

「いいえ。そのようなことは全く。なにより、この情報は既に来訪し接触している同胞が、各文明や政府に申し立て共有されている筈なのですが、これに関してはご存知ですか? 全く対処、対応策を打ち出しているように見られないのですが。

 ――これは我々の活動を容認、もしくは現状、未来に対し既に諦観し、放棄しているのではありませんか?」

「――さっきの空想で妄想としか思えない何の証明も無いファンタジー世界滅亡論を信じられるかよ! 第一、お前たちの言う宇宙の滅びなんてほんとうにありえるのか!?」

 キースの言う通り、政治家にせよ科学者にせよ、まず学会で認められろという感覚だろう。アンジェの言う話が本当なら、事の内容からして現場の下士官レベルには降ろされないレベルの情報統制が行われているのだろうとノーカは判断する中、それを聞いたアンジェは、

「では、それを疑似的に体験して頂きましょうか」

「だからちょっと待て! オ――」

 キースがまた一足遅く、アンジェが再び翼を広げて輪を作り、その間で光が瞬いた。


 瞬間――


 ノーカ達は、別の宇宙に居た。

 否、それは宇宙なのか、“場所”と言うものかも曖昧な景色だった。

 黒――どこまでも続く黒。

 真空の宇宙に似た、しかし、上も、下も、前も横も、奥行きも存在しない。

 黒。

 何も見えない、星灯りすらない。黒に塗りこめられた景色が全方位に広がっている。

 それは、見えているのだろうか・・・・・・・・・・

 眼球に、ありとあらゆる情報が欠落している。

 “色”という光が無い――否、自身の体・・・・というその感覚すらない。

 体の重さも、重力、慣性すらも。

 肌の熱、空気の質感、水の音、毛筋が粟立つ様な静電気――

 それら現象……何かが動いているという気配が全く存在しない。

 意識はあり、それがある以上、脳を起点とし肉体は存在している筈なのだが。

 それが動かない……いや、意識というそれさえ本当に動いているのだろうか?

 自身の心の感覚さえ、薄闇の中に溶けているようだ。まるで、俯瞰した視点から見下ろしているような、それなのに、体の中にだけ感覚を置き去りにしたような。

 そこにあるのに、どこにも動けない。

ここにいるのに、何も感じられない。

 生きているのに、生きていない、死んでいるのに、死んでいない。

 自分達が見て、感じているものは、一体何なのか?

 自意識さえ欠如し、誰か・・がそう思った瞬間、


『――これは世界の崩壊の中で、『虚無』というそれに当たります。

 ――ですがこれでは分かりづらいですね。

 ――私と感覚を同期します』


 アンジェの、音でも脳の信号でもない、声が響いた。


 すると、黒だけだった世界に、白が混じった。

 崩壊した建物、地面、木、人――らしき形をした、人形のような、写真を切り取ったような、平面なのか、立体なのかも分からないそれらが佇んでいた。

 陰影、便宜的に与えられたモノクロームの景色。

 そこには、かつて世界だった何かが転がっていた。

 だが確かにその瞬間までは生きていたというように、いや、本当に生きていたのかさえ定かではない、虚ろな表情で、死んでいるのかも分からない相を持ち静止している。

 それは形だけ・・・を保った何かだった。

 誰かがそれをどうにか認識したところで、アンジェの声が響く。

『――世界の終末の形の一つ、この『虚無』では、物質が物質として存在しながら、世界における全ての運動が、あらゆるエネルギーに始まり、時間、空間、概念的法則でさえも全く機能せず静止状態にあります』

 言われながら、それを確かめる為にノーカはその『形』をした何かのモノに触れようとした。

 しかし、触れることなく、影を通り抜けたよう、それ場を手が通り過ぎるだけで終わる。

 確かにそこにある、しかし、そこにあるそれ・・が機能していない。

 疑似体験……しかし、映像として透過、通過したのではない。

 アンジェの言う通り、おそらく、空間――そして物質という法則が適用されていないのだ。なので距離感というそれが感じられず、質感が無く、そこに存在している、物質という形容を、他の存在が透過している。

 これは、本当に宇宙・・なのだろうか? 

 誰かがそう思った、それに呼応するよう、

『――これを起こした知性体の感情は、生も死も望まない『無』というそれでしたが、ある意味で生も死も望むという矛盾した心理が、“無”とさせた様子です。……では、今度はこの『虚無』を引き起こしたその瞬間を体験して頂きましょうか』


 時間が飛んだ。

 ……否、切り取られたようなそれが、そこに写った。

 否、移ったのだろうか?


