27.自分が自分の主さ

「何故、来た?」

 との問いかけに、アニエスは気弱そうに顔を伏せた。


 ミューニック伯爵の居城だ、伯爵本人がいて何の不思議も無い。

 彼が白銀の甲冑に身を包んでいるのは、すぐそこに敵軍が迫っているから。これも理由がはっきりしている。

 居城への国王の唐突な来訪も、今の情勢を考えれば分かることで。


「一介の女官が戦場へ付いてこられる理由はなんだ」


 その疑問ももっともだった。


「陛下のご指名です」


 俯いたまま答えると、床を鳴らして伯爵は近寄ってきた。

 狭い廊下で、真横に立たれる。顔を上げると、視線が合った。

 微笑まれる。


「如何にして陛下の信用を得られたのか、分かるか?」

「私自身では何も」


 あの日、庭園へサロモンがアニエスを捜しに来ている間かその前か、フィリベールは何を喋ったのだろう。

 国の王であり、自身の父である彼の人に気弱な王太子は何を言ったのか。


 部屋に花を飾ったこと。

 絵に描いたこと。

 夜を共に過ごしたこと。

 まさか、共に暗殺者を返り討ちにして噴水に沈めたことは伝えてはいまい。

 また、もう一つ気掛かりなこともある。


 ――名前は告げただろうか。


 真心として告げる、と言った。フィリベールは真面目に過ぎる嫌いがあるから、黙っているだろうとは思うけれど。

 本来の名前を知られたら、自分がハルシュタットの回し者だと気付かれるかもしれない。アマーリエという名はハルシュタットでは珍しくないから。

 フィリベールはそれを知らないのだろう。

 だが、クレマン4世はどうか。また、今目の前にいる遣り手の伯爵は、聞けばピンとくるだろう。誤魔化せる気がしない。

『アニエス・カロン』が偽名だということ、本物のアニエスが別に存在したことだって、もう知っているかもしれない。


 じっと見つめ返す。上機嫌に見える顔で彼は言った。

「殿下が持つ信用を、陛下がそっくり信じられたということにしておこうか」

 だから、とさらに笑いかけられる。


「この事態を解決した暁には争いの駒となる覚悟をしておくように」

「何の…… 争い、ですか?」

「分からないが通じるとでも?」


 笑いの形が変わる。不敵で、傲慢な笑いだ。


「おまえは賢い。賢いから宰相が陛下に付けた犬とも遣り合える。フィリベール殿下を手玉に取るなどわけないだろう」

「……それで、どうしようと?」


 アニエスもまたうっすらとずるい笑みを浮かべてみせる。伯爵は満足げに頷く。


「ミュラン一族にばかりいい顔をさせたくないのだよ。北の我々にも意地と誇りがある」

「ベルテール王国の今に不満が?」

「王国ではなく、我々に、だよ」


 聞けば。

 ミューニック伯爵の頭の中には、アニエスを自身の養女にして伯爵令嬢との肩書きを付けさせ、それから王太子妃に立てようとの未来図が広がっていた。

 ジスランはイリュリアに追いやるつもりなのだろう。

 そうして、フィリベールが王座についた暁には。


「巧くいくでしょうか」

「いかせなければ、おまえ自身も生きていないだろうよ」


 ミューニック伯爵はまだ笑う。

 その低い声は別れた後も、頭の中で響く。



 そのお蔭で眠れないというのに、夜半に窓が鳴らされた。

 異常事態だ。


 アニエスは溜め息をついて、体を起こした。

 すぐ横ではフィリベールがぐっすり眠っている。旅の疲れが抜けないのだろう、軋んだ音にも気付かないらしい。随分と無防備になったものだ。

 その彼を寝台に残して、アニエスは廊下に出た。


 明かりの無い中、壁に手を付きながら進む。旧い造りの狭い廊下を抜けた先の露台。

「久しぶりだね」

 立っていたのはセドリックだ。


「よく忍び込めましたね…?」

 動揺を飲み込んで問うと。

「木登りは得意なんだよ」

 ゆったりとした法服を着た彼もまた、笑った。


「寝間着だけで、寒くないかな? 話は手短に済ませよう。おまえが此処に来ていると話が届いて驚いたよ」

「……私も、あなたは北にいるものだとばかり」


 まっすぐ見つめ合う。アニエスの頬は強張っているのに、月影を受けたセドリックは柔らかな表情だ。


