第4話


 アルパイン邸にパトリックが来なくなって1節が過ぎた。


 このまま学校を卒業するまで来ないつもりだろうか? それならそれでいいか――とメリルは静かになった毎週末に少し寂しさをいだきつつ、何も言われない日々を謳歌していた。


 が、その日はいつもと大分違った。


「メリル、お前に刺繍の依頼が来たぞ!」


 驚いた様子のゴーディが2通の封書を持ってメリルの部屋を訪れる。


「私に……刺繍の依頼?」


 メリルが意味が分からない、と言いたげに言葉を反芻するとゴーディは詳細を語りだした。


「どうも最近パトリック様がお前が刺繍したネクタイを普段遣いされるようになったらしくてな……アベンチュリン領の貴族達の間で話題になっているそうだ。まあドラゴンやグリフォン、ガルーダならまだしもドラゴンゾンビにローパーやマンドラゴラ、骨取り込んだスライムと気持ち悪い魔物の刺繍なんてする奴はそうそういないからな。お前と同じマニアックな嗜好を持つ貴族達に刺さったらしい」


 メリルは確かにそれらの魔物を縫った記憶がある。兄から手紙を受け取ると、確かにそこには自分の刺繍に対しての称賛の文字が綴られていた。


 そしてバジリスクのハンカチ、ヒュドラのタペストリー――どちらも期限はいつでも良い、という言葉と結構な額の支払額が記載されている。


 メリルは自分の心が踊るのを感じた。そして今まで体験した事のなかった感動が込み上げてくる。

 自分の縫った物を認めてくれる人達は確かにいるのだという喜びと、例え人前で身に付ける勇気はなくても自分でひっそり楽しみたいと思う位には自分の作品を求めてくれる人がいる喜び――


 初めて体感する、人に認められる幸せに心跳ねる気持ちが抑えられず満面の笑みを浮かべるメリルと、そんな妹に心から良かったと思うゴーディの所に一人のメイドがやってきた。


「パトリック様がいらっしゃいました」




 メリルがパトリックに婚約解消のカウントダウンを告げた時と同じ、晴れた空の下のガーデンテラス――だがあの時と違うのはパトリックが無地のネクタイではなく表情豊かな小さなマンドラゴラがいっぱい刺繍されたスカーフをしている事。


 毎回回収しては新しいネクタイやスカーフを置いていかれるからてっきり捨てられているかと思っていたが、ちゃんと全部保管してくれていたようだ。

 それだけでもメリルは彼を見直したが、続く言葉でそれは確固たるものになった。


「……僕は、好きな人のセンスを恥ずかしいと思う事自体が恥ずかしい事なのだとようやく気づいた。僕は君が縫ってくれた物を身に着けても恥じない、笑われない人間になる。メリル……これまで君の好きな物に難癖をつけ続けてすまなかった」


