1-3

「陛下」

 膝を折って礼を取ろうとしたハリスに、黒髪の女王は妻とは似ても似つかぬ硬質な雰囲気で手を振った。

「余計なことに時間は使うな」

「……は」

 ハリスが伏せていた顔を上げると、陛下はさっと表情を険しくした。

 そこに何を読み取ったのか、彼女の浅黒い肌が幾分青ざめ、唇がふるりと震える。

 しかし彼女は取り乱さなかったし、憔悴しきった義弟の顔から目を逸らしもしなかった。

「……聞いたか?」

「カ国より使者が来たと伺いました」


 ハリスの妻レイナは、抜けるように肌が白く、鮮やかな金髪に翠色の瞳を持っていた。身体もそれほど強くはなく、細腰の儚げな少女であった。

 しかし腹違いの異母姉である陛下は、それはもう見事な黒髪に小麦色の肌。メルセルダ王家が何代か前に娶った外国の血を色濃く引いており、美女は美女だが並みの男より男ぶりがいい。

 ドレスも似合うが、それよりもっと軍服のほうが似合うほど。深夜の義弟の訪れに、夜着でも略式のドレスでもなく、近衛の軍服姿というのは毎度の事だ。


「船は沖にあるが、何名かが夜陰に紛れて上陸したとの報告があった。そのうちのひとりが、そなたのことを嗅ぎまわっていると聞いたが」

 極めて事務的なその口調が、ハリスのパックリと開いたままの傷口を再びえぐった。

 しかし、女王陛下の前で醜態をさらすなど彼のプライドが許さなかったし、そんなことができるほど若くもなかった。

「名前はボイド。かつて当家に仕えていた男です」

「……」

「……あの時、妻と共に船に乗っておりました」

 ぎゅっと、紅がなくとも朱い唇が噛み締められた。

 二人はお互いから目を逸らさず、おそらくは表情にありありと浮かんでいるのだろう痛みを、可能な限り面に出さないようにした。


 女王エルザにとって、年の離れた妹であるレイナは娘のようなものだった。

 エルザの母親が他国の王族で、レイナの母親は司祭の娘という、身分の違いはかなりあったが、ふたりはとても仲の良い姉妹だった。

 今でも、よく午後のお茶を共にしていた姉妹が、顔を寄せて笑いあっている姿を覚えている。

「見張りを付けているのであれば、保護していただけませんか? あの男はいまだ当家の者です」

「朝までには連れてこさせよう」

 女王は黒い目でハリスを見つめたまま手を払った。

 室内に控えていたメイドのひとりが、そっと一礼して退室していく。


「カ国の要求は、わが国との技術的交易だ。特に治療師とポーション作成に長けた錬金術師を希望している。どうやらそちらの分野は遅れているようだな。今親書の細部までを分析させている。だが……妙だと思わないか?」

 窓の外の何かを見据え、十歳ほど年上の義姉が紅も指していない唇を開いた。

「国交をかわすには遠すぎる。あれほどまでに徹底的な鎖国を、我が国とのみ解禁する理由は? もう二週間航海すれば我が国よりも術師レベルの高いマルータやトルタがあるというのに」

 ハリスは床に落としていた目線を僅かに上げて、陛下の曇りひとつない軍靴の先を見つめた。

「親書の名義はカ国の皇帝ですか? それとも諸侯のひとりでしょうか」


 カ国については不明な点が多いが、強大な権力を持つ皇帝が諸侯と呼ばれる多くの貴族を支配しているということは分かっている。

 諸侯はいうなればそれぞれが小さな国家の王であり、皇帝は百にも及ぶ連合国家を強い権力で麾下においているのだ。

 はるかに遠い大陸のことでもあり、これまでは詳細な情報は入ってこなかったのだが、ハリスとメルセルダ国女王の十年以上に渡る根気強い交渉により、やっとおぼろげに内情が見えてきていた。

 強い龍の国。冷たい霧の中にある、軍事色の濃い封建国家。

 厳しい階級制度がひかれていて、人口の大多数が奴隷階級、残りは市民階級で、少数の支配階級が強い権力を占有している。


「封書にはリ伯とあるが、どの程度の権力者かはわからぬ。独断ではなかろうが、何しろ情報がほとんどない国だ。詳細は……」

「ご歓談中に失礼いたします」

 素早い独特なノックとともに、王配であり宰相でもあるロベルト・ハイラムが入室してきた。

「公のご配下より伝令が」

 ハリスは急いでロベルトに近寄り、その手に握られている紙を奪い取った。

 常日頃、親しい間柄ではない。若いころから反りの合わない仲だと思いあっていたし、ある程度年齢を重ねた今もなお、顔を合わせれば皮肉を交し合う。

 それでも今回ばかりは、お互いに無言だった。

 ハリスにはそんな余裕はなかったし、ロベルトもまた、愛する妻とその義弟の青白く険しい顔を気づかわし気に見守っている。


「どうした」

 くしゃり、と紙を握りしめたハリスの肩に、エルザの手が置かれる。

「ボイドを確保したとのことです」

「……」

「話を聞いてまいります」

「ハリス」

 女王の手に力が入る。

 視線を上げると、妻とは似ても似つかぬ、しかし確かに同じ血を引いた姉妹の強い眼差しとぶつかる。

 お互いに、それ以上の言葉はなかった。

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