 ノーカ達は先程までいた同じ場所に立っていた。

 かつて、それが起こったその時間に送り込まれたのか。

 色は、白と黒ではない。ノーカ達が棲む宇宙と同じに、そこはまだ生彩とした色がついていた。音も、風も、光もある。だが……そこは静かすぎる世界に思えた。

 それは、この宇宙の人なのか? 二足で歩行しているというそれ以外は、まるで出来そこないのマネキン人形が動いているような風体だ。それが周囲に――生きている者が存在しているのに、動いている者はいない……既に世界の終わりを悟っているのか。

 明るい顔――喜の感情を浮かべている者はおらず、多くの者が諦観に似た、無表情に似た、無気力なのか、絶望なのか、徒労か、束縛か、閉塞感とも呼べる、寂々とした感情に支配され、ただそこ此処に視線を置いている。

 立ち尽くしているだけかのように存在している。

 項垂れ、俯き、前を見ることも、自身の隣にいる者を見ることもなく、どころか己の生涯を振り返ることも無く、

 見たことも無い文明が栄えていたようにも見える。ただの三角体、立方体、球体、円柱、円錐、それが、ノーカたちの世界には無い技術が、概念が、それを動かしているのだろう。だが、今はそこに存在しているだけ。

 それだけの生きた証が広がる宇宙は、しかしそこに色が付いているだけの、風が動いているだけの、音がしているだけの、命が宿らない静止画のようであった。

 これが終わりなのか? 否、まだ終わっていない。

 この世界はまだ動いている、あらゆる法則が、生きている。


 しかしそこで――


 世界の皮膜が、内側へと引き込まれるように破れた。

外側からの圧力に耐えかねたように。

 内側のそれが飽和して、重さに引きずられた様に。

 色が壊れていく、赤が、黄色が、青が、緑が、白が、なくなり、混合し、どの色かも分からない色になり、悲鳴が轟いているのか、大地が軋んているのか、音が消え、それが存在しているのかどうかも分からなくなり、重さが失われ、前と後ろが捩じれ、天と地が交差し、一体になり、法則が乱れ、狂い、飛び、消失し、崩壊し、物質の、時間の、空間の境が、現象が曖昧になり――

 やがてそこに満たされ、それ・・に辿り着いた混沌の海が、その・・大きな感情に干渉し、影響され、混沌としていたそれをまた一つの色に塗り替えていく、混乱が消え、混沌が消え、黒一色に侵食し、塗りつぶされていく。

 ……それまでその世界に在った微かな別の感情や、期待も希望も全てを静止させる。怖いという感情も、痛いという苦しみも、悲しいという涙も、嫌だという叫びも、幸せが欲しい、という欠片させも、全てを否定し無に帰していく。

 皮膜を失ったその世界を、混沌が、その感情が影響を及ぼす範囲全てを黒で包み込み、やがてその中に存在するものは、全ての現象が、事象が虚ろとなり、無となり停止した。

 それはノーカ達が見た最初の光景――黒。


 そこにあるのに、何も無い――『虚無』となった。その宇宙は、爆発することも、消え去ることも無く、崩壊し、停止し、静止したまま混沌の海に存在していた。

 黒い点。否、球体。

 つい先程まで見ていた、壊れた宇宙の内側それが、外から眺めれば、ただの黒い玉とも云えない何か――何も見えない深淵のよう可能性の海にポッカリ穴を開けている。その中には何かが散り散りに――時間が、細切れに、空間が、歪んで、存在が重なり合って澱んで黒一色の中に存在している。

 表面上波打つことも無い、真っ黒な、真っ黒な、黒の真球だ。

 巨大な、ちっぽけな黒が、多元世界という宇宙の海の中に一つポツンと存在している。

 何もかも拒否しているように見える。何もかも響かないように見える。

 しかし、それはやがて、パチンと泡がはじけるように消えた。


 ――その寸前、一人の天使がそれに向け手を向けている様子があった。


 寸前――

「虚無は――知性体が絶望した果ての感情としてはまだ大人しい部類ですが。性質上、内外のありとあらゆる干渉を拒絶し無に帰してしまう為、無すらも無に帰す『消』という概念を当て、文字通り消し去ってしまうことでしか対処できません」