「都に残っても良かったのだけどね。やはり、軍に付いてくることにした。この豊かな土地を手にしていただくために働いてきたんだ。先行きが気になって同然だろう」


 顎をしゃくられる。アニエスは寝間着の裾を持ち上げて、腰を折った。


「我らが真実の王に仕えよ」

「忘れておらず、実に結構」


 問おう、とセドリックは続ける。


「体調を崩していたというクレマン王が突然動き出したのは気になっている。何か気がついたことは?」

「王の部屋では眠り薬の匂いがしたのです」

「毒を盛られていた、とでも?」

「……分かりませんが」


 そういうことか、と唇を噛む。最初に王の寝室に訪った時に気が付かなかったことが、どんどん口惜しくなってくる。


「すぐに殺そうとしないとは…… 狙いはなんだろうね」


 ふむ、と一度顎を擦って、セドリックは向き直ってきた。


「薬の主の狙いは気になるが、ここまで生き延びてくれたのだから良しとしよう。なにせ、もうすぐ君の役目もおしまいだ」

「クレマン4世王、フィリベール王太子を『死なせるな』との命令が終わりだということですか?」

「そのとおり。ここまで良くやってくれた」


 微笑まれ、アニエスは唾を呑み込んだ。セドリックは実に穏やかだ。


「君の役目は、エドゥアルド王がベルテールの王冠を奪い取るその瞬間までだ。その後は」


 柔らかな声が腹の底に響く。


「彼らはその首から流れる血でもって、民にヴァロワ王家の終焉を告げてもらわねばいけないんだよ」


 聴いて、アニエスは目を閉じた。


 同じように目を閉じたフィリベールの首が、胴から切り離される様を思い描いて。

 途端、心臓が揺れた。


 叫び声が喉の奥から飛び出しそうになるのを、両手で押しとどめる。

 膝を床に付く。背中を汗が流れ落ちていく。耳の奥では心臓が喧しい。


 コツン、靴と床がぶつかる音がして。

「どうしたのかな?」

 セドリックの笑い声が降ってきた。


「命令が無くなるのが厭なのかい? それはとても忠義が厚くて良いことだ。次の役目も頂けるよう、僕からもお願いしておこう」


 はい、と声を絞り出す。

 今夜はもう眠れそうにない。


 ――というのに、翌朝は随分なご挨拶から始まった。

「よく寝れた?」

 真っ黒な隈を目の下に貼り付けた顔に言ってくるのが、実にサロモンらしい。


「酷い顔だ。化粧してきたら?」

 寸足らずの袖からのぞく手で、自分の目元を叩きながら言う彼を睨む。


「道具を持ってきていないので」

「ええ!?」

「着飾るために来たわけではないでしょう?」


 悩むために来たのだろうか。

 城で待たされていたら悩まなかったかもしれないのだろうか。


 溜め息を隠さず、向かい合う。

「緊張で眠れないということにしてちょうだい。貴方はどうなの?」

「俺はいつでもどこでもグッスリさ」

「陛下をお守りするのは」

「衛兵の役目だろう?」


 カラカラと笑う。その弾みで甘い匂いがした。

 そう。サロモンからも眠り薬の匂いがする。今更気がついた。とんだ従者だ。主を寝かしつけて、自分もしっかり眠っているとは。

 と考えて、目を見張る。


 ――サロモンが眠り薬の主?


 黙ってしまったアニエスに構わず。

「さーて、今日は頑張ろうね。お互いの目的のために」

 サロモンは、うーんと腕を伸ばした。

「君はフィリベール様を護るんだろう」


 ね、と言われはっとした。

 誤魔化すように睨む。

「貴方も国王陛下をお守りするんでしょう?」

「何かあったら逃げるけど?」


 サロモンほけろりとしている。アニエスはまた戸惑ってしまった。


「……逃げるなんて、よく堂々と言えるわね」

「あー、うん。確かに、まずいな?」

「ふざけたことを言って…… 貴方は何の為に、クレマン国王陛下に仕えているの」


 ミュラン宰相に言われたから、とでも返されるのかと予想したのに。


「突き詰めて言えば、俺は誰にも仕えない」


 また予想外の答えだ。アニエスは動きを止める。


「強いて言うなら、自分が自分の主さ。俺の望みのために動くんだよ」


 言葉を被せて。

 サロモンはスタスタと歩き去っていった。甘い香りは残されている。

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