陽のささぬところで、土を喰らいながらも

紫鳥コウ

陽のささぬところで、土を喰らいながらも

 メニュー表を見なくても、なにを注文するかなんて決まっている。おいしくなくても安い酒と、酒より安くて量の多いつまみだ。後輩なんて連れていけない。おごる金なんてないんだから。アイツらの気をつかう顔なんて、見てられねえ。


 一度も売れたことのないまま、もう四十代だ。自分たちでお金をはらって、舞台に立たせてもらっている。地下にもぐりすぎているせいで、お客のほとんどがドン引きしてしまうようなネタしか作れなくなった。地上波で流せるわけがない。オーディションに行っても落ちることは決まっているんだから、電車賃は酒にまわしている。


 漫才コンテストの出場資格なんて、とっくの昔に失っている。地下の戦友たちが、どんどん地上へでていく。アイツらがテレビに映っているのをみると、未だにヘンな気持ちになる。オレたちだって、地下芸人のソウルを宿してるってのに、なにが違うっていうんだ。


 解散なんて、考えたことがない。オレたちには、お笑いしかない、漫才しかない。センターマイクを前にして、お客を笑かすこと。天職だと思う。ポップなネタなんて、もう作れない、作る気にもならない。クリーンな時代から、どんどんと逆行していく。


 コンビ仲がギスギスしていたのは、十数年前まで。それも、相方がファンに手を出した、あの一度だけ。殴り合いの喧嘩をした。真剣に漫才をしろ、ファンがいなくなるだろ、悪評が立つだろ、そんなもっともらしい理由を並べて、つばを吐き散らした。


 正直、うらやましかった。なんでオレは、女の子と付き合えないんだ。芸人はモテる、というのは嘘だったのか。


 居酒屋は大盛況で、耳が疲れてしまう。唯一の楽しみといっていい、酒。なんだって、今日はこんなにひとがいるんだ。


 五時間前に、舞台で披露した新ネタは、ウケなかった。漫才をしているときに、お客がひとりかえってしまった。と、思ったら、トイレに行っていたらしい。オレたちの出番は、束の間の休憩時間だってのか。


「もう、出ようぜ」

「そうしよう、そうしよう。不快のミルフィーユだな」

「そういうとこだぞ、お前」

「うっさい! じゃあ、お前がネタを書けってんだ!」


 もう、こんな言い合いが、激しい取っ組みあいにまで発展することはない。若い頃の自分の幻影を、見捨てられないから、荒々しい台詞を吐きたくなる。喧嘩をしたところで、不毛なんてことは、わかっている。歳も歳だし。周りからすれば、オレたちの喧嘩なんて、みっともなくて見てられないだろうよ。


 せめて、見かけだけはかっこよくありたい。ダサくはなりたくない。オレたちは、プライドが高すぎるんだ。笑わせることは好きだけど、嗤われることは大嫌いだ。だからテレビに出られないんだろう。でも、いまさらプライドを捨てたところで、地下から地上へ這いあがることなんてできないんだ。


 コンビニで安い酒を買って、オレの家で飲むことにした。つまみの袋をひとつ買った。じゃんけんをして負けたほうのおごり。みっともない、と思ってしまう。でも、オレたちは、このじゃんけんに必死になってんだ。


 お客は、いろんな理由で、劇場や寄席にくるんだ。喜怒哀楽、それだけじゃない。決して消えることのない傷を慰めようとして、家にも学校にも、職場にもなじめず、居場所を探そうとして、オレたちの前にくる――きてくれる。束の間の部分麻酔になりました。そんな感じなことを、言ってくれるお客が、まだいる。だから、漫才を続けていきたいんだ。


「見ろよ」

 

 相方が、オレの肩を叩いた。そして指を、公園のほうへと向けた。まったくの闇というわけではない。弱くてたよりない街灯があって、その微光のたもとで、学生服を着たダサイやつらが、漫才っぽいことをしている。必死に、している。お笑い芸人になりたいんだろうな、ということが、こわいほど伝わってくる。


「なあ、オレたちさ、たまには公園でネタ合わせしないか」

「あいつらみたいにか? ああ、いいよ」


 おかしいな。意見が別れていがみあうことなんてないんだけどな。ふたりの息がぴったり合えば、売れるってもんじゃないんだな。おもしろいやつらが、勝つ世界だ。


「あのふたり、きっとオレたちより先に売れるんだろうな」


 相方は、口から煙をはきだした。年々、吸う本数が減っている。老いてきたから、というわけではないのだろう。


「そうだろな。まっ、オレたちは、もう売れねえんだから、争うまでもねえよ」


 いまのうちに、アイツらに恩をうっておけば、いつか返してもらえるかもしんないな。と、ふと思ったけど、オレたちに教えられることなんて、なにもないんだ。

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