久しぶりの再会で恩師に怒られる
弘前駅に着いてすぐに、僕は惣菜さとうに向かう。
地方の人口減少が問題になっているので、弘前も数年で様変わりしているのではと内心ヒヤヒヤしていた。
幸い、駅前の景色はあまり変わっていないようだ。しかし、バスに乗って数分で違和感に気づく。車道に大幅な工事が入り、今まで繋がっていた道が知らない道と接続していた。
町の成長を感じて、なんだか気分が上向きになる。
一方で、商店街のいくつかの店下りたシャッターを見ると、諸行無常を感じて空しくなった。
そして大学の近くを通り、僕は目を疑った。弘前に残った友人から話を聞いていたが、実際に目にして衝撃的だった。
なんと弘前大学近くのスーパー“ユニバース”がメガドラッグに変わっていた!
大学が終わると、大学生のカップルが仲良く夕飯の材料を買いに来ていたあのユニバースが! 冬になると、家で二人鍋をつついて、そのままお泊りコースの始点になるユニバースが!
これでは、寒い津軽の冬を越すために愛する人と仲良く鍋もつつけないではないかと思ったが、僕の学生時代を振り返ってみると、別に人と仲良く鍋をつついていた記憶なんてなかったし、何なら一時期引きこもって人に会ってなかったので、別にどうでも良かった。世の中色々変わるのだ。リア充末永く爆発しろ。
弘前大学前でバスを下車する。惣菜さとうはここから歩いて十分程のところににあった。今は二時過ぎなので、もしかしたらランチタイムの余熱で、惣菜さとうはごった返しているかもしれない。
閉店間際、最後くらいは惣菜さとうの味を……と、考える人が詰めかけて座れないことも十分に考えられた。
さとうに食べに行くのは、人がまばらになる三時過ぎでいいだろう。
僕は腹ごしらえの前に、大学の門をくぐった。在学時、ゼミの担当教員だった恩師に会うために。
恩師は二人いる。しかし、どちらもアポイントを取っていない。
人と会う前にアポイントも取らないとは! タイムイズマネー。僕は社会人失格だ。
ここで言い訳をするならば、ネットで連絡先を調べたが、繋がらなかったのだ。
在学時に教えてもらった連絡先も覚えていない。そのため誠に申し訳ないが飛び込み営業になってしまった。本来、事前にメールを送ってアポイントを取るのが社会人の常識なのだが、今回は僕の勝手で訪問している。
改めてこちらで謝辞を述べさせていただきます。
大学の受付で事情を話し、先生にアポイントを取ってもらう。
事務員さんの健闘もあり、ゼミの元担当教授は僕の訪問を快く了承してくれた。
そしてもう一人の教授は今、授業中らしいので、時間を調整して会わせていただくことになった。
学生はいつでもウェルカムの姿勢を取っているゼミの教授は、年中、研究室の扉が開いている。研究室の前に立った瞬間、中から教授の声が聞こえた。
暖簾をくぐると、教授がデスクから立ち上がってこちらに歩いて来た。
来年に定年を迎える彼は、叡智を湛えた双眸をこちらに向ける。顔に深く刻まれた皺が、彼にしごかれた大学生活を思い出された。
変わらない教授の姿に、少しホッとした。
お土産の白えびせんべいを渡し、挨拶する。時間はあまりないので、手短に近況報告と、世間話でもできればと思った。しかし、僕は大学教授をなめていた。
大学生と正社員を辞め、キレを失った僕の頭脳は、明らかに教授の知識の蓄積を受け止めるだけの筋力を削がれていた。
教授は開口一番、次のようなことを言った。
「何しに来たの? 忙しいんじゃないの? 受付で聞いた? 次の授業があるから十分程しか話せないよ」
矢継ぎ早に繰り出される言葉にたじろぎ、僕は返答が出来なかった。
僕を真横で詰める教授は、大学時代からの癖で、歯をカチカチと鳴らした。
「で、今、何しているの」
その質問で、やっと僕のターンが回ってきた。
「昨年、東京のITベンチャーを辞めて、小説を書いています」
僕は胸を張って応えた。今やりたい、好きなことをしているからだ。
しかし、僕の態度に教授が怪訝そうな顔をする。
「どうやって食ってんの?」
「富山の寿司屋でバイトしてます」
「プー太郎なんだね。とりあえず食べられればいいって感じ? 親のスネをかじってるの?」
「いや、家は空き家があるのでそこに住まわせてもらって、自分のお金は自分で出してます。プー太郎じゃありません」
「それをプー太郎って言うんだよ」
教授はハァとため息をつき、しばらく僕を観察した。
「結婚は考えていない? 光熱費は? 保険料は?」
僕は首を振った。
「ああ、健康保険は入っていないです」
「国民皆保険だよね、入らないってことが出来るの!? 親の健康保険にでも入ってるの? え、戸籍はあるよね?」
教授は何故か驚愕していた。その驚き様に、僕のほうがびっくりした。
「戸籍は、なんとかあります」
少しユーモアを含めて返したが、教授はピクリとも笑わない。
「親は、何にも言わないの?」
「何にも言わないです」
「自分のことは自分でしろってこと? 言っても無駄だって思ってる?」
教授は何を言っているんだろう。僕は愛想笑いをした。
何も答えない僕を見て、教授が唸った。
「ちょっと残念だな」
残念……!? どういう意味か、僕の頭では理解できなかった。
この後、僕の一年上の先輩が朝日生命に入社したこと、教授が考える一般的な理想の人生像や、高校生が大学に入る意味は何かなどといった話が続き、僕たちは小議論を繰り返した。
どうやら教授の中では、出世して、可愛い奥さんを社内恋愛でもらって、700万超えの収入をもらうことが理想の人生らしい。
「色々話してみて、三分の一、君のことがわかった。俺と君の価値観が違うんだともね」
教授がそう言った。そうですか、ありがとうございます。
僕は打ちのめされて半ば気絶しかけの頭で会釈をする。言葉も出せなかった。
「君の生き方、生徒たちに教えてもいい? 大学に入ってもこういう先輩がいるんだってこと。大学に入っただけでは生涯安泰じゃないんだぞってこと」
「まあ、いいですけど」
僕の経験が、人のためになるなら喜ばしいことだった。
「一年と一ヶ月後、俺の最終講義があるんだよ。まあ、それはキツイか。今、何歳?」
「26歳です」
「じゃあ、五年後だな」
五年後?
「五年後だったら31歳。年収にして700万円か」
「はぁ」
「五年後、同期よりも稼いでますって言えるようになってね。それじゃあ、この後授業だから帰って」
「アッハイ、シツレイシマシタ……」
教授に促され、僕は研究室を出た。
結局、教授とは三十三分間喋っていた。
涙が出た。マシンガントークの中で理解できたのは、好きなことをして生きていても、やはり、一般的な出世をしてかわいい奥さんと結婚するのが良しとされる価値観が大多数の社会で生きていることだった。一気に孤独感が募る。
そして何より、教授に残念だと言われたのが一番堪えた。僕の人生は残念じゃない。
まあ、いいさ。弘前に来た本命はギャンブル定食だし。
心が穏やかでないのはきっと、お腹が空いているからだ。
朝から何も食べていないのだから、誰でも余裕がなくなるって。
僕は営業時代に培ってきたマインドフルネスで心を強制的に立ち直らせる。
そう思わないとやってられない。自分に言い聞かせ、僕は惣菜さとうへと向かった。
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