12.正真正銘の味方
それからさらに七日経っても、状況は変わらなかった。
自室の扉の両脇には見張りが欠かさず立ち、廊下を行けば後ろから女官と従僕が付いてきて、父王の代わりに座る政務室には文官が溢れる。貴族たちが
また今、そのうちの一人が慇懃に頭を下げた。
「王太子殿下におかれましては、ご機嫌麗しく」
やや低めの声で紡がれた挨拶に苦笑いを返す。
「ミューニック伯爵」
四十になった伯爵。血筋だけで言えばフィリベールもジスランも遠い、王国の北の地方に領地を構える貴族だ。
やってきたのはこれで十日連続。
よくも飽きずに来るものだ、これまでずっと放っておいたくせに。
――誰も彼も
フィリベールとしては視線にそういう意味を込めたつもりだったのに、彼は穏やかに笑うだけだ。
「本日は、北街道の穀倉地帯と流通についてご報告にまいりました」
「……聞こう」
できるだけ低い声で答え、向かい合って座る。すぐに壁際に控えてきた文官が飛んできて、二人の間のテーブルに王国の地図を広げた。
王都は具合よく国の中央にある。
東には平原が広がり、終わりが見えない。昔、その平原の果てからやってきた蛮族がいた。それを撃退したのが今の王家の祖。東を守る辺境伯は、初代王の右腕と呼ばれた騎士だ。
反対の西は海に面する。蛮族を追い返し、国土を再び盛り上げんと商業の要として発展したのがヴニーズの港。そこの領主もまた辺境伯と呼ばれて国の護りを担っている。
南は豊かな農地が広がる。そのほとんどにミュラン宰相の一族が散っていて、血筋の下で結束している地だ。
反対に北は、森林と多くの貴族がひしめき合っている。その数だけ王都から伸びる街道がある。
何本もの街道が縦断する領地を持つミューニック伯爵は、北の盟主と呼べるのだろう。利害で結ばれた一党を代表して北の地の話をしてくるのだ、とフィリベールは一人で納得した。
「街道は多くございますが、北のハルシュタット王国へと続く街道は一本しかない。それはご存知ですね」
「その一本を利用して、ハルシュタットに穀物の輸出がされているんだろう?」
「そのとおりです」
フィリベールに伯爵は笑いかけてきた。
「国境は険しい山越えです。昔に比べたら、舗装されてはるかに行き来がしやすくなったとはいえ、大量の荷物を徒歩や荷馬車だけで運ぶのは難事業」
机に広げられた地図の上を、伯爵の指が滑る。宝石で飾られた、日に焼けていない指だ。
「ですが、街道はダニューヴ河と並行して走っています。つまり、この河の水運をもっと使えるようになったらどうかと思うわけですよ」
「ああ、成る程……」
自分でも指を出して、地図の上の川筋をたどる。細長いだけの指を。
王都を通った後の河の下流は東のブランドブールの先だ。
「河が使えるようになったら、北と東ももっと早く結べるのか」
上流は北に伸びていて、山脈にさしかかると幅を狭め、幾筋にも分かれていく。
「この狭さを抜けられる船は限られるんじゃないのか?」
「ええ。なので問題は船の形と、川の流れに逆らって昇る技術です」
伯爵はニコリと頷く。
「その条件が整えば、ハルシュタットへ農作物の輸出がさらにできるようになるでしょう。国の収入増にも繋がります」
「……そうだな」
「さらに言えば牽制になります」
ぴたりと笑みを止めた伯爵に、フィリベールは首を傾げて見せた。
「ハルシュタットの当代、エドゥアルド王は野心的に過ぎる」
「そうなのか?」
瞬くと、伯爵の顔はさらに険しくなった。
「四人いた兄が全員没したことで登壇した王です。その経歴すべてを『運が良かった』では済ませられないだろうことは、北の地でも言われていること。国内であってもそうならば、別の国――我がベルテールに対しては実力行使で来ることもあるだろうと私は睨んでおります」
