第3話 ありがちな恋愛の結末

 竹取姫花はうっすらと瞳に涙を浮かべた。


「今日でお別れだから」


 空虚な言葉は脳内に入ることなく流れていった。


 きっとこの先……再会することはないはずだ。


 だからわざわざ『お別れ』などという周りくどい表現を使ったのだろう。


 『一目惚れ』という言葉が果たして正しいのかわからない。

 

 姫花に出会ったときにはすでに好きになっていたのかもしれないしそうでもないかもしれない。


 かれこれ3年以上もの間、姫花の正体を隠し続けた。

 秘密の関係であり続けた。


 姫花は、ボロを出してしまいそうな時に決まって周囲の人の認識を阻害する……いや記憶を消すための煙幕のような道具を使おうとした。


 まあ、結局、一度も使わせることなく、穏便に俺が必死になってフォローをし、なんとか誤魔化すことでいくつものピンチを切り抜くことができた。


 あれ、いや……違うな。

 正確には初めの頃一度だけ戸籍関連の申請の際に使って『集団記憶喪失事件』として新聞の一面を飾ったことがあったな。


『あはは、失敗しちゃったみたい』


 なんて少し困ったような表情で俺へと視線を向けられても、すでに役所の人たちは虚な瞳で譫言うわごとのように何かをぶつぶつとつぶやくような状態だったことだけは覚えている。


 だから、竹取姫花という女の子が案外抜けていることも知っているわけだが、そんなエピソードを話したところでクラスのみんなは信じてはくれないだろう。


 と、そんなこんなで色々あったのだ。

 

 そんな紆余曲折があったんだから、もしかしたら一目惚れというよりも、大切に育てた花を慈しむような愛情と表現した方が正しいかもしれない。


 ……かもしれない、と誤魔化したところで意味はないか。


「その……なんだ、あれだ。月に帰っても元気でいてくれ」


「ふふふ、そうだね」


「……」


 俺たちの間にわずかな沈黙が訪れ、刻一刻と別れの時間が近づいていることがわかった。


 いつだったか聞いたことのある囃子の音が、脳内に直接演奏されているように鳴り響いた。そして幻聴のように徐々に大きくなる。


 その楽器のような音色に呼応するように深夜の森林がザーザーと風に煽られて音を立てている。


 木々が先程よりも大きくゆらゆらと揺れていた。


 あれ、何故だろうか。

 先ほどから視界がぼやけ始めている。


 ああ、そうか。

 煙幕のような不鮮明な空気が周囲の森全体を満たし始めているのか。


 そのことに気がついた時に辺り一面に眩い光が散逸した。


 目を開けた時にはすでに竹取姫花の姿は消えていた。


『いつか……また』


 最後に、そう聞こえた気がした。

 それにわずかに頬に何かが触れた気がした。



 望遠鏡を覗き込むと、今にでも落ちてきてしまうのではないかと錯覚する程に星々が輝いていた。


 国立の研究機関で宇宙ーー天文学を研究し始めて数年が経った。


 もとより頭の出来がよくないから、留年ギリギリで何とか大学を卒業した。それにもかかわらず何を血迷ったから就職せずに大学院へと進学してしまった。それからは、あれよあれよと天文学という果てしない道へと入り込んでしまった。


 あれだ。

 まるで不思議の国のアリスだな。

 うさぎに導かれて、アリスが落っこちたように、俺もまた星に見入っているうちに科学という穴へと転がり落ちてしまった感じだ。


 そもそも星についてこれほどまでに魅入られてしまうのは何故なのだろうか。


 確かきっかけは高校生くらいだった気がする。


 しかし高校頃の記憶はなぜか朧げだ。

 

 どうしてだろうか。

 そのころ誰かと何かを約束した気がする。


 すごく重要な何かを……約束した。


 が、一向にその約束とやらの内容が思い出せなかった。

 靄がかかったように不鮮明な光景だけが残っている。


 でも何かを探さなければならないという妙な使命感が俺の頭を支配している。


 だからだろう。

 

 大して頭の良くない俺が、365日毎日飽きずに望遠鏡と数式を睨むことができるのは。


 細かいことはよくわからない。

 まあ、バカなのだから深く考えたって仕方のないことだろう。


「あれ、なんか落ちてこなかったか?」

「はい?先輩、ついに現実と妄想の区別がつかなくなったんじゃないの?」


 全く、年下のくせに生意気なやつだ。


 ちょっと、いや少しだけ俺よりも研究ができるからといってここまでぞんざいな受け答えしなくてもいいではないか。


「……ん?やっぱり、なんか違和感あるんだよな……」


 いや既視感と表現した方がしっくりくるか。

 まるでかつて映画で観たことのあるワンシーンのような光景だ。


「うん、ちょっと散歩してくる」

「あーはいはい、サボりですね」


 俺は生意気な後輩を無視して、研究所を後にした。




 あれ、そういえば、いつだったかこの場所に来た事がある。

 深夜の森は、静かに風にあおられてザーザーと音を立てていた。


 その時だった。

 

 昔、地元の祭りで聞いたことのある、囃子の音が響いてきた。


 いや違うな。

 祖父の家に行った時の懐かしい音だ。


 名前も知らない祭りに参加したときに聞いた和太鼓の音や少し甲高い縦笛のような音だ。


 徐々に音が大きくなり、そして視界が青白い光で満たされた。

 俺は反射的に目を瞑ってしまった。

 何度か瞬きをして、視界が鮮明になった。


「こんばんは、海都さん」

「……こんばんは」


 青白い髪と青白い瞳が俺を捉えていた。

 大人びた姫花は長い髪をかき上げて微笑んだ。


「まさか、最後に記憶を消されるとは思わなかったでしょ?」


「おかけで、中学・高校生活の大半の記憶が抜け落ちて困っていたんだからな?成人式の時だって、昨年の同窓会に出席する時だって、写真とか卒アルみて復習しなきゃ行けなかったし」


「ふふふ、でも今思い出したのだから、これから先は問題ないでしょ?」


「そうかもしれないな……」

「ふふふ」

「ああ、そうだ」

「……?」

「ところで、俺、来週結婚するんだよね」

「……っ!?」

「嘘です」

「このタイミングで嘘をつく必要があったかなっ!?ここは感動的な場面でしょっ!?ま、まあ、そ、そんなこと私にかかれば、わかっていましたけどねっ!」


 狼狽える姫花は若干うるうるとした瞳でキッと俺のことを睨んで、少し早口に答えた。

 

 ふん、とりあえず記憶を消されたことに対する仕返しはこれくらいで十分だろう。

 

 だってきっとこの先、俺と姫花の関係は続くのだろうから。

 友だちではない関係……。


「コホン、そ、そんなことよりも、海都さんっ!」

「……?」

「私の戸籍ってあるんでしたっけ?」

「確か……ここに来てすぐに役所の人たちに変な煙幕使って申請?取得していたんじゃなかったか?」

「うーん……そ、そうでした?」

「ああ」

「し、仕方ありませんねっ。うん、明日、朝イチで戸籍を確認行きますよっ」


 どうやら強引に話を進める癖は変わっていないらしい。


 まあ、そもそもこんな話を誰かに話したところで信じてくれるはずもない。


 そんなことを思った。

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【短編】隣の席の竹取姫花がかぐや姫であることを、俺だけが知っている 渡月鏡花 @togetsu_kyouka

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