のろい

早河縁

第1話

 彼は安易に「死ね」と口にする輩が嫌いだった。

 言霊という概念を信じているのだ。

 良いことも悪いことも関係なく、実際に口にすることで事実になってしまうこともある。

 言葉は口にすることで、様々な過程を踏んで現実になるものなのだ。

 少なくとも彼はそう考えていた。

「死ねよ、お前」

 いじめっ子のクラスメイトは、そう口癖のように言っていた。

「やめてよ」

 いじめられっ子のクラスメイトは、大した反抗もせずそう言うだけだった。しかし彼の前では、いつも言っていた。

「あんなやつら、死んじゃえばいいんだ」

 彼はそうやって簡単に「死ね」という言葉を使って生きている人間が大嫌いだった。

 苛めている方も苛められている方も関係ない。平等に、彼は大嫌いだった。

「僕、何もしてないのに、どうしていじめられるんだろう」

「さあね」

「君だけだよ、こうやって僕と話してくれるのは」

 それは勝手にこのクラスメイトが話しかけてくるだけの話である。決して彼から話しかけるわけではない。ただ、話しかけてくるから話しているだけだ。

 いじめられっ子はよく「どうしていじめられるのか」と問うてきたが、彼はいつも素っ気なく「さあね」とあいまいに答えるだけだった。

 どうでもいいことだから。

 いじめっ子たちの罵声も、いじめられっ子のぼやきも、彼にとっては雑音でしかない。

「いつも話を聞いてくれてありがとう」

 いじめられっ子は、彼がどう考えているかも知らずにいつも礼を言った。

「大したことはしていないさ」

「いや、聞いてくれるだけで助かっているんだ」

 この彼は実際に一人で勝手にしゃべっているだけで、彼は本当に聞いているだけなのだが、どんなものでも相槌を打ってくれることが嬉しいのだと喜々として言った。反応されるのが嬉しいのだと。

