Day4 滴る

 夏の果物といえば、マンゴー、すいか、そしてこれだ。


「じゃーん!」


 向日葵はそれをカットして椿の前に出した。

 椿が目をまん丸にした。


「メロンやん!」


 明るい緑の果肉、とろける果汁、芳醇な香り、何もかもすべてが美しい果物、静岡の誇るクラウンメロンである。


「どうしたんこれ?」

「リカちゃん社長がくれた。ご家族で食べてねって」


 このリカちゃん社長とは向日葵が勤めている小さな会社の社長の勝又かつまた里香子りかこのことである。いつもポジティブな姉御肌の女性だ。


「お歳暮の横流し品だって。社長一人暮らしだからこういう解体と消費に手間がかかる食べ物好きじゃないんだよ」

「損な人生やな。夏にメロンを食べられへん人生なんて考えられん」


 椿は食が細いので実家のお手伝いさんとやらが気を揉んで水分が多くて喉越しが良い果物を用意し続けてきたに違いない。メロンは高級フルーツなので、一般家庭ではそんなに頻繁に食べられないだろう。こんな機会でもなければ向日葵の口に入るメロンとは普通加工品だ。うっかり結婚してしまったので、当面の間はこの金銭感覚のすり合わせが夫婦の一番の課題となりそうだった。


「はい」


 向日葵は彼にどんと皿ごとメロンを差し出した。そして、自分も手に持ってメロンを食べ始めた。皮をかじるくらい食べ尽くしてやる。


 しばらくの間、椿は皿の上のメロンを眺めていた。


「……食べないの?」

「ナイフとフォークは?」


 手づかみで食べている自分が恥ずかしくなった。


「自分で台所から持ってきてよ。わたしは使わないもん」

「豪快やな」


 オブラートに包んでくれたが、彼の言う豪快とは野蛮という意味である。


「使い」


 野蛮な静岡人の向日葵が沈黙していると、椿はすっと立ち上がり、台所のほうへ向かって消えた。

 数十秒後、フォークとペティナイフを持って帰ってきた。


 メロンを器用に一口サイズにカットする。フォークで刺す。口に運ぶ。


「ジューシー。わるないな」


 向日葵もしぶしぶ彼が持ってきたフォークで食べ始めた。こうしていると大人になった気持ちだ。


「立派なメロンやん。一玉まるまるいただいてきたん?」

「そうだよ。静岡産のメロンだよ」

「静岡てメロンも作ってるんか」

「うん。西部のほう、袋井とか磐田とかそのへん、メロンが有名なんだよ。そりゃ北海道に比べたら規模は劣るかもしれないけどさ、お高いメロンが穫れるんだ。磐田はわかる?」

「わからへん。何が有名?」

「ジュビロ」

「ジュビ……何?」

「サッカーチームだよ。静岡で生きていくためにはJリーグ詳しくならなきゃだめだよ」

「スポーツいっこも興味あらへん」

「今度アスルクラロのホームの試合に連れていってあげるからね」


 椿はこの時自分が来年には熱心にパープルサンガを応援するようになることを知らない。


 二人でたわいもないことを喋りながら食べるメロンのなんとおいしいことか。メロンは幸せの味だ。メロン以外もたいがい幸せの味だ。二人で食べるものは基本的にはみんな幸せの味がする。


「あ」


 不意に椿が向日葵の腕をつかんだ。突然のことに向日葵がびっくりしていると、彼は向日葵の腕を自分のほうに引き寄せた。


「汁垂れてる」


 薄く口を開ける。赤い舌がちらりと出てくる。手首を顔に寄せ、おもむろに唇を近づける。

 ぺろ、と。彼はためらいなく向日葵の腕に滴るメロンの果汁を舐めた。


 それこそ恥ずかしいのではないかと思うのだが、彼はそうするのが当然かのような顔をして軽く音を立てて吸った。


「手づかみで食べるからや」

「つ、椿くん」

「はい」

「お布団行こうか」

「食べ終わったらな」




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