60.「ブルーカラー・マイナーズ」

 案外人間はどんな環境にも適応するもので、更に一日経過した頃にはあなたたちもかなり手際よく肉を処理できるようになっていた。メイベルが改良した酸も上手く働き、肉の再生を効果的に妨げているようだった。


 力の込め方も最適化され、纏わる悪臭も無視できるようになり、顔に血しぶきが飛んでも構わなくなった。ブーツに絡む肉さえも、最早身体が自動的に振り払うような状態だ。


 深く掘るだけならそこまで苦労しないが、しかしそれでは幾ら時間があっても足りない。そこであなたたちが考え出した作戦は、可能な限り深く掘り、そこから横に掘る。そうして彼方此方で坑道のように掘り進める単純なものだった。


 一見あまりにシンプルすぎる作戦だが、あなたたちにはそれを考案するに足る根拠があった。


「メイベルさーん!」


 あなたの腰に巻き付けたロープが、くっと引かれた。大きな魚が釣り針に掛かったような反応だ。名を呼ばれたメイベルが声がする方を――深い穴の奥、あなたと繋がったロープの先を覗き込んだ。


「どうかした?」

「底に当たりました!」

「よし、引き上げるわ」


 あなたは頷き、ロープを力いっぱい綱引きの要領で引き上げた。ブーツの踵を杭のように刺し、滑らぬよう気を付ける。

 少しづつ、慎重に手繰り寄せ、やっとの思いで血みどろのカレンを穴から救出した。あなたは力を込めすぎて固まったように痺れる掌をほぐす。


「大事ない?」

「ええ、血でぐしょぐしょですけど……」


 『底』、その存在があなたたちのささやかな希望となった。深く、深く掘った先に突き当たる硬質化した何か。血で赤く染まった骨のようなそれが何なのか、あなたには見当がつかなかった。欲を言えば土を見たかったが、少なくとも底があるのならそれを目標にできる。終わりのない仕事に一筋の光が差した。


 取り敢えず底まで掘り、そこから横に切り開く。崩落の兆しがあればすぐに脱出して次に取り掛かる。


 意外にも、上より下の方が安全だった。地下での肉の蔓の密度は凄まじく、絡まりすぎて自ら身動きが取れなくなっている。むしろ前の晩に噴射した酸の方が危険だった。可能な限り肌を隠して、高濃度の酸に触れないよう祈るのだ。


 本来であればこういった危険で荒々しい汚れ仕事はあなたの領分だが、今回はカレンとメイベルが交互に潜っている。肉の壁はぬめって滑りやすく、上からロープで吊るのが最も安全で、あなたの体重は二人の合計よりも重かったからだ。


 あなたにとって穴へのダイブは上等なデザートの山に飛び込むような、ある種ご褒美的でさえあったが、残念ながらあなたをロープで吊りあげられる人間はここに存在しない。皆揃って転落するのは御免だった。


「交代ね。あんた、頼んだわよ」


 メイベルは自分の腰に巻いたロープをあなたに渡した。もうしばらくあなたは人力エレベーター係だ。


 メイベルは短剣を撫で、青い冷光の粒子を纏わせた。短剣は幻想的な刃を持つ長剣となり、これで肉を開拓するのだ。いつぞやの幽霊屋敷でも似たような魔術を見たなと、あなたは思い出す。


 魔術で強化された剣は信じられぬほどの切れ味を持つ。コンクリートすらバターのように切り裂くその刃で、彼女は手際良く横穴を掘るだろう。

 ゆとりのあるローブのシルエットをベルトで締め、フードに加えて布で顔を隠して準備万端だ。まるでラぺリングのように、メイベルは穴の下へと降りて行った。



 頭から水を被り、風呂に入り、夕食を食べ、与えられた部屋に戻る。この一連の流れは既にあなたたちの生活に浸透していた。いきなり水をぶっかけられても、もうメイベルが青筋を立てることはない。


 最初は眉をひそめていた三人部屋も、今となってはもうどうでもよかった。

 ウェイストランダー、魔術師、賞金稼ぎ。てんでバラバラの集まりに思えるが、あなたたちは勤勉なブルーカラーという共通点を持っていた。いわば同志なのだ。


 疲れ切っていて、互いの存在があまり気にならない。


 扉が開き、またも留守にしていたメイベルが戻って来た。手には書類の束を抱えている。


「おかえりなさい、メイベルさん。それは?」

「ただいま。ニーナから面白そうな書類借りてきたわ」


 そこでメイベルは、カレンがしきりに髪に触れていることに気付いた。濡れた烏の羽のような美しい、艶のある長髪だ。しかし今は幾らか輝きが損なわれているように見える。


「髪、やたら気にしてるわね。どうしたの」

「痛んでるみたいで……ここの洗剤強すぎるんですよね」


 仕事終わりの髪は血と汗でどろどろになる。それを洗い流すために砦の風呂に用意された洗剤は、食器洗いに転用できるのではないかと思えるほど強力だった。あなたも髪を洗うたび、汚れと一緒に髪の栄養が流れ出ているのではないかと錯覚を覚えるくらいだ。


 あなたの髪は元々大したものではない。ロクに整えられていない短髪はぼさぼさで荒く、負け犬や毬栗を連想させる髪質だ。しかし、年頃の女性にとっては問題だろうと、あなたはカレンを見て思う。