 恥ずかしそうに謝られた後、深く頭を下げられる。

 あまりの変わり様に一体何があったのかとは思ったが、メリルはパトリックと違って気になった事をあれこれ追求する性格ではない。


 ただ、彼が彼自身の非を認め、自分が縫った物を受け入れて身につける――彼が心入れ替えたのが分かっただけでメリルは満足だった。


「メリル……刺繍なんだが、その……君が縫ってくれた物だから全部身に付けたい気持ちはあるんだけど、グリーンローパーは流石に恥ずかしくて……」

「それではブルーローパーを」

「メリル……前々から思ってたんだけど、もしかして君は僕が嫌いなのかな……?」


 その言葉を1節前に言われていたらメリルは否定しなかっただろう。だが――


「いいえ? 苦手だっただけです。まあつい先程好きになりましたけど」

「えっ……い、今なんて……!?」

「ローパーが嫌だというのであれば深海の大蛸クラーケンにしましょうか」

「わ、分かった……クラーケンなら頑張れる」


 メリルの、少しだけ温情を出した言葉にパトリックは頷く。その緊張した面持ちと真っ赤な色合いは先程のメリルの言葉を聞き逃した訳では無さそうだ。


 メリルは分かっていた。自分のセンスはけして褒められた物じゃない。そしてパトリックは自分のセンスを好んでいる訳でもない。

 それでもパトリックはメリルのセンスを背負って表に出る事を決意した。


 笑い者になってでも、恥をかいてでも、メリルが贈った物を身につける――パトリックのプライドを捨てた不器用な愛はメリルの心に大きく響いた。


(私が縫った物を公の場で身に付けた方は初めてですわ……)


 これまで甘い言葉やプレゼントで愛を示してくる男性は今まで山のようにいた。だが、メリルが刺繍した物を身に着ける人間はいなかった。

 兄ですらプレゼントした単眼の魔物イビルアイのジャボを自分の前で一度身に付けたきりで、公の場で身につけた事は恐らく一度もない。


 自分が刺繍した物を公の場で身に着けてくれる人がいる――それはメリルにとって初めての感動だった。


(私の為に笑い者になる覚悟までして。それ程までに私を愛し、離れたくないと思っている……そして私の物を本当に良い、と言ってくれる人の存在まで教えてくれた)


 そう考えると苦手だったはずのパトリックが急激に愛しく感じてくる。


「……負けましたわ、パトリック様」

「えっ?」

「ポイントがマイナスだけではパトリック様が気疲れしてしまいますわね。プラスの出来事があった場合は増やすようにします」

「メリル……! ありがとう……!! 僕嬉し」

「後8回、私が嫌だって思う事をしたら本気で婚約解消しますし、結婚後でも離婚します」

「えっ思ったよりプラスの量が少な」

「後7回」

「ぐうっ……!!」


 パァッと明るくなったかと思うとシオシオにしょげて愚痴り、容易く黙らせられる――普通の女性ならあまりこんな男に惹かれないかもしれない。


 だがメリルの男の趣味は嗜好同様、一般の女性達それとは少し変わっていた。

 見目は見るに耐えるものであればそれでよく、地位にも然程興味はない。能力だって別に人より突出しているものが何一つなくても良い。


 そんな些細な事より、自分の為に苦手も恥もプライドも乗り越えて愛を告げてくる人がいい。自分のセンスを堂々と受け入れてくれる人がいい。

 

 だから今、パトリックはメリルにとっての特別――自分の趣味を馬鹿にしてくる人達よりずっと価値のある存在になったのだ。

 頼りなくて、口が悪くて、からかい甲斐のある――自分をセンスごと受け止めてくれる、どうしようもなく可愛い人に。


「……心配しなくても侯爵夫人としてパトリック様に恥をかかせない立派なクラーケンを縫い上げてみせます。私も、貴方に嫌われたくなくなりましたから」

「えっ……えっ、本当……!?」

「ええ、本当です。パトリック様が後7回嫌な事を言わずに訓練や勉学に励まれてもっと素敵な方になられたら、もっと好きになってるかもしれません」

 

 それはメリルの素直な気持ちだった。自分の作品を身に着けてくれるこの人を馬鹿にされたくない。

 パトリック自身が願う『自分の作品を身に着けても誰にも馬鹿にされないような人間』になってほしいと願う。


 メリルがクスクスと笑う。その心から笑っているような可愛い笑顔はパトリックの心に響く。



 ああ、もう、この笑顔を見られるならネクタイにクラーケンでも何でも刺繍されてもいい――とパトリックが幸福の絶頂に至った、一ヶ月後。



 『クラーケンにリアリティを持たせたいから本物のタコが見たい』と言い出したメリルに遠い海の方までパトリックが付き合わされる事になるのはまた、別のお話。



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馬鹿にされた萌黄色の伯爵令嬢~婚約解消へのカウントダウン~ 紺名 音子 @kotorikawa

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