酒と煙草と男と男

惟風

酒と煙草と男と男

「俺の手相占い、結構当たるんだよ。ていうか、それが本職だし」


 淡い照明を受け止めた黒髪が、揺れる。

 形の良い指が僕の掌をそっと撫でた。

 彼――理志雄りしおの目が真っ直ぐ僕を見つめていた。

 刺激されたのは確かに僕の右手なのに、その余韻は下腹部に熱く残って、しばらく僕を悩ませた。



 大学のOBの村田先輩が、知り合いのやってるバーに連れてってくれたのが一ヶ月前のこと。

 チェーン店の居酒屋くらいしか知らずに卒業を迎えそうな僕にとって、遅めの「大学デビュー」な気分だった。

 狭くて暗い店内、カウンターと数席のテーブル。

 世間知らずな劣等感が膨らみすぎて、「ウォッカ・マティーニをステアせずにシェイクで」と本当に口走ってしまって、マスターや村田先輩よりも先にき出したのは、カウンターの一番端に座っていた長髪の男だった。

 思わず振り向くと、彫刻のような端正な顔をした彼は、肩を震わせながら言った。


「ごめんごめん。そんなガチガチにイキってる人、初めて見ちゃったから」


 耳、指、腕、首。

 彼の身体の色んなところに装飾されたアクセサリーが、キラキラと反射している。

 背中までありそうな長髪を丸く結って、毛先を後ろに流していた。

 は? と思ったものの、あまりにもその通りすぎて、僕は黙ってカウンターを見つめるしかなかった。

 その後のことはよく覚えていない。

 アルコールの勢いに任せて男にウザ絡みして、羞恥心の上塗りをすることに必死だった気がする。

 その中でお互いに自己紹介をして、彼の名前が理志雄りしおということ、ちょっと年上だということ、このバーの常連客だということを教えてもらった。

 村田先輩は彼女に呼び出されたとかで早々に帰ってしまって、平日夜の店内には僕とマスターと、理志雄だけになった。

 そして、マスターが奥に引っ込んだタイミングで、理志雄に「占ってあげよっか」と言われたのだった。


 その夜の話はそこで終わりだ。

 意味深な仕草をして熱っぽい視線を送ってきたわりには、理志雄はそれからすぐに帰ってしまった。

 僕はフワフワとした頭で帰宅して、安心安定のストロングゼロのロング缶を流しこんで寝た。

 いつもなら大抵のモヤモヤを消してくれるはずのストゼロもこの時ばかりは無力で、翌朝どころか一ヶ月経った今でも僕の胸の中には何かが刺さったまま。

 なので、酔っぱらいながらも営業活動はちゃんとしてた理志雄の名刺を片手に、僕は占いの館の前に立っている。

 巷では人気の占い師で中々予約が取れなかったが、急なキャンセルが出たとのことでやっと今日の最終の枠を確保することができた。


 来訪の口実はいくらでもある。

 内定はからくももらった、でも社会に出るのは不安しかないから仕事運が気になる。

 高校の時の彼女に振られてから、大学にいる間ついぞ恋人はできなかった。恋愛運だけでなく結婚運も聞きたい。

 バーでひと通り占ってもらったはずなのに、酒癖の悪さのせいなのか理志雄の妖艶さに見惚れていたせいなのか、何一つ占い結果を思い出せない。

 いや。

 そんなの、建前だ。

 本当は。

 あんな、あんな風に絡んできて、触れてきて、見つめてきて。

 それは――、ではないのか。




「違うよ何言ってんの酒の席でのほんのお遊びに決まってんじゃん」


 再会して一分も経たないうちに、僕の妄想は否定された。

 でも明るい光の中で見る理志雄の顔もそれは息を呑むほどに綺麗で、その整った唇から出される「馬鹿じゃねえの」の言葉も麗しく聞こえてそれはそれで良かった。

 カードや水晶やお香のような占い道具の載ったテーブルを挟んで座る僕達の物理的距離は、想像してたより近い。


「だってあんな、すごいセクシーな感じでツツツって掌をさわさわしてきて、誘われてるって思ってもしょうがなくないですか」


 あの日の感触を思い出して、自然と前屈みになる。


「見るからに初心ウブな若者がいたから、暇潰しにからかってやろうかなって思っただけだよ」


 理志雄はイライラしたようにタバコを取り出して吸い始めた。僕も吸われたい。


「ド直球の下ネタやめろセクハラどころじゃねえぞ」


 僕は固まった。心を読まれている。占い師ってすごい。


「読んでねえよお前が口に出してんだよ。……客として来てくれたからには、料金分くらいの仕事はする。手は抜かないから、占って欲しいこと言いな。そんで、終わったらとっとと帰れ」


 眉間に皺を寄せる表情は、西施せいしもかくや。


「理志雄との相性を占ってください」


「お前メンタルどうなってんだよ」


 殺し屋みたいな目で凄まれた。

 でも、手はカードを使っての占いを着々と行っていて、見た目以上にちゃんとした人なんだなあと思ってさらにグッときた。

 血液型占いすらしたことのない僕にはテーブルに並べられたカードの意味なんてちんぷんかんぷんで、でも理志雄には何か発見があったらしく、狭い占い部屋は静まり返った。


「俺は、自分のことは占えないんだ」


 フッと一つ息を吐いて、少し穏やかになった口調で理志雄は話し出した。


「だから、アンタの恋愛運を見た。……手相の時と同じだよ」


「えっ……」


 どうしよう。全く覚えてないなんて言えない。好感度がこれ以上下がってしまう。


「覚えてないんだろ」


 急に低い声になって、理志雄は僕を睨みつけた。


「あ、あの、その、僕だいぶ酔ってたから、その」


 アワアワと言い訳を並べる僕を、理志雄は右手で制した。

 気圧けおされて黙った瞬間、襟首を掴まれて引き寄せられた。


「何だよ今さら」


 小さくそれだけ言うと、力強く口を塞がれた。

 タバコの味にくらくらした。


 たっぷり吸いつくされた唇を触りながら呆然としていると、理志雄が再びタバコを取り出して火をつけた。


「クソダセえガキかと思ったら、そっちから口説いてきやがる。好みの顔だったもんでワンナイトでも、と思ったらいきなり泣き始めてめんどくせえったらない。それでも、俺に気がありそうだったからまた会おうぜって約束したのにあれから一向にバーに来ない」


 バン、とテーブルを叩かれて僕は反射的にビクリと身体が跳ねた。


「そんなん珍しくもない出会いと別れだったのに、頭からお前のことが離れやしねえ。でも連絡先もわからん。こっちが遊んでやるつもりだったのに、勝手に俺の中に居座ってんじゃねえよ」


 返す言葉が見つからなかった。口説いたのも泣いたのも記憶から抜け落ちている。自分の酒癖の悪さは自覚していたけど、そこまで酒乱だったとは。

 そして、僕と同じくらい、あの夜のことが理志雄の心にも刺さっていたとは。

 嬉しさと申し訳無さでいっぱいだった。


「バーで会った時からそうだったけど、お前、イマドキ珍しいくらい猪突猛進でピュアな奴だな」


 理志雄は煙を輪っかにして吐き出してから続けた。


「そういうとこが、最初から良かったのかもな。ここには、悩みだの欲望だの抱えてるくせにそれを認められない奴も大勢来るんだよ」


「素直さだけが取り柄です駅前にラブホあります宜しくお願いします」



 土下座して拝み倒す僕の頭を、理志雄は踏んではくれなかった。



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酒と煙草と男と男 惟風 @ifuw

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