実力とは武力です、と口の動きだけで伝えられる。フィリベールは眉を寄せた。
――攻め入ってきて、落とされるかもしれない、と。
対策として何が考えられる、と胸の内で唸って。
「イリュリアとの同盟も牽制になる」
と言うと。
「ええ、宰相はそうお考えでしょう」
ミューニック伯爵は頷いて、さらに、と続けた。
「宰相は軍の拡張も牽制になると考えている」
軍、と呟いて、首を傾げた。
「お詳しくないのですか」
伯爵がまた笑った。ぎゅっと眉を寄せて振り向くと、ゆったりとした表情を向けられた。
「今、国軍を率いているのもミュラン宰相の同族の者です」
「ああ、そうか……」
名前だけなら分かる。だが、喋ったことはない。
「閲兵に行かれたことは?」
首を横に振ると、伯爵は立ち上がり、壁に並んだ文官の一人を手招いた。
「君。訓練の予定を調べられるかな」
是以外の返答はできず、あっという間に閲兵の計画が立てられてしまった。
三日後、朝のうちに城を出発。国王の名代として訓練を訪ね、兵士たちを親交を深めるのだ。
話を伝えると。
「よろしかったではないですか」
アニエスは微笑んだ。
「何が良いんだ」
むくれたような声が出て、はっとした。
夕方の風が吹き込む自室には、アニエスが飾ったクチナシの花の香りが広がる。
鉛筆と紙が広げられたテーブルの横の椅子にだらしなく腰掛けていたのを、背筋を伸ばし、片手で口を押さえ、そろりと顔を向ける。
彼女は変わらず微笑んでいる。
「殿下に味方が増えたのでしょう。ミューニック伯爵という」
「味方?」
「ええ、そうでしょう。国の状況を伝えられ、共に考えてくださるという、味方です」
だが、フィリベールは憮然として答えた。
「サロモンには、急に寄ってくるようになった奴は信用ならない、と言われた」
すると、アニエスは眉を寄せる。
「ああ…… それはそうかもしれませんね。殿下はそう感じていらっしゃるのですね」
困った、と呟いて、アニエスは僅かに目を伏せた。
「それに、伯爵は北を警戒、ですか」
そのまま、彼女はフィリベールの向かいに立ったまま、黙ってしまった。
「アニエス?」
呼んでも、返事はない。だからフィリベールも黙る。
沈黙が重い。
静寂を破ったのは、扉を叩く音だった。
振り向くと、衛兵が一人顔を出す。
「ブランドブール辺境伯よりお手紙が届いています」
「ミシェルから」
「あら、今度は正真正銘の味方のご登場ではないですか」
アニエスが言うのに、吹き出した。
「確かに、ミシェルは味方だな」
今度は何を言って寄越したのだろう、母方の従兄は。
いそいそと封を切っていると、手紙を運んできた兵もアニエスも部屋を出て行った。
静かになった部屋、紙を広げる音が響く。
フィリベールの母の兄である、ミシェルの父も早死にした。すると、ブランドブール辺境伯の一族の内で実権を握りたい傍系たちが、各々声を荒げた。それらを収めるためにミシェルはずっと領地に引きこもっていたのだ。
だが、今回の手紙には。その一族の老翁たちと一旦は決着が付き、一族の中の令嬢と婚約が整ったことが綴られていた。
「アデライートか。良かったな」
幼い頃に出会った顔を思い出して、ほっと息を吐く。
そのまま読み進めると、時期を見て王都に行くとも綴られていた。
名目は国王への結婚の報告。その実は、ようやく結束に至った一族からの、ミュラン宰相の一族への牽制らしい。
ミシェルを筆頭に、東の一族は味方になってくれるのだろうか。
そもそも。味方とはなんだ。
フィリベールは溜め息を吐いた。
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