Day23 ひまわり

 午前六時、いつもよりずっと早い時間に朝ご飯を食べ、二人で家を出た。


 散歩にしては少し長い時間を歩く。目指す先は国道一号線と大きな生活道路の間にある平原、草野と道路しかない空間につくられた約束の地だ。かつては荒れ果てた休耕地だったが、地元を愛する住民たちの手で生まれ変わったそこには、今や大勢の観光客が押し寄せてくる。だから今日の向日葵と椿は人が来る前の早朝に家を出たわけだ。


 太陽はすでに空高く昇っている。けれど空気はまだ爽やかで清々しく、息を吸い込むと古き良き日本の夏を感じる。頬にかすかに触れる程度のそよ風が心地よい。この地が避寒にも避暑にも向いたこの世の楽園であることを再認識する。


 歩道のない、二人の他には車も人もない道路を行くと、左手に目的地が見えてきた。


 そよ風程度では揺れることのない、強く頑丈な花の群れが姿を現した。


「わあ……!」


 椿が、思わず、といった様子で声を上げ、向日葵から離れて小走りで花々に近づいていった。


 大きな木製の看板に、白い丸文字でこう書かれた看板が立っている。


『浮島ひまわりらんど』。


 目に痛いほどの黄色と緑の洪水、見渡す限り向日葵や椿よりずっと背の高いひまわりの花が咲いている。


 沼津市西部浮島地区が誇る最高の場所、ひまわり畑だ。


「すごい……!」


 椿が素直に感嘆の息を漏らした。


 向日葵と椿はひまわり畑から見て北側から歩いてきたので、花の大半は横を向いている。真正面から見るため、南東の方角にある展望台を──といっても鉄パイプと鉄板を組み合わせただけの足場だが──を目指した。


 ひまわりの迷路の中を歩く。背の高いひまわりの林に埋もれる。大きく花弁を広げたひまわりの花の中心、雌しべと雄しべがぎっちり詰まった部分で蜜蜂が忙しなく仕事をしている。同じく花粉を求めているのか季節はずれに感じる白い蝶がひらひらと舞っていた。


 迷路を出て、ひまわりの森を迂回し、展望台に上がった。


 ひまわりの花が、こちらを向いて咲き誇っていた。


 あの花も、この花も、その花も、みんな、黄色い花びらを広げ、明るく能天気に背を伸ばしている。


 不意に椿がしゃがみ込んだ。ぎょっとして隣にかがみ込んだ。顔を覗き込む。


 彼は声を殺してほろほろと涙を流していた。


「綺麗やなあ」


 何にも悲しくないのに、向日葵もつられて泣きそうになった。


「ほんまに、綺麗やなあ」


 太陽に向かって咲く、一面の、ひまわりの花。


「かわいくて、いとおしい花」


 言葉にならない。


「みんなみんな、この地域の人はみんなひまわりが好きなんや。愛してはんのやろな。それを大勢の人が見に来はるんやで」

「そうだねえ」


 大きな黄色い花が、何にも遠慮することなく咲いている。


「嬉しいねえ」


 二人はしばらく展望台の上に座り込んでひまわり畑を眺めていた。



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