捜査ファイル 10

 事情聴取が一段落ついたあと白川たち刑事課の面々はその証言の裏取りを行うことになった。秋彦が関わった過去の事件を洗い直し、あれば物的証拠を調査し、再度聞き込みを行い彼の証言の信憑性を精査する。

 結城が大学生時代に一人暮らしをしていた家にも捜査が入る。地下の部屋の軒下の土が石橋緑の白骨遺体に付着していた土と同じ土であることが判明し、掘り起こしきれなかったであろう骨の一部も見つかった。

 家の裏手を掘り返してみると、そこから葛西知世のものと思われるアクセサリ類が出てきた。

 秋彦が自室として使っていた部屋のクロゼットからは変装に使っていたであろうコートが発見された。そこには細かい赤い点が付着していた。赤黒く変色した血痕であることは明らかで、すぐに鑑識に回された。机の引き出しからはレンズの入っていないメガネや精巧にできた無精髭をもしたシールが出てきた。


 こうして秋彦の供述に嘘がない事が次々と証明されていった。


 家宅捜査に同行していた白川は畳張りの和室に足を踏み入れた。部屋と廊下を隔てている戸の上枠が歪に曲がっていて、戸を開けるのに苦労させられた。これがF市内の高校に勤めていた小柴をここで殺害した時にできたものだということはすでに秋彦の口から聞いていた。立て付けが悪いのは、業者に頼むのを嫌って自分で修繕したせいだろう。とにかく自分の罪が明るみに出ないように徹底していることが窺えた。


 室内に入った白川の目を引いたのは本棚だった。ところ狭しと並ぶ小説の数々。そのすべてがミステリやホラー、サスペンス。

 白川は子どもの頃よく母親に叱られていた。「漫画やゲームばかりしてないで勉強しなさい」と。そんな母も小説を読んでいる時は怒らなかった。本を読むことは勉強の一環だと認識していたからだろう。

 しかしどうだろう。たしかに活字を読むことは勉強になるかもしれないが、目の前にある偏ったジャンルの数々をみたら、逆にこんなものばかり読んでいたら情操教育によくないのではと思ってしまう。秋彦の嗜好が偏るのも当たり前ではないかと思わずにはいられない。そしておそらく秋彦の嗜好が歪んだ原因はそれだけではないだろう。


 つい先程白川は秋彦の母親から秋彦の過去について聞かされていた。

 秋彦は幼少の頃父親から虐待を受けた。彼の父親は「女にしてあげるからね」と甘い言葉をささやきながら包丁で秋彦の性器を切り落としたのだ。母親がすぐにその事態に気づき、彼は病院へ運ばれなんとか一命を取り留めることができた。だが切り落とされた性器はもとに戻らなかった。


 秋彦の父親は警察に逮捕され、奇行に及んだ理由を語った。


 父親は過去に自分の娘に対して性的虐待を行っていた。しかしその娘は不幸にも事故で命を落とした。その後父親の欲望は息子の秋彦に向けられることになった。幼少期の頃は男女の区別がつきにくく、特に秋彦と姉の春はよく似ており父親は倒錯してしまったのだ。だが外見は似ていても秋彦が男であることに変わりはない。だから父親は秋彦を女にしようとしたのだという。無論性器を切り落としたからといって男が女になるわけではないが、それが判断できないくらいに父親は常軌を逸していた。


 この事件はほとんど公になっていない。事件を担当したのが別の署だったこともあり、南署の人間はほとんど誰も知らなかった。知っている者にしても噂程度のもので、そういえばそんな事件もあったっけという具合だった。

 詳細が伏せられていた理由は事件当時の秋彦が幼すぎたことにあった。彼のプライバシーを守るという名目で情報に規制がかかり詳しい事は公表されなかった。もちろん犯行に及んだ父親の名前も公表されていない。父親の名を表に出せば、そこから被害にあった秋彦のことが特定できてしまうからだ。


 事件後、秋彦の両親は離婚――これにより姓が田嶋から結城へと変わった――。その後は何事もなかったかのように普通の生活を送る。秋彦は大学進学を機に一人暮らしを始め、それからは小説の内容とほとんど変わらない人生を過ごしていた。

 名も知らぬ女性バイカーの殺害に始まり、石橋緑の誘拐殺人。その後に行われた中邑厚子の殺害。かつての同僚だった葛西知世の殺害。それから私立高校の教師を自殺に見立てて殺害した。