 気付けば、ノーカの自宅周辺、元の場所に立っていた。

 ノーカは仁王立ちで、白昼夢を見ていたかのよう瞬きを繰り返す。

 そして彼を睨み、

「……おまえ、おまえの女! もうちょいこう、心の準備とかそういうの無いのぉ!?」

 キースは猛烈に抗議しながら、ウボゲェ、と嗚咽を漏らし、四つん這いで息を切らしている。彼の周囲に居た兵士も、うの体でそこに自分の体があること、動くことを確かめている。

 ノーカは、すまん、と思いつつ目を逸らし、アンジェにちょっと目で注意するが、次から気を付けますと言わんばかりの清まし顔で塩対応された。

 ここに居た皆を、どこまで、あの体験に巻き込んだのか。

 先程まで宇宙が壊れ無に還っていく只中に立つ感覚を必死に拭い、悪夢のように、他者の諦観に自身が侵食され、支配されていったそれを振り払おうとしている。ある者はまだ胸の内に残る不気味な感覚を叩き出そうと拳で痛みを叩き起こし、ある者はその手で肌を掻き毟って呼び起こそうとしていた。

 近くに居たマリーは、腰を抜かしたのかへたり込み、自分の体を掻き抱いていた。

 それは今この場に居ない、彼女の想い人を求めているように見えた。

「……ここ、現実よね……」

「それ以外の何だ」

「……なんで、アンタ、そんな平然としていられるのよ……」

「実際に死ぬのならともかく、疑似体験だと言っていただろう……」

 生まれた時から戦争の中で生きていれば、アレと似たようなモノと、あれより酷い何かに巡り合うこともある。

 ……と、何故だか自分以外酷い汗を掻いていることにノーカは疑問を覚える。確かに、他人の気持ちや体の感覚が流れ込んで来るようで気味が悪かったが、そこまでなのかと。実際に、彼らと共に戦争を――戦闘をしている時もこんな温度差が時折りあったが、この精神の違いはいったい何なのかと。

 それを見つめていたアンジェは、しかしそこで、まだ頭がふらついているキース達に向かって問う。

「それで、どうでしたか? 知的生命体の感情が世界を崩壊させる、数式や公式、定理で説明、証明できない世界の摂理……実感・・していただけましたか?」

 それに、確かにその体感だけが残っていたキースは。

 そして、

「……ああ、だから精神感応技術に超能力者、それに未来予測に予知か……」

 四つん這いから、尻もちをつくような体勢で、青ざめた顔で吐き気を堪えながらそう呟く。

「……どういうことだ?」

 ノーカが問うと、

「要するにアンプ……スピーカー増幅器なんだよ。精神感応系の力は、人と人の意識や感情、心を繋げるから、より大きな感情に纏まっちまう……下手すると共鳴現象を起こして連鎖反応か? ……それから未来予測、予知は絶望的な未来にいち早く悲嘆をきたすって所か……それを覆せるよほどの天才か馬鹿、図抜けた精神力か哲学的思想でも持ってなければ、滅亡を受け入れるなんて出来ねえだろうがよ……。他は……俺が言うまでもねえだろ?」

 神と、天使が殲滅していったそれらは、類別してあと二種。

 戦争を続けている文明、そして自殺者が増加し続けるそれ。

 キースが言ったように、これらは改めての説明を必要とするでもなく、皆がアンジェの説明から、そしてつい今し方の体験からその危険性を理解していた。

 あれに類する何かが、世界の終末が起こるのだと。

 そこで、ノーカは、ある意味それに先駆けとして対峙していたのであろうアンジェに問う。

「……対策は?」

 皆がそれを求めるよう一斉に彼女に振り向いた。

「……そうならないためには、それまでの間に、精神的に、もしくは存在として死を超越、超克した、新たな知性体として、生物の壁、文化の在り様、生きる喜び哀しみ等を種として越える必要があるでしょう。……すなわち次なる進化の段階です」

「……それってつまり……」

 マリーが、なんとなくその結末を察しながらのそれに、アンジェは頷きを返し、

「……これまでの人類が持つ文化的価値感、人生の在り様、そして、生命としての形……今の幸せは最終的に、全て失われることになります」

 

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宇宙農業スローライフ~軍人辞めてド田舎暮らし、宇宙《そら》から天使《よめ》が落ちて来た~ タナカつかさ @098ujiko

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