第10話 変わり者のマヤ①
「私、ちょっと変わっているのかも……アナログが好みっていうか。時代遅れっていうか。あっ、名前言ってなかったですね。私、マヤって言います。よろしくお願いいたします」
マヤと名乗ったその女性は、黒髪がバサッと前面になびくほど勢いよくお辞儀をした。緊張が随分と和らいだように見えた。
「僕はコウキです。あなたみたいな若い女性がお隣なんて知りませんでした」
コウキが微笑みかけると、マヤも「こちらこそ」と無邪気な笑顔を返した。最初は大人っぽい印象を感じたコウキだったが、マヤの仕草や笑顔に触れると、そこには幼っぽさが残っているように思えた。とても素直で話しやすそうな雰囲気を持っている。
「アナログな人間といっても、やっぱり、機械が止まっちゃうのは困るわ」
マヤが手すり越しに遠くの空を眺めながらつぶやいた。だいぶ低くなった太陽は真っ赤に色づいて、マヤを照らしていた。白いワンピースの色が変わったかのようだ。
「ですよね。俺、いや、僕なんて食物生成機を動かしたら中から緑のドロドロの原料があふれ出してきて大変でしたよ」
コウキは頭を掻きながら、マヤの横に少しだけ近付いて遠くの空に視線を投げた。
「食物生成機? ああ、自動で料理を作ってくれる機械ですね。実家に住んでいたころ、使っていました」
実家で、とはどういうことだろう。今、住んでいるのは実家ではなく、以前に住んでいた実家には食物生成器があったという意味だと考えるのが自然だ。この部屋には一人住まいなのだろうか。もしかして結婚している? 若そうに見えるがあり得る。部屋の広さも夫婦で住めるほどはある。そう考えるとコウキは少しガッカリした気分になった。
「もしかして、今は食物生成器をお持ちじゃないんですか?」
結婚しているのか、とは聞けないので遠まわしに聞いてみることにした。
「ここで、一人暮らしを初めてからは、使ってないです」
コウキは同時に二つのことが気になって、マヤの言葉を頭の中で繰り返した。一つは一人暮らしであるということ。結婚していないことは確定のようだ。二つ目が食物生成器を持っていないこと。この装置に頼りっぱなしのコウキは、それなしにどうやって生きていけるのか、全く想像ができなかった。
「フフフ……当然よね。絶滅危惧種ですよね……フフフ」
コウキが不思議そうな顔をしていたのに気が付いたからか、マヤは自らを絶滅危惧種だと言った。そして、自分が口にしたワードが面白かったらしく、手の口に当ててクスクスと笑いはじめた。
「で、コウキさんはご結婚されてるんですか?」
笑いの山を越えたマヤが唐突に聞いてきた。これまでの会話の流れだと「コウキさんも一人暮らしなんですか?」が正しい質問だろう。もしかして天然な性格なのかもしれない。
「そんなに、大人っぽく見えますか? あっ、ちなみに独身の一人住まいです。両親は気候の良い沖縄に移住しました。良くあるパターンです」
マヤはまだおかしいらしく、クスクス笑っている。しかし、話はちゃんと聞いているようだった。
「失礼ですが、食物生成機を使わずにどうやって暮らしているんです?」
コウキが食料を得る方法は、食物生成器を使う以外は、アンドロイドのユメが作るか、買ってくるしかない。
「天然の食材を買ってきて、自分で作るんです。売っているお店は少ないですけど、根強い需要はあるみたいですよ」
コウキは聞いた事があった。土で育てた野菜や、牛や豚の肉を売る店があることを。コウキは行ったことはないし、場所すら知らない。
「機械で作る料理ってどれも同じように思えて、自分で作ることにしたんです。天然の食材を使うと同じように作っても毎回、味が違うんですよ」
そんな手間が掛かることを望んでする人が居るとは想像したことがなかった。コウキは毎日、ステーキの生活。味が毎回、違うと言われると、天然の食材で作った料理を食べてみたくなった。
