第2話

「ヒィっ」


 本当は私の方が先に叫びかったのに、まさかのその男の方が先に悲鳴をあげた。

 風はおさまり、恐怖はどこかへ消え去っていった。その代わり殺意が芽生えた。今持っているこの棒で目ん玉えぐり出してやろうかと思った。


 しかし殺すのはまだ早いとも思った。まずはこの空腹を何とかしたい。恐怖に溺れたせいで、空腹が加速した。


「おい、てめぇ。手に持っている弁当よこせ」


「ヒィ」


 相変わらず、男は怯えたままである。そして彼は一歩後ろへ後退していく。私の弁当が遠ざかった。


「いや、だからその弁当をよこせっつってんだろ」


「ヒィィィ」


 私が弁当を寄越せという度に、男が一歩後退していくシステムらしい。

 何だが、私が闇取引の主犯格で、あの弁当箱には麻薬とか怪しいもんのが入ってるような気がしてきた。


 男は小さく怯えている。どんどん身長が小さくなるので、そのうち一寸法師みたいになるのではないか。


 恐らくこの男は、猫撫で声のような声で喋ってあげないと、一生怯えたままであろう。

 しかし、私は特定の人に対して優しくするなできぬ。最近流行りのSDGSのように、男女、それ以外の性、全ての人種において私は平等だ。平等に人類を見下している。全ての企業は私のような平等思想を見習って欲しい。


 だから私は特定の人に優しくすることというのは出来ない。

 逆にそれがうまいのが私の叔母と言われている。私の親戚の全員があれほど姦伝な人物をみたことない。というので恐らくもう一つの顔があるのだろう。もっとも私は未だに優しい方の叔母しかみたことがない。


「分かった。てめぇ。弁当を下に置け」


「ヒィィィ」


 ズドン。彼は弁当から手を離す。重力の力を受けそれは隕石のように土の上に落ちた。


「おいこら、私の弁当そんな乱暴に置くな」


「ヒィィィ」


 ともあれ、弁当を回収出来そうになった時点でこの男に用などなくなった。だから後は逃げるなり好きにすればいい。

 好きにすればいいのに、その男は微動だにしなかった。その場で固まったままであった。


「お前、帰っていいぞ」


 私がそういっても木偶の棒のように立ったままである。


「おい、帰れ」


 君が悪いので、私はそう命令する。しかし何故か動かない。

 これは一体どういうことなのか。

 もしかして報酬を求めているのだろうか。

 しかし報酬と言われても困る。成美とかなら汚い言葉で罵倒をすれば、それで顔を赤らめて感謝をされた。

 しかし、彼の場合はそうはいかないだろう。罵倒をすれば、変な衝動に駆られてこの高台から飛び降りてしまいそうである。


 夜の公園。男の遺体と女1人。などと、それは未来永劫語り継がれる悲壮事件になってしまう。それは避けなければ。


 しかし先も述べた通り、私には甘い声を出すなどということは至難の技である。


 実に困った。


「あれー、夜の公園で2人。いい感じじゃん」


 と、そんな私たちの気まずい空間をぶっ壊すかのように叔母がやってきた。

 髪を後ろに結んでおり、おっとりとした顔である。年齢は多分若い。しかし彼女は実年齢を教えてくれない。きっと20代である。


「何か邪魔したらダメだったかな?」


「いや、遠慮なく邪魔してくれ」


 取り敢えず、この空気を邪魔してくれる奴が来てくれて助かった。

 叔母さんは、怯えている男性の方を見た。そしてハハーンと言い、一笑した。


「ダメだよ。あの子を殴ったりしたら」


「まだ殴っていない!」


「あの子は良い子なんだからさ。虐めたりしたら退学にするぞ☆」


「笑顔で怖いことを言わないでくれ」


 と男は一歩、叔母さんの方に近づく。そして


「あ、あのー」


 と喋った。この男が初めて声らしい声を発した。


「……」


 しかしそれ以降、何も喋らない。一体なんだコイツ。


「あっ、弁当渡すの遅くなってすみませんだって。ううん。別に大丈夫よ。それも想定内の範囲で」


「でも……、……」


「雪菜ちゃんは怒っているって。あーこの子は365日毎日怒っているから気にしなくてもいいじゃないかな?」


「しかし……、……」


「気にしなくていいと言われても怖いものは怖いか。うーんそれはゆっくり慣れていけばいいと思うよ。この子意外と単純でバカだから扱いやすいと思うし」


 誰が単純バカだ。

 というか!


「叔母さん! どうしてそいつの言っていること分かる?」


「うん? これぐらいは分からないと。初歩構文だよ」


「初歩構文って。そもそも構文らしい構文がなかったような気がするんだが」


 彼の言葉に助詞があったか? 動詞があったか?


