15.今日の自分が気分良く過ごせるか

 父王に代わっての政務を終え、どうにかこうにか文官たちを振り切って、衛兵たちを扉の向こうに追いやって。昼過ぎの一時ひとときは久しぶりの一人きりの自室――だったのに、花束を抱えたアニエスがやってきた。


「それは?」

 香り高い薔薇と控えめなカスミソウに瑞々しい緑を添えたそれを指さすと、彼女は笑った。

「庭師からの差し入れです。王太子殿下の慰めに、と申しておりました」


 こんなところでも、今までは無かった人のを感じる。

 むっと口を尖らせると、笑われた。


「手紙も届いておりますわ」


 そう言って、アニエスは封筒をテーブルに置いた。

 スケッチに使われた紙の山の上に置かれても、質の違う紙だから、紛れることもない。

 署名の側を上にしているから、差し出し人もすぐ分かる。


「ご連絡が増えたようで、よろしかったですね。ブランドブール辺境伯はお味方でしょう?」


 部屋にいる彼女を視線で追う。


「味方の数が増えるのも結構ですが、今までの味方が離れていかないようにすることも必要でしょう。ブランドブール辺境伯を大事になされませ。お返事は出されましたか? 早いほうがよろしいですよ」


 喋りながら彼女は、抱えてきた花束を活けるために窓際へと真っ直ぐ歩いて行った。

 カタカタと花瓶が鳴り始める。

 フィリベールは、息を吐いて、封を開いた。


 ――返事は出していないんだよ。


 前回の手紙で、婚約が整った従妹を連れてくると書いてあったから、それはいつだ、と問おうかどうしようかと悩んでいたのだ。その答えが先に来てしまった。


 秋になりそうだ。イリュリアの使節にはとても間に合わない、と。


「どうして」

 と呟いたが、すぐに納得した。

 衣装を仕立てるのに戸惑っている、と綴られている。


「……どっちを着てくるつもりだ」


 吹き出した。実に従兄らしい。

 衣装も原因のひとつなのだ。一族の当主に相応しくないと評される衣装を好むから、一族の年寄りたちと折り合いが悪くなったのだ。やっと好転したというのに、また騒ぎを起こしてどうすると思うのだが、本人としては譲れない部分なのだろう。


