59.「肉と火竜」
手短に会計を済ませたニーナは、あなたたちを防壁の上へ案内した。
そこは駐留所と赤い花畑、生と死を隔てる場所であり、蠢く肉の花畑を一望することが出来た。肉は生き生きと、生命の喜びをあらん限りの声で叫んでいるかのように暴れ回っている。
蔦を伸ばす速度は日中の比ではなく、その勢いで石でも貫けるのではないかと思えるほど早い。鎌首をもたげる蛇のように狙いを定め、防壁や兵士に向かって目にも留まらぬ速さで突進し、凄まじい炎に迎撃されて枯れるように焼け焦げた。
防壁の上にずらりと並べられた、バリスタとタンクを管で接続したような見た目の装置から炎が吐き出されている。それは殆どが金属で構成され、噴射口はラッパ銃の銃口を細長く延長したような印象だ。
瞳にオレンジの炎を輝かせ、カレンが恐る恐るといった様子で尋ねた。
「これは……」
「火炎放射器です。我々は火竜と呼んでいます」
気体としての炎ではなく、燃える液体を噴射しているのだとあなたは推察した。
燃やされた蔦は激しくのたうち、炎を振り回してばたばたと音を立てている。それが複数同時に起き、重なり合って増幅し、『布が風にはためくような音』となっているようだ。
燃えきれなかった液体が振り落とされて下に広がる肉の花畑をも焼き、熱が生み出す上昇気流が煤を巻き上げて夜空を汚す。もしこれが日中なら、渦巻く黒い空気が見えただろうかとあなたは思った。
「ただのバリスタかと思ってたわ」
「遠目ではそう見えるでしょう。砦の外にも同様の装置を付けています。もし、肉が囲いから溢れ出てしまった時の為に」
あの時、あなたを見つめていたのは火炎放射器だったらしい。
如何に人間離れした再生能力を持っていたとしても、炎にはとても敵わない。熱は蛋白質や組織に不可逆的な損傷を与える。ゆで卵を生卵に戻せないように、一度焦げてしまったらもうお終いだ。
炎が人を惹きつけ、高ぶらせるのは何故だろうかとあなたは考えた。きっと、全てを解決してしまえるからだ。見たくないもの、厄介なものは全て燃やしてしまえばいい。問題さえ消えてしまえば解決策を考える必要もないのだ。だから炎は清潔で完璧で、美しい。
「時々お偉方が来るんですよ。一体何故この場所に目眩がするような予算が投じられているのか、と。皆この光景を見れば納得します。ここは最前線、我々がいなければ予算は浮きますが国も消える」
炎と肉はほぼ拮抗していた。火竜はタンクが空になるまで炎を吐き出し続け、新たに補充する隙を別の火竜が補う。そうして絶え間なく燃やし続けても、肉の侵食は一向に衰えない。もし五分でも空白が生まれようものなら、この砦は一息に飲み込まれてしまうだろう。
「この調子で全て燃やせないんですか?」
「無理ですね、根が深すぎます」
「なるほど、結局は大本の本に対処するしかないと……」
「目に見える部分を全部焼いても次の朝には下から生えてきますからね」
ニーナが煙草に火を付けると、刺すような清涼感があなたの鼻腔を突いた。
壮絶な光景に気を取られ気付かなかったが、ここは下よりも酷い臭いだった。腐るような甘ったるさ、焦げた蛋白質、燃料のむせるような刺激臭。それらが複雑に絡み合い、何とも表現し辛い悪臭を構成していた。
煙草を吸えば、身体に入る空気をすっきと上書きすることができる。彼女がヘビースモーカーになったのも、この環境が大きな理由だろうとあなたは思った。
あなたは火竜を操る兵士たちを見やった。彼らの瞳は恍惚に輝き、とろりと溶けていた。自らの両手が優れた指揮者であるかのようにひとりでに動き、燃え盛る火炎を操って憎き肉を駆逐してゆくさまに酔っているのだ。
