Day30 貼紙
兄の大樹が帰省してきた。
「じゃーん!」
しょうもない土産を持って、だ。
この兄、向日葵よりふたつ年長の二十六歳だが、図体は186センチと誰よりも大きいのにやることは小学生だ。とても大きな企業に勤めているとは思えない。それも大学院を卒業して研究の仕事をしているというのだから人生は何が起こるかわからないものだ。
ららぽーとでの買い物から帰宅した向日葵と椿に、彼はその土産を得意げな顔で見せつけてきた。
『第75回沼津夏まつり』
夜空に輝く花火を背景に白いロゴが踊るそれは、沼津の至るところで見られる夏祭りの宣伝ポスターだ。
「なんだなんだ、どうしたそりゃ? どこから持ってきただ」
動揺した向日葵がそう尋ねると、褒められたとでも勘違いしたのだろうか、兄が嬉しそうな顔をした。
「会社の廊下に貼ってあったの剥がしてきた」
「どうしてそんな山賊みたいなことを……」
「だってもういいら、誰も出勤してこねえら。もう見る人はいない、月曜にすべてが終わってから総務の人が来て剥がして捨てるだけ、と思ったら、かわいそうー俺が連れて帰ってやらなくちゃーって使命感がよ」
「理屈が誘拐犯なんだよなあ」
台所からファミリーサイズの大袋菓子の盛り合わせを持ってきた母が息子の戦利品を目にして「なにそれ」と顔をしかめた。息子は「いい写真だら」と言ってポスターをびろびろと広げている。
「どうするのそれ」
「貼っとこうぜ」
「どこに」
「このへん?」
居間の壁、掛け時計とテレビの間に手で押しつけた。母が「やめてっ」と悲鳴に似た声を上げた。
「よく見えるところに」
「あんたが花火大会を楽しみにしてるのはよーくわかった。いまさら主張しなくても連れていってあげるからやめなさい」
何せ花火大会のためだけに社員寮から帰ってくるくらいである。
裾野市の職場までは車でも通勤に片道一時間超かかるので、彼は会社の敷地内にある独身寮に入った。逆に言えば一時間ちょっとで帰ってこれる。週末だけ帰宅することも無理ではない。お盆休みもがっつり休暇をとって帰省することを思うと、どれだけ実家が好きなのかという話だ。
とはいえ、向日葵は世間の基準に照らし合わせると多少ブラコンの気質もあるので追い出す気はない。なんとなく、兄がいるだけで空気がよりいっそう明るく元気になる気がする。いつでも帰ってくればいいのだ。なんなら自宅通勤すればいいのに、と思うがそれはそれで喧嘩になるかもしれない、こういうのはたまに会うからいいのである。
背が高すぎて鴨居に頭をぶつけそうになるので、頭を下げてうろうろする。居間の隣にある仏間に移動する。
「おっ、じいさんの隣空いてんじゃん」
遺影の話である。勘弁してほしい。
「おばあちゃんに怒られるよ」
「怒らせとけ怒らせとけ、そんなに血圧高いわけでもねえんだら」
セロハンテープで仏間の鴨居の上にポスターを貼り始めた。画鋲でないだけまだマシか。祖母も大変だ、この孫は今までどれだけ叱ってきたかしれない。彼女には十三人の孫と二人のひ孫がいて、それでも一番この長男の長男である大樹を怒鳴っている。
「嬉しい嬉しい! 台風やら何やらでずっと中止だったからな。しかも今年は席取れたんだら? ゆっくりビール飲みながらの花火は最高だよなあ」
「今年はアルコール禁止なんだよ」
「これで隣に浴衣着た綺麗なお姉さんがいてくれたらもっといいんだけどなあ。親兄弟との花火大会なあ」
「文句言うなら裾野に帰れ」
「おおっと、忘れてた! 俺には可愛い可愛い妹がいるじゃんねえ」
前触れなく抱きついてくる。抱き締められながら向日葵は溜息をついた。
「今年のひまちゃんは浴衣でちゅか?」
「そうだよ浴衣だよ。今椿くんと二人でららぽに着付け用の小物買いに行ってきただよ」
「わーお兄ちゃんひまちゃんの浴衣ばか楽しみだなー」
向日葵もまんざらでもないので、おとなしく兄の肩に額を擦り寄せた。
その様子を椿が鬼の形相で見つめていたのは知るよしもない。
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