Day17 その名前
宅急便が来た。椿が玄関に出て対応することになった。
「ここに判子またはサインをお願いします」
配達員が伝票の丸い欄を指差す。下駄箱に保管している受領印専用と化したシャチハタを取り出す。ぎゅ、としっかりめに捺す。
届いたのは黒くて薄いボール紙の段ボール箱だった。一番長い辺でも椿の手首から肘くらいまでもないが、手に持ってみると案外ずっしりと重い。
「いつもおおきに」
「ありがとうございました」
配達員が出ていく。車に乗り込んだのを確認してから玄関の戸に鍵をかける。
改めて伝票を見てみると品名のところに酒類と書かれていた。道理で重いはずだ、液体の入った瓶が詰められているのだ。
箱を持って台所に立つ義母のもとへ向かった。野菜を刻んでいた義母に「中身出して」と言われた。すぐ居間に持ち帰って一人で開封する。
外側の薄いボール紙を開けると、中にひとまわり小さい箱が入っていた。黒地に金の模様の入っている高価そうな化粧箱だ。『お中元』ののしがついている。いわれてみればそういう季節か。去年の今頃は知り合いという知り合いに片っ端から送る手配をしていたというのに、今年はすっかり忘れていた。実家とともにそういう風習も捨ててきてしまったらしい。気をつけなければと自分を叱咤する。
化粧箱を開けると、四合瓶が四本入っていた。
いつの間にか背後に立っていたらしい義母が椿の手元を覗き込んでいた。
「大吟醸セットか。サイコーじゃないですか」
「
「嫁の
改めて、婿の自分がしっかりせねば、と誓った。
のしの水引きの下に、池谷、と書かれている。正樹叔父は向日葵の父広樹の弟なので、単純に次男として独立して新しく分家となった池谷家ということである。
池谷の文字をじっと見る。
「これでイケガヤと読むのおもろいですね。僕しばらくイケタニさんやとおもてたんですよ」
義母が答える。
「どちらかといえば静岡県の西部のほうに多い名前らしいんだけど、ほら、うち、明治にお茶農家するために沼津に移住してきた家だから」
「小学校低学年で書けるシンプルな姓やのに難読苗字ですわ」
「シンプルか。確かに。百均の印鑑コーナーに絶対あるやつ。それこそイケタニさんで代用できるし、下駄箱の判子だってセリアで買ったんだもん」
「僕の旧姓たぶんその辺で売ってないです、全国に百人もいいひんので」
義母が黙って椿の顔をじっと見つめた。椿は何か失言したかと冷や汗をかいた。
「ごめんね、貴重な家名を捨てさせることになってしまって……」
「そういうんやあらへん、そういう意味やあらへんです! 僕は池谷一族に名を連ねたことをとても光栄におもてます!」
「本当かー? 今の京都人仕草でしょ」
「京都人でくくられると僕永遠になに言うても信じてくれはらへんがな」
彼女は池谷ファミリーの一員らしい豪快な「がはは」という笑い声をあげて椿の頭を撫でた。髪をかき混ぜるような動きに椿は閉口した。それこそ馴れ馴れしい上に子供扱いで困ったものだが、この義母には勝てない。姑に可愛がってもらえることは人生で最良のことのうちのひとつだ。
手が離れたので、手櫛で髪を整えた。
「まあ、ええんですわ。いつまでもあれを名乗ってたら頭おかしなる。縁が切れてせいせいしましたわ」
すると義母もふと笑った。
「私も。私も池谷家に嫁に来た立場だから、いろいろ思うところはあるわよ」
「お義母さん……」
「結婚して姓が変わることはネガティブなことだけじゃないよね。変えたい人も変えたくない人も、両方尊重される世の中であってほしいわね」
椿は静かに頷いた。
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