Day28 しゅわしゅわ

「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー、ハッピー・バースデー・トゥ・ユー、ハッピー・バースデー・ディア・ヒマワリ、ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」


 向日葵はケーキの上に一本だけ立っているろうそくの炎を吹き消した。今日のケーキはとても崩れやすいムースのケーキなので年齢分立てるのは遠慮したのだ。こんなやわらかいケーキに二十四本も突き刺したら崩れてしまう。


 ろうそくの火が消えると、部屋の中が薄暗くなった。窓側が全面障子戸の居間は午後七時現在でもまだほんのり手元が見えるが、包丁を振るうには心もとない。父が手を伸ばして蛍光灯から下がる灯りの紐を引っ張った。部屋が明るくなった。


 ケーキに包丁を入れる。ケーキの下に敷かれたプラスチックのプレートにカットの目安の線が入っているので、危うげなく六等分にする。自分の分、椿の分、父の分、母の分、祖母の分、そして仏壇の分だ。


 小皿に取り分けると、向日葵のケーキの上にだけチョコレートがのせられた。『ひまわりちゃん おたんじょうび おめでとう』──ケーキ屋にまで祝ってもらえている気になれて嬉しい。


「いただきまーす!」


 ケーキにフォークを刺した。フォークではなくスプーンのほうがいいのではないかと思うほどやわらかい。

 おそるおそる口に運ぶ。しゅわ、と溶けて消えた。口の中で内部のムースのホワイトチョコレートの甘さと外側を包んでいるクリームチーズの酸味が混ざり合った。


「サイコーにおいしい。一人でホール全部食べられる」


 注文を担当した母が「よかった」と胸を撫で下ろした。


「うちのひまちゃんももう二十四歳か。来年にはアラサーかあ」

「ついこの間生まれたばっかの気がするのになあ。いつの間にか大学まで出て結婚してるんだからよ」


 父が赤ん坊を抱えているジェスチャーをして「こんな小さかった、こーんな」と言う。向日葵は面映くなってわざと「がはは」と笑った。


「健康で大きくなってくれて何よりだよ。ばあちゃんは元気でいてくれるなら他に何にも望まないよ」

「元気だよ! 元気だけが取り柄だからね! おばあちゃんこそずっと元気でいてね!」


 そこで母が体を捻って自分の背後に手を伸ばした。向日葵は、きたきた、と思いながらも期待していることを悟られないようにつんと澄ました。


「さて。これが、お父さんとお母さんからのプレゼントです」


 五十センチくらいはあるだろうか、それなりに大きな紙袋だった。黒いギフト袋の表面には見たことのないロゴが入っている。何のブランドだろう。


「ありがとう」


 受け取る。思いのほか軽い。


「見ていい?」

「いいよ」


 袋を開けると、太くて短い棒状のものが出てきた。

 折りたたみ式の傘だ。


「遮光率100パーセントの日傘です」

「うおっ、マジ!? めちゃめちゃ嬉しい! 遮光率100パーセント欲しかったの! めっちゃ涼しいやつでしょ!?」

「それでお肌を守ってね。髪の毛も紫外線のダメージから守ってあげてね」

「すごい嬉しい! ありがとう! めっちゃありがとう!」


 祖母も座卓の下に置いておいたらしき紙袋を取り出した。


「これはばあちゃんから。重たいから気をつけて持ってね」


 日傘を脇に置き、紙袋を受け取る。この紙袋は見覚えのある本屋の袋だ。どうやら本をくれるらしい。

 開けたらラッピングされた包みが出てきた。それもべりべりと遠慮なく剥がすと、単行本、四六版のハードカバーの本が二冊出てきた。


「これ今回の直木賞じゃん! あっ、芥川賞も! この前発表されたやつっしょ!?」

「ひま、最近畑も会社も忙しくて本読めないって言ってたら。図書館だと返す期限があるから、買った本のほうが気兼ねなく手元に置いておけるっしょ」