「気味がいなければ僕はきっと、もう自分の意志で死んでいるだろうね。だって僕は彼らに直接『死ね』だなんて言えないもの」

 ――死ね。

 ああまたか、と彼はうんざりした。ため息が出そうになる。

 彼が「死ね」という言葉を嫌いな理由は二つほどあった。

 一つ目は、先に述べたように言霊を信じているから。本当に死んでしまったら気味が悪いし気分も悪い。後味がよくない。

 二つ目は、それが単純に人を傷つける言葉だと思っているから。彼は道徳的でないことは嫌いな質だった。

 それでも彼は自分の意見を表立って主張することはなかった。

 自己主張をすると反論を買うこともあるので、面倒だと感じているからだ。

 みんながみんな、だれかがだれかに、平気で「死ね」と言っている。

 彼はそんなクラスメイトたちを教室の端っこから眺めで、馬鹿だなあとあきれるばかりだった。

 残念な気持ちでいっぱいだった。

 するとある日、担任の教師が朝のホームルームの時間に、みんなに話があると言い出した。

「このクラスでいじめが起きていると聞いた。いじめに加担した者は正直に手をあげなさい」

 ――馬鹿め。

 そんな言い方、やり方で誰が挙手などするものか。

 案の定いじめっ子たちも、見て見ぬふりをしていた他のクラスメイトたちも、みんな知らんぷりを決めこんでいた。

 しかし、誰がちくったのかは知らないが、これはいじめの事実がおおやけになってしまったということを示唆していた。

 それは彼にとって、希望の光にもなり得た。

 ――これでようやく「死ね」という言葉が減るかな。

 そう思われた。

「てめー、なにちくってんだよ」

「僕、言ってません」

「嘘ついてんじゃねーよ、じゃあ誰だよ、ちくったのはよ!」

 いじめっ子の一人が、側の机を蹴り飛ばした。ガシャンと大きな音がした。

「本当に、何も言ってないです。誰にも」

 怯えきって必死で謝っている姿は、彼にはえらく無様に見えた。

「死ねよ」

 たくさん殴られ蹴られ、繰り返し暴行を受けた彼は、目の周りが紫色に鬱血していた。

 ――また、「死ね」か。

 いい加減呆れ果てた。そしてこれは流石にやりすぎだと感じたので、手洗いに行くふりをして担任を呼び、無事いじめっ子たちは叱られ、いじめられっ子は保護された。

 いじめっ子たちは、一週間の停学処分となった。

「死んじまえ」

 彼らはそう吐き捨てるようにして教室を去った。

 ああ、これでようやく日々穏やかに過ごせる、そう思い、彼は安堵した。

 しかし彼らがいなくなった翌日には、クラスメイトたちはみんな口を揃えてこう言った。

「あいつらこそ、死んじゃえばいいのにね」

 それを聞いて、いじめられっ子は腹を立てていた。

「みんな見て見ぬふりをしていたくせに……」

 それをまた彼のもとにぼやきに来ていた。彼はあんな教室で過ごせるか、と一人になりたくて誰もいない図書室まで来たというのに、こんなところまで追いかけてくるいじめられっ子に少し腹を立てた。

 向こうは友人のつもりでいるのだろう。

 もともと内向的な性格でおとなしいし、そもそもそれが原因でいじめられていたのだから、ほかに話せる相手もいない。仕方がないのは分かっているが、自分にだってプライベートがあると彼はふつふつと怒りが湧くのを感じた。