「これ塗っときなさい」

「……これは?」

「植物油とか薬草とか色々混ぜた物よ。良い匂いだし髪もさらさらになるわ」


 メイベルが渡したのは、透き通った緑色の油だ。

 コルクで栓がされた小さな瓶に入っていて、底の方に緑のもやが沈殿していた。


「振らないで上澄みを塗るのよ」

「いいんですか、高そうですけど……?」

「高くないわよ。私が作ったんだから」


 カレンは瓶を開け、油を手に広げて髪に塗り広げた。たちまち艶が戻り、爽やかな森の香りが空間に広がる。パンチの効いた調味料のような見た目とは裏腹に、気の利いた整髪料らしい。


「これ凄いですね」

「気に入ったんならあげるわ、いっぱいあるし」

「えっ……じゃあ、ありがたく頂きます」

「いざとなったら飲めるから。クソ不味いけど、栄養あるし」


 やいやいと歓談が広がる。微笑ましい光景だと、あなたはブラスターガンを弄びながら見ていた。ふと視線に気付いて顔を上げると、カレンがあなたの髪を見ていた。やつれた老犬のような刈り上げ。それを憐れんだのか――恐らくは純粋な親切心で――整髪料を差し出した。


「使いますか?」

「そいつ髪質なんて気にしないでしょ」

「でもあんまりですよ」


 まさかあんまりとまで言われるとは思っていなかったが、仕方がない。あなたは油を少しばかり手に取り、口に含んだ。煮詰めた魚の肝のような苦さに爽やかな香りがミスマッチ。前言撤回、やはりパンチの効いた調味料だ。


「えぇ……」

「ほらね? やっぱり馬鹿じゃない」


 飲めると言われたから飲んだまでだ。仕方がない、あなたの脳では大脳辺縁系が幅を利かせているのだから。大脳新皮質は隅っこに隠れてしまっている。


「そもそもなんで髪伸ばしてんのよ。取っ組み合いになったら掴まれない?」

「そう言って短くする人もいますけど……昔から伸ばしてるし、切るのは勿体ないかなって」

「ふーん……綺麗だものね。手入れ大変そうだけど」


 部屋の真ん中に鎮座する小さなテーブルに、メイベルは書類の束を置いた。手振りで全員に集合を促す。背もたれのない、座り心地の悪いスツールが三つ用意されていた。


「これ、砦の報告書兼日誌だそうよ。探索に役立つことは書いてないかもしれないけど、情報はあって損しないから」


 あなたは適当な一枚を手に取って斜め読みした。事件の発端から発覚、その後の対応――砦の建設や兵士の配置に必要とされる諸々の費用などが箇条書きで並んでいる。


 皆して書類を眺めていると、カレンが突然何かを思い出したかのように声を上げた。そして実際、何かを思い出したようだった。


「そういえば、私読みました。あの本、えーと……」

「本って……『貴女への詩編』のこと? 本当に?」

「そう! それです、そこの本棚に――」


 カレンが本棚へ向かい、一冊の本を取り出した。見覚えがある――先日、彼女が読んでいた本だ。異常性の発現していない、一六七冊中の一冊。表紙には当然、『貴女への詩編』とある。


「ここにあるってことは読んでもいいってことですよね」

「そうだろうけど……大丈夫? 身体に変なとことかない?」

「平気です。無難な小説でしたよ……本なんて滅多に読まないんですけど」


 それで、と言葉を区切ってカレンは続ける。


「最初説明を受けた時、シロアッフさんが言ってたじゃないですか。一人の男が突然現れた、って。その人小説の主人公じゃないのかと思って」

「へぇ……」


 カレンが小説のページを開き、メイベルの探し当てた資料を照らし合わせた。あなたも体を傾けて覗き見る。


「報告書にある男と小説の主人公の姿格好、概ね一致しているように思えるわね」

「でも、本の中から人が出ますかね? 言い出したの私ですけど……」

「相手は未知の魔術書よ。私にも分からないけど、そういうことなんじゃないの」


 『本は死んだ女を蘇らせようとしている』、シロアッフはそう言っていた。本は、自らに記された主人公を使いとして送ったのだろうか。


「仮に男が小説の主人公だとして、今何処にいるのかしら」

「肉と一体化しちゃったとか」

「いい気味ね」


 もし無事に女を蘇らせることができたら、男は肉を消してくれるだろうか。そもそも、今のこの状況は男にとって制御できていると言えるのか。


 分からないことだらけだった。もう一週間が経過したが、あなたには何も分からない。


「一旦中断して、明日の作戦を練るわよ。地図を見て」

「結構掘ってるみたいですね。必死すぎて気付きませんでした」

「ええ、みんなよくやってるわ。明日は――」


 その日の晩、暗くなった部屋であなたはランタンの火を小さく灯して小説を読んだ。人生で一度目か二度目か、本は数えるほどしか読んでいない。


 言葉の意味や言い回しが理解できない部分もあったが、なぜか良い気分だった。今まで破壊しかしてこなかったあなたにとって、読書は知識を頭に積み上げる建設的な行為なのだ。


 殺してばかりの人生を続けるのか、変えるのか。柄にもなくあなたはそんなことを考えていたが、やがて眠りに落ちた。

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あなたと異世界の物語 паранойя @paranoia-No6

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