「うん、ありがとう! すごい嬉しい! 読む!」

「読み終わったらばあちゃんにも貸してね」


 そして、最後に──つい、隣に座る夫の顔を見てしまった。

 彼が、にこ、と笑みを見せた。


「これ、僕から」


 包みを差し出された。上質そうな包装紙でくるまれた薄い箱だ。

 箱である。

 箱とは。


 こわごわ手に取る。軽い。


「開けていい?」

「ええで」


 紙でさえ丁寧に扱わないといけない気がして、ゆっくり剥いた。

 何を贈ってくる気だろう。怖い。

 学生時代に宝石をあしらった高価なネックレスやブレスレットを贈ってきたのを思い出す。

 ああいう、とんでもなく値の張るものだったらどうしよう。


 震える手で箱を開ける。


 さらに白い薄紙に包まれている。


 そっと開いた。


 中から目にまぶしい布が出てきた


 黒を基調として金の糸を織り込んだ織物だ。朱色の波が流れている。白い蝶が舞っている。


 美しい。


「何これ」

「ブックカバー」


 彼はにこにこと微笑んでいる。


「前に市販品で単行本サイズのブックカバーがあらへんて言うてたやん。おばあちゃんに本もろたしちょうどええな」

「こんな……すごいブックカバーを……!?」

「養ってもろてる身であんまり豪華なもの買うたら何様やと思われるんちゃうかなーと思っていろいろ考えたんやで」


 そして口角を上げて笑顔を浮かべたまましゅんとうなだれる。


「僕がばりばり稼いでたら指輪のひとつやふたつ買うたるんやけど、ごめん」

「いや……いやいや……」


 そっとブックカバーの表面を撫でた。


「念のために聞いとくけど、これ、まさか西陣織じゃないですよね……?」

「そうやで」

「この前調べてた金襴?」

「そう」

「いくらすんの?」

「プレゼントの値段聞くのやめ」


 恐ろしくなってしまった。


「安心しぃ、実家から持ち出してきた僕の小遣いから出してるし」


 椿がいくら持ち出してきたのかは向日葵は把握していない。夫婦といえども万が一のためにそれなりのお金を別々に持っていたほうがいいと思っているからだ。しかしこうして使っているのを見ると相当な額を持ってきたのではないかと思えてきて怖い。椿には就労経験はないはずだ。親は彼にいくら渡していたのだろう。


「なんなら着物買うてやりたかったんやけどなあ」


 遠い目をして溜息をつく。


「ネットで検索しても相場がわからんかったから恥を忍んで馴染みの呉服屋に電話かけたしな。実家にいた時着物の値段なんて気にしたことあらへんかったけど、今思うと金銭感覚狂っとったな」


 自覚がなかったらしい。しかも、馴染みの呉服屋とはいったい、それも西陣織の、と思うと頭が痛い。


「お金欲しいなあ」


 椿がぽつりぽつりと呟く。


「ひいさんに金襴緞子の花嫁衣裳。いつかお金貯めて買うたるからな」


 しかし気持ちは嬉しい。一生に一回ぐらいはそんな贅沢をしてみてもいいかな、と思う。その前に結婚指輪をくれ、と思ってしまうが、それは胸の奥にしまっておく。地元のジュエリーショップでそれなりのものを自分で買って椿に渡してもいいのだ。


 あればいい。もっと言えば、なくてもいい。こういうのは、形ではない。


「そんな豪華なの、私なら仏壇の下にしまって出さないけどな……」


 母が青ざめた顔で言うので、祖母が「こら」と嫁を嗜めた。


「使ってやりなさい。椿の京都での思い出なんだら。肌身離さず持っていなさい」


 向日葵は頷いた。


「ありがとう。大事に使うね。今おばあちゃんに貰った本入れて持ち歩くからね」


 金襴のブックカバーを撫でた。

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