第12話 変わり者のマヤ③
「ピアノ、ご実家にあったんですね。珍しいですね」
コウキは聴きにいくからには無知でいるわけには行かないと考え、情報収集をすることにした。マヤは「確かにそうかも」と同意しつつ解説をした。
「昔は音楽を仕事にしていた家系みたいなんです。楽器を演奏する人もれば、歌手だった人も。あと指揮をする人とか」
「……『シキ』ですか? 季節のことではないですよね」
初めて聞く単語に戸惑ったコウキが聞き返す。マヤは苦笑しつつ、解説を続ける。
「ご存知ないですよね。今はそんな人いないですから。指揮はオーケストラのリーダーです。オーケストラは様々な楽器を組み合わせた楽曲です」
「バンド、みたいなもんでしょうか?」
集まって演奏するならバンドも同じだ。違いが分からない。
「もっと大人数です。数十人で演奏します。あと、楽器の演奏だけで歌はありません」
「へー」
そう答えるしかなかった。決して、興味がないような返事をしたかったわけではない。想像できないので、すぐに適当な返答が出てこなかったのだ。
「せっかくなので、コウキさんが好きな歌い手さんの名前も教えてください。私もトライしてみます。その……キーボードですけっけ? それって、ピアノに近い楽器みたいですし」
マヤはコウキのTシャツの絵柄の一人を指さした。キーボードを叩くメンバーの一人だ。コウキと逆でマヤは『バンド』のことをイメージできなかったのだろうか。音楽にゆかりがあるようなので、興味が沸いたようだ。
「マヤさんの好みに合うか自信はないですが……無理しないでくださいね」
コウキは好きなバンド名をいくつかマヤに伝えた。腕時計が稼働していればメモを録音できるのだが今はできない。マヤは聞いたバンド名を小声で忘れないようにブツブツと繰返して暗唱しようとした。
「コウキさんと私、趣味も生活も随分と違いますね」
暗唱し終えたマヤがこれまでの会話を総括した。確かにその通りだ。天然の食材で料理するマヤと、合成されたステーキを毎日食べるコウキ。外でトレーニングをするコウキに、家でピアノを弾くマヤ。
「正反対と言ってもいいくらいですね。でも、お互いの好みを共有しあうのも楽しいかも……話しているとそう思い始めました。今までこんなふうに考えたこと、なかったです」
好きな食べ物、好きな服、好きな音楽、ストレスのない職場……。特段の不満なく送ってきた生活。その範囲を超えて手を出す理由がなかった。
しかし、皮肉なことに人々な好みを満たしてきた巨大コンピューターが停止したことによって、正反対のマヤと出会うことができたのだ。
「互いの好みを試したら「やっぱり合わない」って思うのかしら?」
マヤがポツリとつぶやいた。その可能性は否定できない。人々は好みに合うように生活をデザインしている。合わないものを積極的に取り入れる必要はない。
「それでも、こうやって時々、お話してくれますか?」
マヤは、丸い目を大きく開いてコウキを見つめた。コウキは、吸い込まれるような感覚を覚えた。自分も同じ気持ちだ。正反対だけどマヤのことをもっと知りたいと思った。知りたいのはマヤが興味をもつ自分とは別の好みなのか、マヤ自身についてなのか、コウキには分からなかった。どちらでも良かった。とにかく、もっと知りたいと思ったのだ。
「もちろんです。こちらこそ」
コウキが表情を緩めると、マヤもうれしそうに笑った。
ピーーーーー。
突然、甲高いビープ音が鳴った。周囲の静寂を唐突に破った機械音に二人はビクッと背筋を伸ばした。顔を見合わせたあと、二人はそれぞれの腕時計に視線を向けた。コウキは自分の腕時計に耳を近付けた。音は確実にそこから発せられている。
「何か鳴ってますね」
マヤも自分の腕時計に耳を近づけている。
「私のも鳴ってます」
ビープ音は、数秒後に途絶えた。
『再起動しました。ヘルスチェック完了。正常に機能します』
二人の腕時計から同時に合成音声が流れた。音声が重なり、不思議なハモリを起こした。
「どうやら直ったみたいですね」
「そのようですね」
二人は顔を見合わせた。マヤは安堵の表情を浮かべた。コウキと話せて気が落ち着いたようだが、やはりコンピューターの制御が無いまま夜を過ごすのには不安があったのだろう。
手すりから道路を見下ろすと、自動運転車が動き出していた。システム全体が復旧したようだ。太陽は沈み、辺りはすっかり暗くなっていた。
「じゃあ、明日、朝九時に一階で」
「はい。歩ける靴ですね。寝坊しないように頑張ります」
「何か合ったら……いつでも僕に連絡ください」
「ありがとうございます。そう言っていただけると安心です」
マヤは、遠足の前の日の小学生のような期待に満ちた表情で小さく手を振って自分の部屋に入って行った。マヤを見送ったあとコウキは改めて、街並みに目を移した。ビルやマンションには明かりが灯り、車は何もなかったかのように走っている。一見、いつもの風景に戻っている。
そう思った瞬間、コウキは蒸し暑さを感じた。今まで気が付かなかった。異常事態で気が張って感覚が鈍っていたのかもしれない。隣に住む見知らぬ女性と話すという非日常な出来事のせいだったのかもしれない。
「さて、部屋に戻るか」
そう言い聞かせて、ドアノブに手を掛けた。鍵を壊してしまったので、制御が戻った今でも簡単に開いてしまう。マンションの入り口は住人しか出入りできないので、セキュリティ的には心配は要らないだろう。明日、修理を依頼することにしよう。
室内は涼しかった。制御が戻り、エアコンが自動的に室温を快適な温度に調整したのだ。水を飲もうと思い台所へ移動しようとして立ち止まる。制御が戻ったのならコーヒーのほうがいい。
「あのっ」
いつもなら「コーヒー、お願い」と腕時計に指示するところだ。しかし、機能が戻っているか分からないと一瞬、頭によぎったので変な問いかけをしてしまった。
「御用があれば申しつけください」
聞きなれた女性の電子音が流れた。よかった、復旧している。コウキはコーヒーを頼んだ。食物生成器にカップを入れるとホットコーヒーが出来上がった。今度は緑の流動物があふれ出ることはなかった。
床に倒れたユメを見ると少し心が沈んだ。彼女が悪いのではない。制御がおかしくなっただけだ。彼女をどうするかを今日、考えるのはやめて、そっとシーツをかぶせておいた。
コウキは翌日のことを想像した。外の暑をから推測すると、明日は思った以上に気温が上がるかもしれない。必要な物の中に「帽子」を入れておけばよかった。そう思いつつ、コウキはクローゼットを確認した。愛用しているスポーツ用のキャップが二つ視界に入る。古い方を自分が使って、新しい方はマヤが使えるように一応持っていくことにしよう。そんなことを考えていると、明日のトレーニングが楽しみになってきた。
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