第8話 ドアを開けたら
台所で蛇口からコップに水を注いで一気に飲む。コーヒーは作れなかったが手動で水が出るのは救いだ。仮に食べ物がなくても人は水だけで数週間、生きられると聞いたことがある。逆に水が無ければ、4,5日で命を落とすらしい。
そんなことを考えながら、空になったコップを置く。まあ、外に出られれば食べ物を入手できるだろう。食物生成器が動かなくても、しばらくはそれで
マンションの廊下を歩いて自室に近付くと自動で鍵が開くようになっている。これまで気にもしなかった当たり前の機能だ。しかし、巨大コンピューターがトラブルなので、ドアが開かない可能性が高い。手動でドアが開けれなければ、廊下に出ることが出来ないことになる。
しかし、心配には及ばないと思った。ドアの内側には回転式のつまみがあることを記憶していたからだ。それを回せば手動で鍵を開けられるはず。
スパゲティを食べたばかりなので空腹感はないが、いつかはお腹空く。外に出られるか確認しておくことは、この状況を考慮すると重要なことだ。
コウキはリビングからまっすぐ続く5メートルほどの廊下を玄関へと進んだ。ドアを観察するとドアノブの上につまみが着いていた。記憶の通りだ。それを迷うことなく右に回した。
「これでよしと」
レバー式のドアノブを下げながら外側へ押す。……おかしい。ドアは固く閉ざされたままビクともしない。体をドアに当て、体重を掛けて押そうとするが壁のように少しも動かない。
つまみを回すだけではだめなのか? ドアを丹念に調べるが、ほかに手動で動かせそうな部分は見当たらない。コウキは焦りを感じ始めた。ドアが開かなければ、監禁されたも同然だ。本当に水だけで過ごすことになる。外と通信できる腕時計は動かないので、外部に危機を伝える手段はない。同じ状況の人が多数いることは予想できたが、他人のことを気にしている場合ではない。なんとか出る方法を考えないと……。
この部屋に引っ越して来たときのことを思い出した。不動産会社の社員から非常時のドアの開け方について説明があった気がする。そのとき、紙の説明書きを渡された記憶がある。それさえあれば……と頭によぎった。しかし、無駄だとすぐに気が付いた。端末で何でも調べられる時代だ。紙は場所を取るだけなので、コウキは紙をあっという間に捨ててしまう。まさか、こんな時に困ることになろうとは。
額に汗がにじんできた。部屋が暑くなってる。エアコンが動いていない。暑い部屋に閉じ込められ続ける可能性を考えるとうんざりした。
助けを求めるか? 高層階のコウキの部屋は、窓を開けることができない。落下防止のためだ。室内から外に合図を送るしかない。しかし、部屋の窓は地上からは見えない。制御が失われているこの状況ではヘリコプターが飛ぶこともできないだろうから、空中に向かって合図をしても誰にも伝わらない。
落ち着け、と言い聞かせる。困っているのは自分だけじゃない。そう思うと、焦る気持ちが少しだけ収まった。
とにかく、廊下まで出る。これが当面の目標。外の状況が分かるし、助けを求めることだってできる。目が開いたまま宙を仰いで倒れているアンドロイドと夜を過ごしたくない。電気はまだ来ているようだが停電になる可能性もある。そんなことになったら、たまったもんじゃない。ドアを壊してでも外に出てやる。
コウキは、大きく息を吸った。ドアノブのレバーを下げる。息を一気に吐き出すと、全身全霊の力でドアを押した。
ギギ……。ドアが悲鳴のような音を上げる。少しだけドアが動いた気がした。更に強く体を押し付ける。両足を踏ん張り、鍛えている腹筋に力を込める。
光だ! ドアと壁に細い隙間ができ、外の光が見えた。そこで、コウキは力尽きた。脱力して、ドアから離れた。息が上がっている。額からは汗が流れ落ちた。隙間は無くなり、もとの状態に戻っていた。
ほんの少しだが、人の力でドア動いた。知恵を絞れば壊して外に出られるかもしれない。コウキの心に希望が芽生えた。といっても、全力でも動かせたのはほんの数ミリメートルだけだった。
コウキは一度、部屋に戻って作戦を練ることにした。部屋を見渡す。使える物はなさそうだ。続いて、台所に移動する。引き出しを開けると使えそうな物を発見した。調理器具だ。母親から送ってきた物。
「これは使えるぞ」
コウキは金属製のヘラを手に取った。これを隙間に挟んでテコの原理を使えば……。それが頭に浮かんだ作戦だ。
この作戦は失敗した。力いっぱいドアを押して、どうにか隙間にヘラを入れた。しかし、テコの原理で開けようとするとヘラはあっけなく折れた。
コウキは諦めなかった。作戦自体に問題はないと考えた。挟む物の強度が弱かっただけだ。もっと固い物を探すことにした。
全ての部屋を確認した。引き出しを片っ端から開け、棚やクローゼットも確認した。
「使えるのはこれだけか……」
手に持っていたのは、金属製のハンガーだ。普段は気にしたことが無かったが、よく見ると金属製で丈夫そうだ。隙間の幅を考えると、ハンガーを三本重ねても入りそうだ。
昔の伝記にそんなエピソードがあった気がする。矢を三本重ねると折れにくい、みたいな。それと同じだ。コウキは、木の棒も用意した。すり鉢とセットで母親が送ってきたもの。隙間をハンガーで広げられたら、次は棒を突っ込んでドアを開けようと考えた。
「3,2,1……」
カウントダウンで気合を入れて、ドアを強く押した。ほんの少しできた隙間にハンガーを突っ込む。そして、テコの原理でこじ開ける。ヘラとは異なり、簡単には折れない。
手にハンガーが食い込んで痛い。だが、ここで力を緩めることはできない。さらに力を込めると隙間が広がった。肩でハンガーを押したまま、空いた手で木の棒を隙間に突っ込んだ。
よし、入った! 次は棒をテコに使う。
ギギギ……。ドア全体から、きしむ音がする。折れないでくれ、棒……。祈りながら棒を強く押す。バン! ドアと壁の隙間から大きな音がしたかと思うと。隙間は大きくなり開いたままになっていた。
「成功したっ!!」
コウキは思わず叫び声を上げていた。血がにじんだ手のひらでドアを押し開けた。間もなく夕方だが、まだ日は高かった。外から射す太陽の光が、やたらと
「キャ!」
突然、女性の叫び声が耳に響いた。誰もいないと思い込んでいたコウキは、心臓が飛び出そうなほど驚いた。ビクッと体を震わせて声の方に視線を移した。
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