Day29 揃える

 急に肩甲骨のあたりに触られた。のの字を書くような指の動きがくすぐったい。笑って「なにすんの」と言いながら振り返ると、椿が向日葵の髪の毛の先を自分の指に巻いていた。


「髪伸びたな」


 向日葵が動くと、弾力のある髪の先端がするりと解けた。椿は負けじと毛先を追いかけた。人差し指と中指で挟むようにして引っ張る。大して痛みもないので強いて止めることはしない。


「そうだね、ちょっと放置してるとあっという間に伸びるね。最後に切ったのいつだったっけ」


 向日葵の髪は伸びるのがとにかく早い。母のわかめの味噌汁を飲んでいるからだろうか、コンビニの昆布のおにぎりが好きだからだろうか。半月で一センチ、ひょっとしたら一ヶ月で三センチ近く伸びているかもしれない。特にこだわりはないので、美容院に行くたびに適当に肩のあたりまでのセミロングにカットしてもらっている。今は肩甲骨につくくらいだ。


「近々行くかなー美容院。夏だしばっさりショートにしてみようかな」


 椿が「ええ」と不満げな声を上げた。


「いやや。切らんといて。伸ばし」

「なんで?」

「僕ひいさんのロングが好きやったんや。ほら、大学の時、結構長かったやろ」


 成人式があったからだ。成人式で凝った髪型にセットできるよう伸ばしていたのである。

 あの時は人生で一番長くて腰につくほどあった。しかし成人式が終わってすぐショートボブくらいまで切ってしまった。頭が重いしドライヤーは面倒だしヘアドネーションというものをしてみたかったので向日葵自身はさほど悩まずに切ったのだが、椿にはとんでもなく不評だったのを思い出す。


「みどりの黒髪。毛質がしっかりして黒々艶々していてまっすぐで、こんなに美しい髪そうあらへん」


 向日葵は照れ隠しに笑いながら「そうか?」と首を傾げた。父から受け継いだ真っ黒の直毛だ。それこそ大学生の時は余裕があれば金になるまでブリーチしてパーマをかけたかったくらいなのに椿は嫌らしい。


「また伸ばして。僕ヘアアレンジ勉強するし長くして」

「ええー、めんどくさいよぉ。ただでさえ毛の量多くて困ってるのにぃ」

「美容院行かんかったらええだけの話やん。カット代浮くで」

「そこは節約しなくても……」


 自分の髪に触れる。今は鎖骨の下に十センチほどだろうか。


「そこまで言うんなら、まあ……。でもぼさぼさだと汚らしいから毛先だけちょっと揃えてもらいに行くかな……」


 椿が表情を明るくした。


「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」

「それは知ってる! 百人一首だよね。セクシーな歌だよねえ」

「あっ、ほんま。僕今めっちゃ嬉しい。やっと通じ合えた気ぃする」

「なんと大袈裟な」




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