 まあ、怒りを口にすればより苛立つだろうから、言葉にはしないけれど。

「みんな死んじゃえばいいのに」

 一週間後いじめっ子たちが戻ってくると、いじめは更に拍車がかった。

 それと同時に、いじめられっ子はますます「死ねばいいのに」とぼやくようになった。

 彼もまたいじめを見て見ぬふりをしているうちの一人だというのに、なぜかいじめられっ子は彼に執拗に付きまとってぼやき続けた。

「君はどう思う?」

 今までも時々そう問うてくることがあったが、彼は「さあね」としか答えることはなかった。

 しかし、今日はなんだか機嫌が悪かった。

「君、死ねといわれたら死ぬか?」

 うんざりした彼は、そう問い返した。

「なにを言ってるんだ? 死ぬわけないじゃないか」

「そうかい」

 その翌日。

 急にクラスメイトの一人が亡くなったと、朝のホームルームで担任は言った。

 亡くなったのは、いじめっ子のうちの一人だった。学校の近所の公園の木の下で、首を吊っているのを発見されたのだという。

 これで少しは「死ね」という言葉が本当に減るかな。

「死ねばいいと言っていたら、本当に死んじゃうなんて」

 自分を苛めていた輩が死んだというのに、いじめられっ子の憂い顔は晴れなかった。

 それを望んでいたのにも関わらず、罪悪感を感じているようだった。

「だったら言わなきゃよかっただろう」

「本当にそう思うよ。どんなに嫌いでも、言葉にしなければこんなおかしな後悔をしなくてよかったのかな」

 彼は素っ気なく「そうだね」とだけ答えた。

 この件のおかげで、学校中が大騒ぎになった。

 彼は昼になると教室を出て、逃げるように図書室へ来ていた。

 そこにはもちろん、いじめられっ子も来ていた。ぼやき相手を探しに。

「こんなことになるなら、言わなきゃよかった」

 後悔先に立たず。口にはせずとも、まったくもってその通りだと彼は思った。

「死んで良かったんじゃないのか?」

「え?」

 彼はいじめられっ子の目を見すえた。

「だって、君は望んでいただろう。彼らの死を」

 するといじめられっ子はおどおどして、目を泳がせて言い訳がましく「違う」といった。

「何が違うんだ?だって言ったじゃないか。『死ねばいいのに』って」

「それは……本当に思って言ったわけじゃないんだよ、冗談じゃないか!」

「冗談じゃきかないんだよ。死んで当然だ」

「どうしてさ」

 彼は己の考えを言うべきかどうか判断しかねた。

 しかし、正直な話をすることにした。

「言霊だよ」

「……ことだま?」

 いじめられっ子はその言葉を初めて聞いたようだった。

「ああ、口に出したら本当のことになる、ってやつ。昔からの言い伝えだ」

 彼がそう言うと、いじめられっ子は顔を青くして、小さな声で呟いた。

「じゃあ、僕が言ったから……」

「そうかもしれないね」

「じゃあ、僕はどうなるんだ!死んじゃうんじゃないか?だって、何度もあいつらに言われ続けてきたんだよ、『死ね』って!」

 まくしたてるように叫ぶその姿を見て、まるで猿のようだと彼は思った。

「でも、君は昨日、自分で『死なない』と言ったじゃないか」

「それじゃあ、ことだまの話はどうなるんだよ」

「さあ、偶然かもしれないね」

 煮え切らぬまま、会話は途切れた。彼は読んでいた本を閉じ、喧しい教室へ帰った。

 いじめられっ子の彼だけが、不服そうな顔をしていた。

 クラスメイトの死に方について、警察は事件性があると踏んでいるらしく、教室に戻ると二人の警察官が教卓の側にいた。

 自殺にしては、どうも死に方が不自然なのだという。

 警察官は、いじめられっ子に話を聞いていた。

 どんなことをされたか?

 どんなことを言われたか?

 彼もまた「友人」としての証言を求められたので答えてやった。

「『死ね』と言われていました」

 警察は思いのほか早く帰っていった。

 授業どころではなくなったため、教師たちは緊急に職員会議を行っていた。その間は自習するよう言われたが、実質、大半の生徒にとっては長い休み時間を与えらられたようなものだった。