「それで、そいつが新しい私の保護役なの? 大丈夫なの?」


「大丈夫よ。この私が選んだ人なのだから」


 えっヘンと叔母さんは胸を張る。


「この子は欲がないわ。あなたも安心出来るはずよ」


「それにしても、それにしてもだよ? 人の言葉をまともに喋れないのは流石に……」


 というと、彼は私の顔を見た。と思ったら一歩、一歩と私の元へ近づいてくる。


「な、何?」


 怒らせてしまったのか。

 と思ったら彼は、深く、深く、平身低頭した。このお辞儀みたことがある。

 企業の不正がバレた時、社長がするお辞儀だ。


 しかもそれだけではない。

 頭を垂れ下げているが、彼女の目からキラリ輝く涙が落ちるのが見えた。泣いているのだ。


 叔母さんの顔を見る。ただ笑っているだけだ。


 私の乏しい経験値ではこの状況を打開することなど出来ない。そもそもどうして泣いているのか分からない。まだ蹴りを入れたわけじゃないのに。


「クビに……してください」


「はぁ?」


 ようやく人間らしい言葉を喋ったのにやはりその内容はよく分からない。クビ? どういうことだ?


「相応しくないから……」


 つまりこういうことか。

 自分はうまく喋れないから保護役など出来ない。だから私の方からクビを宣告しろ。そういうことか。なるほど。


 確かに人の言葉が喋れないのはキツい。

 本人がその気であるのならしょうがない。ここは私の方から……


「変わりたい……」


 と彼は続ける。コイツがここまで喋るとは珍しい。


「高校に……なったら……変われると」


 一つ、一つの言葉が重たい。彼が一生懸命力を振り絞って言っていることが分かった。


「人が……苦手なのを……克服できると」


 なんだ。コイツも人間嫌いなのか。まぁ見れば分かるか。

 私も人は嫌いだ。

 そして、私だって高校になれば少しは変わるのかなと思った。

 嫌いだったピーマンを食べれるようになった。牛乳を飲めるようになった。頭だって中学の頃よりも大分よくなった。

 だけど、根本的な、私の抱えている大きな問題。人間嫌いは治らなかった。


 分かる。あれは不治の病だ。


「笑い合っている……学生……いいな」


 うるさいな。コイツ。

 分かるよ。分かるさ。私だって、クラスで仲良く笑い合っている生徒を見て、いいなと思ったよ。面倒臭そうとも思ったけど。だけど家族や親族以外に心から信用できる人、1人は欲しいなとも思ったさ。


 コイツも私も一緒なんだ。


「だけど……結局」


 結局、無理だった。

 恐らく保護役をすることになってコイツは少しばかり喜んだのだろう。変われると思ったのだろう。だけど蓋をあけたら、同じように私の視線から逃げて。結局何も変わらず。そんな自分が情けなく、涙が溢れるのだろう。


 アホか。人間というのは一日そこらで変われるか。


「頭をあげろ」


 私は言う。


「私に頭を下げるなんて、都会のドブネズミに頭を下げるぐらいみっともない。私の保護役なんだからそこはしゃっきりとしろ」


 彼は頭を上げる。目元は赤く染まっていた。


「人間嫌いというのは一日で直らない。当たり前だろ」


 今度は私の方から男の方へ歩み寄る。


「だから、私がテメェの人間嫌いを治してやる」


「よ、……」


 よ、それだけ言って彼は固まってしまった。多分よろしくお願いしますとか、何とかと言いたかったのだろう。

 緊張しているのか、それとも照れているのか。分からない。


 ともあれ、これだけの短時間で彼の言葉を理解出来るようになっった。


「ただし、条件がある」


 私は叔母さんの方を一瞥した。すると彼女は微笑んだ。そして彼女の方から口を開く。


「南高保護役委員会。条項1つ、如何なる時でも夢野雪菜を守る。2つ、保護役委員は他の委員や部活動より優先される。3つ、夢野雪菜に恋をしてはいけない。君はそれを守れるい?」


 彼は静かに頷いた。


「よろしい。それじゃ、私の方から雪菜の保護役員を任命する」


 それでもまだ、彼は意に足りない表情をしている。それに対して、叔母さんは小首を傾げる。


「どうした? まだ不満か?」


「いや……。ただ自己紹介」


 そういえばそうだった。私はまだ彼の名前を知らない。


「出来るの?」


 叔母さんがそう聞くと、彼は強く頷いた。


「ぼく……名前は谷上葵」


 そう言い切った瞬間、羞恥からか彼の顔が真っ赤に染まった。そして私たちの方に背を向ける。走る去る。


 谷上は私たちの前から消えていった。


「……何だ。アイツは」


「あれが葵くんよ」


 そうして本日から新しい保護役員。谷上葵が就任した。




 

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ボッチな私を保護するのは人の言葉を忘れたテメェだ 兎園八雲 @toennyakumo

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