 秋彦はこれだけの犯行を重ねた。


 これらの事実を知ったとき白川は自分の不甲斐なさを悔いると同時に底しれぬ恐怖を抱いた。秋彦はこれだけの罪を犯してなお平然と日常生活を送っていたのかと。何より恐ろしいのは、林ミサキの盗作騒動がなければ、秋彦はずっと野放しにされていた可能性だってある。その間も秋彦はずっと犯行を重ね続ける可能性だってあったのだ。


 白川はあらためて本棚に目を向ける。すると下段の隅には小説を書く方法を記載した指南本が数冊。さらにその隣には数冊のノートが収まっていた。B5サイズのノートが十冊。赤い表紙のものが六冊に青い表紙のものが四冊。気になった白川はそれを取ってパラパラとページをめくる。


 赤いノートは日記だった。最初の一冊目が中学二年のもの。それから一年に一冊ずつ新調していった形跡が見られた。つまりここにあるのは大学四年までの日記。それ以降のものはない。

 青いノートはメモノートのようだった。その時々で思いついたと思われるショートショートをさらに短くしたような文章が書かれていた。そして、彼が殺人を犯していた時の様子はこちらのノートに記載があった。


 バイク事故に見せかけた殺人。石橋緑の誘拐。中邑への復讐。葛西知世のバラバラ殺人。その犯行の一部始終が詳細に書かれていた。その時の自分がとても幸せな気分になっていたことも赤裸々に綴ってあった。たしかに説明のページだけは他のページと違って鉛筆で書かれた文字が生き生きと踊っている。本当に心の底から楽しんでいたのだろう。


 それでも納得できない、いかない事はあった。小説のネタ欲しさに簡単に誘拐や殺人を犯せるその度胸。少しでも経験がほしいがために好きでもない相手と交際する神経。しかも相手は異性でなく同性だ。


 人は他人の思考を完全に理解すことはできない。だから余計に気になるのだろう。一体どういう心境だったのだろうと。


「どうした? なにか見つけたのか?」


 金森の声に、日記を読んでいた白川は振り返る。


「先輩。お疲れ様です。結城は……」


「ついさっき病院に移送された。暇になったんでこっちを手伝いに来た」


 言いながら金森は白川の持っていたノートをひょいと取り上げ開かれていたページに視線を落とす。一枚、二枚とページを捲ったあとパタンと閉じて白川に突き返した。


「倒錯しちまってたんだろうな……」


 それは金森の感想だった。


「人体の構造については門外漢だから詳しく知らんが、結城は言っちまえば子どものころに去勢された状態だったてことだろ。でも性別的には男なんだからやっぱあるだろ? 欲求不満とかそういうのが。でもアイツにはそれを発散する方法がなかった。その葛藤の中で拗れたんだろうな。それで……」


「死に魅了された?」


「うん? まあ、そうだな。前に言ってたタナトスってやつに心を奪われちまったのかもな」


 白川は昔こんな話を耳にしたことがあった。性犯罪者に去勢手術を行うとその人間は凶悪化して性欲を暴力や殺戮で解消するようになると。エビデンスを確認したわけではないので真偽の程は不明だが。今の秋彦はそれと似たような状況に置かれているのではないかと思った。

 人を殺めることでやり場のない欲望を発散させていたというようなニュアンスの記述が小説内もあったはずだ。


「ふぅん。あるいは……最初からそうだったのかもな」


 金森があごを撫でながら唸った。


「最初から、ですか?」


「ああ。アイツの親父は性的倒錯者だったんだ。その息子がそうだったとしても不思議じゃない。倒錯のベクトルはまったく別の方を向いてるがな」


 つまり遺伝。その可能性もあるかもしれない。


 白川は手にしたノートをパラパラと捲った。そして最後のページで違和感を覚えた。


「うん?」


 本棚を見る。白川が持っているノートは一番最後の日記だった。ならばそこにあるはずのものがない。白川は気になってもう一度最初から検める。


「おい、どうした?」


 そんな白川を見て金森が眉根を寄せる。


「やっぱり……ない」


 そこには、結城が高校教師を殺害した時のことが一切記されていなかった。最初に感じた違和感が少しずつ大きくなっていく。


 取り調べのときに感じた既視感。取調室内で起きた騒動。『タナトスと踊れ』のラストシーン。


「――まさか!?」


 白川はノートを閉じて本棚に戻すと部屋を出ていこうとする。


「おい。急にどうした」


「先輩。僕はとんでもないミスを犯したかもしれません」


 白川の顔には不安が色濃く現れていた。


「説明している時間はありません。今すぐに病院へ――」


 言うが早いか白川は部屋を飛び出した。


 しかしすべては手遅れだった。白川の予想は最悪の形で現実のものとなった。

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