「仕方ない奴め」


 また天を仰ぐ。だが、口元には自然と笑みが浮いた。


「良いお知らせでしたか?」


 いつの間にか隣にアニエスがいた。顔をのぞき込まれてぎょっとなる。

 ふっくらとした唇には笑みが浮いたままだ。

 その艶から目を逸らして、フィリベールはぼそぼそと手紙の内容を伝えた。

 すると、そうですか、と頷かれる。


「ご予定が立っているのは心強いですね」

「ミシェルが味方だからか」

「味方だから、王都に来られようとしているのでしょう? 先ほども申しましたけれど、大事になされませ」

「おまえ、この間から、味方味方というけれど、どういうのが味方なんだ」


 ぎゅっとフィリベールは睨んだ。アニエスが口を噤む。そこへ言葉を重ねる。


「おまえはどうなんだ」


 味方なのか、どうなのか。命を護るというのはそのままの意味なのか。

 彼女は答えない。

 じっと睨み合って、やがて。

「殿下がご判断なさいませ」

 と彼女は言って、近寄ってきた。


 両手が伸びてくる。頬に添えられる。

 唇が重ねられて、肩が揺れた。


「如何ですか?」

「分かるものか!」


 叫ぶ。

 気まずい空間を破ったのは、外からの声だった。

 出かけねばならぬと告げられる。


「ジスランに呼ばれてるんだ」

 気まずく目を逸らしたまま、呟く。

 だが、アニエスは微笑みを浮かべたままだ。


「すぐにお支度を」

 奥に行って、群青の上着を持ってくる。


「お気を付けて」

 と、フィリベールの背側に回って、上着を広げてくれた。腕を通せ、ということだろう。

 こそばゆい。逆らえない。


 真っ赤な顔を見られる前にと部屋を出ると、ぞろぞろと衛兵と文官たちが列をなす。

 本当に落ち着かない。

 そのまま向かった庭は、緑が生い茂り、真夏の様相だ。青い花が多い。

 つい先日も来たばかりの四阿に弟はいた。


「ジスラン」

 呼びかけると、振り向かれ、笑われる。


「俺の意見を取り入れてくれたみたいで嬉しいな」

 そう言って向けられた指先はフィリベールの後ろを向いている。供をせよ、と命じてきたと思ったのだろう。

 実際は何も言っていない。言っていないから付いてくるのか、どうなのか。


 思考を声にできないまま、椅子に座った。

 テーブルの上には、桃と小ぶりの葡萄がある。齧り付きながら、ジスランは笑う。


「この間のお茶は散々だったから、このとおり警戒してるよ」

 そう言う彼に合わせて視線を巡らせれば、四阿の傍、立木の影、小道に沿ってと、そこかしこに控える衛兵たちが見える。


「母上がうるさくって」

「心配なさってるだけだ」

「俺のことも、フィリベールのことも、ね」


 もっとも、とジスランはお茶を飲み込む。


「王宮にそうそう凶悪なものが出てくるのは衛兵の落ち度だよね。責任取らせないと」

 近衛隊の司令の首を挿げ替えろ、と嗤う。

 フィリベールは眉を寄せた。


「そういう意見を出したいのなら……」

「政務に参加しろって? お断りだよ」


 葡萄を口に放り込んで、ジスランはまだ嗤った。


「母上にも言われた。父上からは、まだだけど時間の問題かな。フィリベールはどう思うかなって思ってたけど、やっぱり参加しろって言うほうか」

「当然だろう」


 王子で、それも成年を迎えた身。

 王太子という箔の有無は別として、フィリベールが父王の名代となれるように、ジスランだってその気になればできるはずだ。


「おまえだってこの国の王子だろう。国の中を知って悪いことはない」

「政務って、ただ知るだけじゃ無いよね。考えて決めなきゃいけない。自分以外のことも」

「当たり前だろう」

「あー、やっぱり、そう言うんだ」


 睨んでも、ジスランは軽く笑うだけだ。


「お祖父様も昨日もおとといもその話をしてきてさ、参ったよ。ちなみに、今もすぐに此処へ来るよ」


 フィリベールは息を呑んだ。


「わざと二人同時になるようにしたんだ」


 宰相には訪問の都合を答え、兄には呼び出しをかける。わざわざ不仲の二人を同じ場に寄せて、この弟は何を考えているのだろう。

 額に手を当てて、天を仰ぐ。


 逃げる時間は無かった。

 やはりぞろぞろと人を引き連れて、宰相がやってくる。

 先に吹き溜まっていた文官たちと後からやってきた文官たちが静かに視線を交わす。あまりよろしくない。


「これはこれは兄弟おそろいで」


 宰相は穏やかそうに言ったが、視線は笑っていない。それはフィリベールを避けて、ジスランへと向けられる。


「御用の向きは」

「お祖父様が御用なんでしょう?」

 ふふ、とジスランは声を零す。

「俺に政務に参加するように、って言いたくて仕方が無いんじゃないですか? ねえ、フィリベール?」


 話を振るな、と胸の裡で悪態をつきながら、答える。

「それが王子として責任ならば」


 早くも二度目だ。もう細かくは言わない、とそっぽを向きかけたのだが。


 溜め息と呟きが聞こえた。

「今の話題はご存じですかな?」

 宰相から視線が向けられている。つい真正面から受け止めて、答えた。


「ここ数日でイリュリアとの交易に関する話が増えた、な」

 当然だ、イリュリアの使節団が到着するまで日が無い。無事に出立したという早馬はやってきていて、その差を考えると、あと五日も無いだろう。


 宰相は頷いて、視線をジスランへと戻す。


「イリュリアはジスラン殿下とイザベル王女の婚約に前向きです」

 強めの言葉だったのに、ジスランはけろりとして視線を外す。


「兄上様はどうお考えで?」


 フィリベールに向いてくる。


「……おれ?」

「この婚姻が是か否か。フィリベールは賛成? 反対?」


 じっとりとした視線に喉が渇く。

 これで是非を答えたら、そのまま理由を尋ねられるのだろう。

 つまり、婚姻の影にあるものを言わせたいのだろうか。ハルシュタットへの牽制、あるいは、ベルテール国内の権力争い。


 フィリベールがまた言葉に迷っている間に。

「情けない」

 唸ったのは宰相だった。

 怒っているようで、笑っている。


「ご自分の意見を言えない方は振り回されるしかないのですよ。婚約は進むとお考えになるとよろしい」


 瞬く視線はジスランとフィリベールに交互に向けられて、宰相はすぐに去っていった。

 去って行く背中を見遣って。


「こうやって、俺はお祖父様の人形になるらしい」

 ジスランは肩を竦めた。


「おまえ」

「気づくに決まってるじゃないか。ご祖父様は自分の言うとおりにしか動かない王が欲しいんだよ。元気だった時の父上とは違う、ね。

 つまりどういうことかというと、おじい様だって、国の行く末が云々より、今日の自分が気分良く過ごせるかどうかのほうが重大なんだよ。フィリベールだってそうだろう?」


 うっと唸る。

 政務に追われ、思惑に追われ。命を狙われて孤独になるか、さもなければ過剰に囲まれるかしか状況はない。

 心のどこかでそう思っていたのに。


「自分の好きに?」

「そう。たとえば――恋に落ちた気分はどう?」


 ジスランは微笑んだ。


「アニエスは……!」

 叫んで、あれ、と思う。


 何故彼女の名前が出てくるのだ。


「羨ましいよ」


 戸惑うフィリベールをよそに、ジスランは果物を食べて続けている。


「だから、俺も好きにする――したいものだ」

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