「テレビも見ず、料理も自分でされるなら、機械が止まってもあまり困らないんじゃないですか?」
コウキは首をかしげながらマヤを見た。マヤと視線があってドキッとしたコウキは、目をすぐに逸らした。
「普通の人よりは困らないかも。でも、腕時計を使って両親や友人とおしゃべりはするし、シャワーの温度は自動だし、やっぱり困ります。あと、一人になったみたいで怖いです」
女性の独り住まいだと余計にそう思うだろう。アンドロイドに襲われた話を冗談交じりで話そうかと思っていたが、怖がらせることになりそうだ。その話は、別の機会にしよう。
「コウキさん? 今度は私から質問してもいいですか?」
マヤは声を弾ませて、何かを思い出した様子で切り出した。
「何でしょう?」
質問されたことが妙にうれしかった。マヤが自分に興味を持ってくれているのだ。
「毎朝、散歩されていますか? 朝、カーテンを開けると、川の方へ歩く男性をよく見るんです。あれ、コウキさんですよね?」
朝のトレーニングが目撃されていたとは、意外だった。しかし、隠す理由は何もない。むしろ、話の話題ができたのはラッキーだ。
「よくお気づきで。それは、僕です。ほとんど毎日、外でトレーニングをしているんです」
「トレーニング? 外で……ですか!?」
マヤは相当、驚いたらしく目を丸くしている。日課としてトレーニングをこなすコウキには、何が意外なのかが分からなかった。
「まずはウォーミングアップで川まで歩きます。そこから5キロほど走ります。その先の公園で腹筋や背筋をして、また帰り5キロ走るんです」
「ええええ~!! ご、5キロも走るんですか!?」
マヤは頭の後ろから声が出ているのかと思うほど、高い声で驚きを露わにした。
「日の光を浴びながらのトレーニングは、気持ちいいですよ」
「じゃあ、その引き締まった体は機械を使わずに?」
マヤはコウキのシャツの腹筋の当たりを指さした。
「ええ、筋肉刺激機はズルをしているみたいで好きじゃないんです」
「フフフフ……ハハハハハハ」
笑うときは、おしとやかにクスクスと笑っていたマヤが、口を大きく開けて笑い始めた。お腹がよじれるほど笑うというのは、このことかと思うほどだ。
「そんなにおかしいですか?」
「ごめんなさい、ハハハ。だって、食物生成機を使わないって言った時、私を化石でも見るような目で見てましたけど、コウキさんも十分に変ですよ!」
そんな風に考えたことがなかったが、言われてみるとその通り。筋肉刺激機で家に居ながら理想の体形が作れる時代だ。つらいトレーニングをするのは合理的とは言い難い。
「趣味みたいなものです。今度、ご一緒にどうですか?」
突然の誘いに驚いたマヤの笑いが止まった。目を見開いてコウキを真っすぐに見ている。唐突に誘ってしまったのは、まずかったか? コウキは少し焦った。
「わ、私が外でトレーニング!? そんな、大それたことをしてもいいんですか?」
笑いが止まった理由は「外でトレーニングをすることは大それたことだから」だった。誘ったことを不快に思ったのではないことが分かったので、コウキは安堵した。
「5キロは無理だけど、軽めの運動から……やってみようかしら」
そのあと、マヤはトレーニングに必要な準備を聞きたがった。コウキは動きやすい服装に、運動靴があれば十分だと答えた。「いきなり走るのは大変なので最初は散歩、歩く距離が伸ばせたてから走り始めるのがいい」と助言した。
「一人は不安です。もしよろしければ、ご一緒させてください。お邪魔なら放置してくれていいですから」
マヤは未経験のトレーニングが楽しみになったのか、声が弾んでいる。
「放置なんてしないので、安心してください」
トレーニング仲間ができるのはコウキにとってもうれしいことだ。それも、こんなに可愛らしい女性なら大歓迎だ。
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