07.本気になってみたい

 十日間ですっかり噂の的だ。

 権威を誇るミュラン宰相の孫であるという立場に加え、自らも人の輪を築くことが出来る、陽気なジスラン王子。後ろ盾となるはずの一族が勢いを失った結果、人を寄せ付けずに陰鬱に過ごすフィリベール王太子。そして、勤めに上がったばかりの冴えない女官。

 女一人に男が二人集まった状況で起こることを、人は安易に想像する。


「いい気になるんじゃないわよ」


 アニエスの目の前で三人の女官がいきり立っている。薄紅、群青、薄黄と色違いの、デコルテが開いた同じ形のドレスを着た三人だ。


「フィリベール様がお呼びだからって、部屋に入りびたっているそうね」

「ジスラン様もお呼びになっているそうだけど、同じようにべったりくっつくつもり?」

「どんなことをすれば、ご兄弟が同時に呼び出すなんていう栄誉を賜れるのかしらね」


 きーきー喚く三人の声から、結わえていない長い髪で顔を隠して、アニエスはこっそり息を吐いた。


 ――兄弟両方に色目を使う悪女って立ち位置、ね。


 狙ったわけではないこの現状にアニエスはうんざりしている。


 しかし、セドリックはご満悦だった。

「どちらにも近づけるとは僥倖。死なせないついでに、もっと仲違いしてもらおうか。そうすれば、ベルテールは中から傾くだろうよ。その時こそ、我らの王がお出ましになる時だ」

 などとのたまっていた。


 そんな彼と、喚く三人から解放された直後に、ばったり顔を合わせてしまった。


「今日はどちらに呼ばれたのかな?」

「両方です」

「おやおや」


 片眼鏡の奥で笑いを隠さないセドリックに、アニエスは眉を顰めて見せた。


「ですが、女官の皆様からはあまり良い印象を持たれておりませんので。私と一緒にいると貴方には不利益なのでは?」

 ハルシュタットのことがなくても、動きづらくなる状況だろうと思うのだが。

「そうでもない。君がどちらのになるとしても、結局は王子へのコネとして使えるかもしれないと判断した輩はいる。そういう者たちが僕に近づいてくるんだ。情報を持って」

 彼は笑った。

「これは大事なことだよ。一文官で知りようのないことまで知られるのだから」

 ね、と首を傾げて、冷たい声が放たれた。

「覚えておけ。どんなことでも利益になるように動くべきなのだよ」



『我らが真実の王に仕えよ』。セドリックとアニエスの間にはその言葉しかない。



 そんな諸々も知らず。

 フィリベールは毎日のように呼びつけてくる。

 そうは言ってもやることはない。仕方ないから、花を飾ったり、衣装の繕いをしたり、絵に描かれてみたり。思いついたことを片っ端から試しているが、フィリベールに厭きた様子は見られない。