兵士はこうして朝日が顔を覗かせるまで焼き続け、日が出ている間眠り、夜が来るとまた業火に狂う。煙草にせよ何にせよ、ここでの楽しみには必ず火がついて回るようだ。
「ただの油じゃないのね」
メイベルが火竜の噴射口を見て言った。やや粘性のある液体がぽたぽたと垂れていた。
「火竜よりも液体の方が高そうね」
「ええ、おっしゃる通りで。特別に調合した燃料です」
「……魔術師の居場所がなくなる日も近いわね」
「どうしてです?」
小さく呟くようなメイベルの声をニーナは拾った。
「魔術師の仕事を機械で再現できるようになってるもの。じきに戦争では魔術師の数より銃を持った兵士の数が重要になるわ。酒場の製氷係でさえ、きっと機械がなり替わる」
「その頃にはあなたは生きていないでしょう」
「いいえ、そう遠くない未来よ。技術が技術を発展させるから」
煙草の灰が風に飛ばされ、渦を巻く煤に合流した。もう見分けがつかない。
ニーナは吸殻を火竜が吐き出す火炎に投げ込み、新しい煙草を取り出した。
「昔は火竜の代わりを魔術師が担っていましたが、こちらの方が安価で安全です。魔術師は、その……なんと言いますか」
「扱いにくいってんでしょ? 濁さなくていいわ、その通りだし」
「まあ、そういうことです。どういうわけか、優秀であればあるほど魔術師は奔放になって手が付けられない」
「魔術師はそういうものよ」
あなたの脳裏に浮かぶのは、これまで遭遇した魔術師の面々。数は少ないが、みな独特の思考回路を持つ個人だった。
「……ま、先のこと心配しても仕方ないか。今考えるべきは目の前の肉をどうするかね」
「頼みますよ。そろそろこれに終止符を打ちたいので」
「私たちだってそうよ。さっさとこんなこと終わらせたい」
しかし、その方法が思い浮かばない。あなたはそう脳内で付け加える。
カレンが小さく手を挙げ、言った。
「今までに亡くなった方々は……どんな方法で本を探したんですか?」
「基本的には剣で闇雲に切り開いていましたが、各自工夫は見られましたね。魔術師も多くいましたから、焼いたり凍らせたり吹き飛ばしたり……」
「それだけやっても見つからなかったと」
「そうですね」
ニーナの瞳は疲れ切っていた。
「ここに長く滞在すると、兵士の多くは精神を病みます。毎日毎日気の触れたような場所で寝泊まりして決まった勤務。交代制ではありますが、昼間は眠って夜に火を放つ。人間は昼夜逆転生活を送るようにはできていない」
あなたは辺りを見回した。肉と炎の攻防は続いている。
「国際情勢が不安定になる中、ここは国家の大きな弱点になります。莫大な予算と多くの兵士をここに集中させている。もし戦争になったとしても、ここから兵士も予算も引き上げられない――いや、既にこの場所自体が戦場と言っても良いでしょう。その程度には資源を消費しています」
「戦争なんてそうそう……」
「何故起こらないと?」
カレンの呟きにニーナは鋭く切り返した。その勢いは過剰で、あなたには病的にさえ見えた。
「対外戦争は既に十分な議論がされているので触れませんが、問題は国内です。我々は抱えている問題が多すぎる。この場所は勿論、魔術師間の抗争に弱腰すぎる国王。今憂慮すべきは外より中なのですよ。最も恐れるべきは身内で――」
そこまで言って、ニーナの声は尻すぼみになって消えた。
「とにかく、我々は自ら焼けることになると、それだけは言っておきます」
「じゃあ、私はどうすれば……」
「普通に過ごせばいいのよ。私たちでどうこうできる話じゃないんだから。それより今は――」
彼女たちの声を聴きながら、あなたは焼かれる肉を見ていた。
やがて火の粉があなたの掌に乗り、僅かな熱量を使い果たして消えた。
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