ボッチな私を保護するのは人の言葉を忘れたテメェだ
兎園八雲
第1話
「最初はぐー、ジャンケンぐー」
不思議なものだ。右手と左手、どうしてもグーを出してしまう。何度1人でジャンケンをしても相子になる。
それ、もう一回。最初はグー、次出す手もグー。やはり相子だ。
1人ジャンケンなどつまらない。当然じゃないか。勝って何になる。負けて何になる。
だけど、それでも教室にいる時分より幾分もマシだ。
あんな汚れ切った空間に数刻でも閉じ込められてしまったら、私の脳みそが灰色になる。喫煙室に数時間閉じこもっていた方がまだ健康的だ。
しかし、ずっとここでジャンケンをしていると尻が割れる。ただでさえ、2つに割れている尻が3つになる。だから私は1人ジャンケンをやめて立ち上がる。
いつもなら、あと数時間は1人ジャンケン耐えれるのに。今日はその体力がなかった。
恐らく原因はこれだろう。と私は腹を触れる。
ギュルギュルギュル。
腹の中にいる虫が煩い。蝉が私の腹の音を求愛行動と間違えてやってくるぞ。これは。
私は空腹である。
それはそうだ。私が最後に食事をしたのは、家出る前。薄明の光が部屋を染めていた時だ。それから帷が下りはじめる今まで食事をしていない。
私の保護役はどこにいった!
いつもならクラスの保護委員というものが、私に夕飯を持ってきてくれるのに。今日はその気配がない。
目の前の景色を見る。晩方を過ぎ、暮夜がやってきた。
もうそろそろ、某テレビチャンネルが「誕生日のことは覚えていますか」とか何とか言ってくる頃合いだ。関西人なら何となくわかるだろう。
これを言ってもわからない奴は、関西人以外の人である。
ちなみに、あの番組を見ている時、私はキレ気味に覚えているよとツッコんでいる。だって去年も一昨年も私は1人で誕生日過ごしたもん。
この場所は、神戸の市街地よりも高台にある。そのため、夜の海に沈む建物の光たちが一等星より小さく、俯瞰することができた。
その一つ、一つの灯りが小さいため、どれがどの建物なのか分からない。
私から見て左側に見えるのが、宝塚歌劇場だろうか。ずっと奥に見えるのはHEPだろうか、はたまたスカイビルだろうか。もしかしたらここから梅田の景色など見えないかもしれない。
甲子園球場はどこらへんだろうか。
あれだろうか。何故だろうか。ここからでも甲子園球場の阿鼻叫喚が聞こえてきそう。
一つ、一つ、意味のない光が共同体となり一つの絵を作り出していた。点の大きさは違えど、この絵は過去も未来も変わらない。
江戸の世も、太平洋戦争の世も、高度成長期の世も、平成の世も、2回目の大阪万博が開かれた時も、私たちの日常が再び壊されたあの時も、この景色は変わらなかった。
私は人が嫌いだ。
人が作ったものも嫌いだ。
だけどこの夜景だけは嫌いになれない。不思議なものだ。
風が吹く。春先の風だから少し肌寒い。草がカサカサと音を立てて靡く。
時代がどんなに変化しても、風は吹くし、それに対して寒いという感情が湧く。これだ。
私が目の前の夜景が嫌いになれない理由。
人工的に作られた光と、人類がどうしても抗えない自然が入り混じっているから心地よいんだ。1人でこうやっているのが気持ちいんだ。孤独感とかそんなものは、燃えるゴミに捨てておいた。私はミニマリストなものなので。
夜景が見える景色からグッと視線を左にやると、古びた鉄筋の建物が見える。それはカビが生えた豆腐のような形をしており、尚且つ灯りがついていないので陰気臭さがある。ここで臓器販売やら非人道的なことが行われていても不思議ではない。
この建物こそが私の通っている高校であった。私が普段隠居している公園から高校まで徒歩3分程度しか離れていない。
人間など馬鹿である。
しかし私の高校に通うチンパンジーはもっと遥かに馬鹿であった。
電車やらバスやらでは、鬨の声のような音量ではしゃぐ。お前らは今から合戦するのかと思うぐらい騒ぐ。挙句の果てには運転手に怒られる。あまりにも声がチンパンジーなので、高校近くのファストフード店は出禁になる。