「何故、私をお呼びになるのですか?」

 つい訊いてみたのだが。

「いや、別に、理由は……」

 フィリベールは、理由が無いとも有るとも言わず、ただ頬を真っ赤にした。


 アニエスも、そんな彼を見ているのがどんどん面白くなってきてしまった。


 一方。

 ジスランは、違う。彼ははっきりと目的を持っている。


 訪ねるとまず、自室に繋がる露台テラスに招かれる。

 濃厚な香りのお茶を用意して、それを飲みながらお喋りに興じることになるのだ。


「今日は君の好きな色について聞きたいな」

 と、第二王子は笑う。

 椅子に腰掛けたままの彼の斜め後ろに立って――女官が給仕しているという体裁を保ったまま。わずかに目を伏せて、アニエスは答えた。


「紫…… でしょうか」

「今日のドレスも紫だね。でも、古い生地で随分と色褪せているみたいだけど。……そうだな、同じ紫でも、最初の晩に着ていたようなな紫は?」

「あの色は明る過ぎて、落ち着かなかったです」

「そうなの? 俺は、明るい色のほうがいいな。例えば…」


 ジスランは庭を指差した。穏やかに晴れた、夏に向かう青空の下で、よく手入れされた庭が広がる。


「アネモネやラベンダーの紫。そうでなきゃ、ミモザの黄色。イチゴの赤。どれも明るい色だ」

「そのような色のドレスも、機会があれば」

「普段から、着てみれば良い。明るい色を着れば、気分が華やぐ。何より、俺は華やかなほうが好きだ」


 いつもこうだ。

 アニエスの話を聞いているようで、結局はジスランの好みを喋っている。


 その趣味をよく表す、目に鮮やかな衣装だ。金糸で縁取られた緑の上着。その中に会わせたのは、レースがあしらわれたシャツ。足下も磨かれた革の長靴ブーツだ。

 陽光を集めたような金の髪と併せて、王子の存在をさらに華やかに見せる。


 ――フィリベール殿下とさっぱり似ていないわね。


 そんな彼と。

 お茶の種類、食事、花、ドレス。当たり障りのないことはほとんど喋ったような気がする。

 次回は音楽かしら、と予測を立てて。飲み終わったお茶の器を引き上げようと手を出すと、片手で握られた。


 大きな掌。男らしい手だ。節だって、ところどころ硬くなっているのは、乗馬のせいだろうか。


「ドレスを作ってあげよう。俺からの贈り物として」

 にっこり微笑まれる。あざとい笑みにゆるりと首を振って見せた。

「殿下は婚約されていらっしゃいますでしょう? 高貴な姫君を差し置いて、私などに目を向けていてはいけません」

「君は真面目だね」

 くすくすとジスランは笑う。

「最近は、正妃でなくていいから傍においてくれ、なんて言うひとがほとんどだったんだけど」


 彼はそう言って、空いた手の先で、アニエスの手の甲を撫でる。

 顔には、成年を迎えて一月も経っていないとは思えないほど妖艶な笑みが浮かぶ。


「気がつくと人に囲まれている。男女問わないけれど、そうだな、女は若い人が多いかな。俺より少し上くらいの人たち。君もそうだと思うんだけど、何歳いくつなの?」

「二十三です」

「五つ上か。全然、許容範囲内だよね」

「……なんのでしょう?」

「分かってるだろ?」


 ふふ、とジスランの唇から音が漏れる。


「寝るのに、だよ」


 その言葉の意味するところはすぐに分かった。


 アニエスは、ハルシュタットの王の下で働く、間諜だ。

 情報を集めることは勿論、情勢を仕向けるための仕掛けもこなす。その中で体を使ったことはある。一度ならず、娼館に売られていたのとどちらがマシだったかと迷うような役目を押しつけられたことがある。

 今回も、そうなるだろうと薄々分かっていた。セドリックの言い様がそうではないか。

 とはいえ。


 ――悪女になるのが厭というわけではないんだけど。


 ジスランに体を開くことに、素直に頷けない。


「どうして」

 と、生真面目の仮面を被ったまま、アニエスは呟いた。


「迷っている?」

 ジスランは笑う。

「俺とフィリベール、どっちと寝ようか」

 予想の埒外の問いかけに、つい顔を上げた。

 サファイアの瞳と視線が噛み合う。


「負けたくないんだよね」

 勝ち気が奥で燃えている。

「兄として立てるのも馬鹿馬鹿しいよ、あんな弱気で陰鬱な奴」

 もっとも、と一度ジスランは渋い表情になった。

「俺が勝てる可能性が高いのは、お爺様のだとは分かっているけどね」


 アニエスは瞬いた。

「俺に人が集まってくるのは、この後ろに見える王冠と権威のせいだ」

 そう言って、彼は目を伏せて。


 顔を上げた時はまた、力強く笑っていた。

「一度くらい、そんなのは関係なく、本気になってみたい――君はどう?」


 妖艶に微笑む王子に対して。


「願っていることは分かりましたけれども」

 その相手に自分を選ぶのは止めておいたほうが良い。宰相やイリュリアの目を考えると、火遊びにもほどがあるではないか。

「私には荷が重すぎます」


 アニエスは重苦しい溜め息を吐き出した。

 正直、面倒だ。弟王子の相手は、何故か、とてつもなく面倒だった。

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