ブランニューライター

福宮琴治

第1話 創作できるってこと

 私は元気だったころ、とある場所で創作活動をしていた。とある場所は文芸ではなかったけれど、世の中をおもしろおかしく記述することに関しては一級品の場所だ。五年近く活動したその場所は私の中での一つの基準になっている。

 

 しかし、そのような活動も精神、そして引きずられるように体調も悪くなっていくとだんだんやりずらくなっていった。精神や体調が悪くなる理由は生活環境の変化とステップアップできない自分への焦りだったのかなと今は愚考している。


 初めの異変は今思えば未読の文庫本に手を付けられなくなったことだろう。新しい文を摂取するということに拒否反応を示したのだ。それまでは片時も文庫本一冊は手に取れるようにしないと気が済まない自分がだ。その他にも様々な精神不調の兆しは見えていたが、結局疲れた精神を引きずりまわして数年活動していたところがある。今にして思えばこれが失敗だったというほかない。


 最終的に体のほうに異変を来たし、創作活動どころか社会生活、さらには日常生活にまで支障をきたすこととなってしまったのだ。無職でベットから起き上がる気力も食事をとる意欲もないような生活をしていた時期もある。一人で暮らしていたら生きるのも面倒になってそのまま死んでいたのではないかと思うとぞっとしかしない。


 「投入なくして産出なし」、私が大学時代にゼミの教授から聞いた言葉であるが、インプットもなくアウトプットできるわけがないという意味では至極当然のことであり、新規の文章を頭に入れるのを拒否した地点で創作活動からどんどん離れていくのは当然のことだったのだろう。新しいものに触れたくないということは新しく生み出す創作したくないというのにイコールではないが近いものはあるだろう。


 創作っていうのは心身ともに元気であるからこそできるのかなと思うのだ(無論商業作家とかは多少の精神不調でも書き上げるからこそプロという考えの方がいても不思議ではないが)だからこそ創作活動に復帰する上では心身の健康というのにも重点を置かなければならない、そして衣食足りている状態を維持しなければならない。そうでなければ礼節どころか言葉が荒れることだろう。


 以上のことを満たしていなければ、創作活動を続けることは途端に厳しくなっていくだろう。そういう意味では書き物ができるということは幸せである。今私はその幸せをかすかに感じられている。これからもそうした幸せを感じ取れるといいなと願うばかりだ。


 駄文ではありますが、これを福宮琴治としての初めの一歩。ブランニューライターとしたいと思う。

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ブランニューライター 福宮琴治 @waleatake

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