Day26 標本

 茶屋の店頭で近所の人とたわいもない世間話をしているらしい椿が、だんだん情報通になっていく。


「なあひいさん、サントムーンに水族館ができたの知ってる?」


 向日葵は「もちろん」と答えた。何せ兼業で勤めている会社にて沼津およびその周辺の観光情報を集めているのである、そのへんのアンテナは高い。


 サントムーンとは、沼津市と三島市の間にある小さな町清水町のショッピングセンター、サントムーン柿田川のことである。

 沼津市内に住んでいる向日葵の買い物は基本的にららぽーと沼津で事足りるが、サントムーンはサントムーンでそれなりに充実している。まだららぽーとがなかった子供の頃はちょっとしたおでかけとしてよく連れていってもらったものだ。

 すぐ近くに柿田川公園があるのもポイントが高い。抜群の透明度を誇る柿田川は日本の名水百選にも選ばれていて、サントムーンで買った軽食を持ってちょっと散歩するのにちょうどいい。


 そのサントムーンが二年ほど前に増築して、新しい棟を建てた。中の店舗は徐々に拡充していき、このたび最上階に小さな水族館をオープンするに至った。


「先週の話だよね。社長と近々行かなきゃねって話をしてたとこ」

「沼津は水族館が多いなあ」

「清水町はまた別の自治体だしどちらかといえば三島の植民地なんだけどさ」


 椿が得意げに言う。


「幼魚だけ集めた水族館なんやて。小さい魚ばっかりなんやろ。きっと可愛いやろうなあ」


 この人に小さな生き物を可愛いと思う気持ちがあるとは驚きだ。人間の子供は嫌いなのに魚類の子供はいいらしい。

 その、小さくて弱くていとけない生き物を可愛いと思う心を、育てていってほしい。それは彼の世界を豊かにするだろうし、いつか向日葵にも幸福をもたらしてくれるかもしれない。


「でも、幼魚ばっかりやというと──」


 次の台詞を聞いて、向日葵は凍りついた。


「成魚になったらどうするんやろ。大きくなったら飼育できひんのかな」


 向日葵は、知っていた。


「『卒業』するらしいよ」

「そつぎょう? どういうこと? 具体的に何するん?」

「日本各地の研究施設にお引越しするらしい」

「ほんま。魚を生きたまま輸送するの大変なんちゃうん?」

「まあ……そうだね……ははは……」

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