 クラスでは、級友が死んだ話題で持ちきりだった。

 そしてクラスメイトたち全員が、いじめられっ子が復讐のために殺したのでは?とひそひそ声で噂していた。

「死ねばいいのにね」

 クラスメイトの誰かが言った。

「僕じゃない!」

 いじめられっ子は机を叩き立ち上がって叫んだが、誰も見向きもしない。

 彼もまた見て見ぬふりをして、読書に没頭した。

 雑音を聞くのが、苦痛で仕方がなかった。

 そして、その翌日。

 いじめられっ子もまた、同じ場所で首を吊って亡くなった。

 連日クラスメイトが亡くなったということ、そして警察により明かされた他殺の可能性から、パニックになる者も多かった。気分を悪くして早退する者もいた。

 彼はそんな彼らを一瞥し、読み終えた本を閉じると言った。


「死んでよかったね」


 彼はこの人生で他人に「死ね」と言ったことは一度たりともなかった。

 しかし彼は今日、初めて他人の「死」を口にし肯定した。

「なにそれ、どういうこと?」

「人が、クラスメイトが死んだんだよ、二人も!」

「そんなこと思っても言うものじゃない」

 言い分は様々だったが、彼はクラスメイト達から批判を浴びた。

 彼は正論だけを口にした。

「だって、みんなが『死ねばいい』って言ったんだよ」

 クラスメイトたちは口を閉ざし、反論することが出来なかった。

 なぜならそれは事実だから。

 彼はみんなの前に出て言った。

「だから、僕が死なせてあげたよ」

 彼は決して自分が正しいとは思っていなかった。

 けれど、仕方がなかったのだ。

 死ねという言葉の本当の恐ろしさを、みんなに知らしめたかったのだ。

 言葉にすれば現実になることもあると教えたかったのだ。

「ねえみんな」

 彼は問いかける。

「僕には幽霊が見えるんだ。頭がおかしいと思うかもしれないけれど、本当のことだよ。僕は嘘は言わない。今も死んだ彼らはここにいる」

 クラスメイトたちは、背中が泡立つような感覚に襲われた。

 死んだはずのものがすぐそこにいる。

 嘘だと思えたらどんなにいいことか――

 彼の言葉には、なぜだか説得力があり、その一つ一つに重みを感じさせた。

「死んだらどうなるか知ってる?」

 彼は教卓の前に棒立ちして、利き腕を突き出し、みんなを指さした。

 その顔に表情は無く、目は陰っている。

「死んだら幽霊になるのは、みんな知っているよね」

 するとクラスメイトの一人が反論の声をあげる。

「幽霊なんて、いるわけない!」

 みんな賛同し、そうだそうだと焦るように叫んだ。

 しかし、彼は無表情のまま続ける。

「人は死んで幽霊になると、こうやって生きてる人間を指さして、表情の無い顔のまま、ずっと言っているんだ。呪いの言葉を――『死ね、死ね』って」

 その姿を見て、クラスメイトたちはぞっとした。

 彼のその不気味な雰囲気は、彼らの心を簡単に飲み込んだ。

「二人とも言っているよ」

 彼の視線が窓際に移る。

 それは、その場所に彼らがいることを示していた。

「みんなを指さして、『死ねばいいのに』って」

 死んでしまった――いや、彼が殺した二人の、死んだ者が存在することを証明したくて、彼は己の視線で教えてやったのだ。

 どんなに馬鹿なみんなにも伝わるだろう。

 そう希望を抱いて。

 彼は窓際に移動して、窓を開け、淵に腰を掛けた。

 クラスメイトたちは、黙って彼の言葉を聞いていた。

 いや、誰も口を挟めなかったのだ。

 ゆっくりとみんなを見渡して、彼は穏やかな口調で言う。

「僕はね、毎日みんなが可哀想で仕方がなかったよ」

 いつもだれかに「死ね」と言われていることを知らずに生きているみんなが。

 何も知らないみんなのことが。

 彼は外の景色を眺めながら続ける。

「いつもずっと、だれかに死ね死ねと言われてるのに、生きている自分たちまでそんなことを言い合って、馬鹿みたいって思っていたよ」

 そう、彼はずっと――

 生まれてから今この瞬間まで、四六時中聞いていたのだ。

 死者の叫びを。

 聖者に対する憎しみを。

 だから彼は嫌いだったのだ。

 「死ね」という呪いの言葉が。

 うんざりするほど聞いてきた、その呪いの言葉が、大嫌いだった。

「みんな、言霊って知ってる?」

 彼は問うた。

「言葉にすると、それは本当のことになるんだって」

 かつていじめられっ子に教えた時のように、少しだけ苛立った声色。

 それを聞いたクラスメイトたちは理解した。

 死ねという言葉の本当の恐ろしさを。

 そして同時に悔いた。

 それを知らず安易に口にしていた己の恥を。

「それじゃあね」

 彼は、腰かけていた窓から後ろに倒れこむように落っこちて行った。

 クラスメイトのうち数人が慌てて駆け寄る。

 彼はもう、空に浮いていた。


 ――死ねばいいのに。


 彼の口がそう動いたのを、クラスメイトたちは見逃さなかった。

 彼は最後に呪いの言葉をみんなに吐き、地面に叩きつけられた。

 その瞬間だけ、スローモーションになったみたいだった。

 教室には悲鳴が響いている。

 どん、という重たい音が外から聞こえた。

 人間だったのかもわからない形になってしまった彼。

 残されたクラスメイトたちは、ただ茫然と立ち尽くしていた。

 恐怖に泣きわめくものもあった。

 騒ぎを聞いて駆け付けた教師たちは、窓の下を覗き頭を抱える。

「なぜ死ぬことがあろうか」

 教師は驚きのあまり、芝居がかった独白を口にした。

 だが、クラスメイトたち――みんなには解っていた。

 彼の死の理由が。

 これは彼の言っていた言霊によるものだと。

 絶え間なく呪いの言葉を浴びせ続けられた彼が死んだのは当然のことなのだと。

 必然だったのだ。彼の死は。


「死ねばいいのに」


 みんな、彼の最期の言葉が頭から離れない。

 幽霊になった彼は今、ここで、先の二人のように呪いの言葉を吐いているのだろうか。

 わからない。

 ただ、一つ言えることといえば、彼は死んで良かったのだということ。

 死は彼にとって、呪いから逃れられる、唯一の救いだったのだから。


 この日彼は、生まれて初めて呪いから解放された。

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のろい 早河縁 @amami_ch

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