24. 何かのお役に立てば幸い

 唐突に北の山脈を越えてきた軍勢にどう相対するか。ミュラン宰相とミューニック伯爵の意見は一致した。

「まことに許しがたい所業」

「徹底抗戦です」

 今、王宮の中で特に声が大きい二人の意見が一致したのだから、他の意見が聞こえてくるはずは無い。

 形だけの会議、決まったのはハルシュタットの侵攻に武力で抵抗するということ。

 峠を下りてすぐの砦は敵の手中に落ちてしまったが、そこから尚進軍してきたハルシュタット軍に、北に領地を持つ貴族たちはその地その地で抗戦を試みているという。


「これ以上進ませない。いいえ、押し返して見せましょう」


 息巻いて、ミューニック伯爵は自領へと駆けていった。

 地盤を持つ貴族たちを後押しするために、国王直下の軍の派遣も決まった。



「出立前のご挨拶に上がりました」


 本来ならばクレマン4世がいるべき執務室にやってきたのは、ロドルフ・ミュラン将軍。

 先般ミューニック伯爵に言われて行った軍の視察の際に会った男だ。

 樫の重たげな机を挟んで相対して、フィリベールは彼を見上げた。


 椅子に掛けたまま座っているから、尚更大きく見える。

 もともと背が高く体が分厚いところへ、夏を過ぎて日に焼けた肌と伸びたヒゲ、いかり肩を覆う肩章の大きさが威圧感を増やす。

 だが、これでいいのだろう。軍人なのだから。


「あれから訓練はどうだった?」

「順調に進んでおりました。今こそ成果をお見せする時と心得ております」


 重々しく頷いた将軍に、フィリベールは笑みを向けた。


「頼りにしている」

「はい」

「……無事に帰ってきておくれよ」


 そこで将軍は一度、窓の外に視線を移した。

 背の高い屋敷と馬車が悠々と動く通り、細切れの家々がひしめき合う狭い路地が入り組んだ都。その傍らでダニューヴ河は水を悠々と流す。


「勿論、無事に。この景色をまた眺められるつもりでおります」


 うん、と頷く。


「時に殿下。出立前のご挨拶を申し上げたいと、もう一人廊下で待機しております」

「……誰だ?」

「ジョス・マザランです。先日の視察の際に、攻城兵器について説明した者です」


 瞬いて、思い出す。

 ――ビーズ作りが趣味だって言っていたあいつか!


 あの時、王家の至宝も模してみる、と豪語していた。


 果たして、将軍と入れ替わりで入ってきた青年は。

「出る前に、お約束の物を提出したくて」

 と笑った。


「本当に作ったのか」

「ええ、作りました。ご覧ください」


 分厚い机の天板の上に、布貼りの小箱が置かれる。

 取り上げて、ゆっくりと蓋を開ける。

 中に入っていたのは真っ赤な石を抱えた指輪。

 息を呑む。


「そっくりだな」

 絞り出した言葉はこれだった。

 どうにか息を吐き出しながら、指輪を取り出した。

 宝石の光沢、金の細工の形の全てを、上下左右ゆっくり回して見つめる。


「下手したら、見分けが付かない」

「それはお褒めの言葉ですよね」

「そうだな」


 くすっと息を零して、やっと指輪を箱に戻せた。それから、フィリベールはジョスに向き直る。


「見事だよ」

「お褒めにあずかり恐縮です」


 首の後ろを掻きながら、ジョスは執務室の中を見回した。


「ところで、殿下。今、この部屋には俺と殿下しかいないのですよ」

「……それがどうした?」

「その模倣品イミテーションの存在を知るのは、俺と殿下だけだということです」


 もう一度息を呑む。顔を上げると。ふにゃっと笑った顔が見えた。


「そこまでご信頼を頂けたってことで喜んでいいですよね」


 そういうものだろうか。


「何かのお役に立てば幸いです」

 ジョスは曖昧な笑顔でそう言って。



 彼らは進軍していった。王の旗を掲げ、北へと。



 いよいよ、王宮がガランとなった。南に領地を持つ宰相こそ残っているが、もともと東の方面の貴族たちはミシェルを中心としたブランドブールの騒ぎのせいでいなかったし、今回の事で北の者たちも消えた。西の貴族たちも万が一に備えてと下がっていった者が多い。


 囲う者が減っても、相変わらずジスランは庭園で物思いに耽っているらしい。

 王妃は王妃で、変わらないように過ごしている。

 フィリベールもそのつもりでいて。


 数ヶ月ぶりかに父王の部屋に来ていた。


「本当に久しぶりだ」

 思わず呟く。自分がこの部屋にいることも、寝台の上とはいえ、父が体を起こして目を開いていることも。


「ずいぶんと寝こけていたようだ」


 おどけたように言う父に、息を呑む。

 頬が削げて、目は落ちくぼんでいる。肌も乾いて皺だらけだ。

 筋張った指で、手元の紙の束を捲りながら。


 開けた窓から風が吹き込む。

 壺にどっさりと詰められていた、乾いたラベンダーから芳香が広がる。

 この間はずいぶんと甘い匂いがしたな、と思い出しながら、フィリベールは父王の寝台の傍に立った。

 座れ、と言われて椅子を引く。


「あの」

「問題なく進めてもらっていたようだな」

「はい」

「……だが、ジズランとイリュリアのイザベル王女の婚約は少し急ぎすぎたな。ジスランの説得が甘い」

「それは」

「ジスランを甘やかした儂や宰相のせいもあろうな」


 俯く。胸の奥にごろりと重みが加わる。

 そのフィリベールを尻目に。


「久しぶりに気分がいい」

 クレマン王は笑った。

「だが、立とうとしたら立てなかった。脚が弱ったのだと医師に言われた」


 それはフィリベールも聞いた。

 長らく意識が混濁していて、碌に体を動かしていなかったからだ、と。きちんとした食事も取れていなかった。

 むしろ、なぜここに来て意識が戻ったのか。少しずつでも動けるようになったのか。

 ただ、体が頑丈だから、では済まないと思うのだが。


 ――父上がお元気なことを喜ぶべきなのに、な。


「ここまで動けないというのは困るな」

「しばらく政務に必要なことはこちらに伝えさせます」

「そういうことではなくて、な」


 ははは、と何が困っているのか分からないような笑い声が響く。


「王宮から出かけられぬではないか」

「出かけるのですか」


 目を丸くした。どちらに、と問うと、王は厳しい表情で言った。


「北に行く」


 咄嗟に言葉が出てこなかった。


「交戦か、和平か。王がいれば、また状況は変わる」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る