そのくせ、奴らは不良ではないのでタバコなどを吸う勇気などない。ただ高校の青春で、どうしても若気の至りというものを作りたいのか、授業中は意味もなく騒ぐ。騒いでも先生はいつもの光景だから何も言わない。そんな高校。
そんな高校を選んだ理由はいくつかある。
一つは偏差値が50と丁度よかったこと。特別頭のいい高校というわけでもないし、馬鹿でもない。だから不良などいないし、ある程度授業をサボっても進学出来る。それが私にとって都合よかった。
もう一つは、私の血縁たる親族者がその高校で先生をしており、そして彼女が私の保護役を作ってくれると約束してくれたから。こちらの方が、この高校の進学の主な理由である。
私は生きることが非常に面倒臭いと思っている。そんな面倒臭がりの私なのだから、解けた靴紐を結べなど難儀な事である。靴紐を持つことすら苦痛である。
そして苦心惨憺、考えに考えついたのは、そんな面倒臭いことは他の人にやらせようということだった。
小学生、中学生の頃まではその作戦に問題などなかった。何故なら私の弟が同じ学校に通っていたからだ。最も、弟は毎日のように「それぐらい自分でやってよ」と偉そうに説教をしていたが。
弟が説教をしてきたら「うるさい。私の方が先に生を受けたのだから、弟身分である君は私の言うことを聞け」と反撃してやった。弟はムッとしながらも、キチンと私の言う事を聞いてくれた。
人間の中でも、弟とその他血縁者だけは信頼出来る。弟に、菓子パンを買ってやると喜ぶ。そして私の世話をしてくれる。100円未満のパン一つで世話をしてくれるものなのだから安いものだ。
そんな弟のような都合のいい奴は何人いるだろうか。少なくともこの街にはいない。確信できる。
実は、自ら私のことを面倒見てくれるという男どもは複数いた。しかし彼らは見返りを求めている。それは瞬時で分かった。何故ならそいつらの目線が、私の豊満な胸にあったからだ。
その2つの目を潰して、ただの空洞にしてやろうか。そう思った。
私は馬鹿ではない。だから面倒を見たいといった彼らは、決して私のことを大切に思っているわけではなく、ただ「青春時代に彼女を作った」という事実を得るためにそのようなことを言ったのだ。間抜けな奴らだ。
私の弟も「男なんて、何考えているか分からないから気をつけなよ。姉ちゃん」とか何とか言っていた。フン。そんなもの、弟に言われなくても分かっている。
因みに弟は、虫一匹殺せないような綺麗な心の持ち主である。恐らく、森の泉の女神に「あなたの落とした心は、この金の心ですか。それともこの銀の心ですか」と聞かれ、正直に答えたんだろう。そしてあのような綺麗な心を手に入れたんだ。
だから私の体などに興味がないのだろう。試しに、「私の胸触ってみる」と聞いたら弟は顔を赤くした。そして「何言っているの。姉ちゃん」と怒った。ウブなやつめ。
ついでに私は「金の心を落としました」と即答したに違いない。その結果、心も感情も全て没収されたんだ。
そんな弟と私。違う学校に行くことになってしまった。私が高校に進学したからである。
実に困った。
今までは、同じ学校に通っていたり、また小学校と中学校が隣同士でほぼ同じ敷地だったため何とかなった。
しかし高校はそうもいかない。
私が住んでいる地区から最寄りの高校まで最低バスで1時間かかる。
そんな場所へ、靴紐が解けるたびに弟を呼ぶわけにもいかない。
そこで教師である叔母が提案をしてきた。
「私の高校で保護委員を作ってあげる」
と。職権濫用もいいところである。
「どうしてそんなものを作ってくれるんだい」
と叔母に聞いた。
理由はこうである。
南高には捻くれている人が一定数いる。そいつらは本当に手に負えない。私が一生懸命教育しても内向的な性格は変わらない。ただ内向的ならいいが、奴らは頑迷であるから困る。
そこであなたと接することで、その人たちを更正してもらう。そのような役割がある。とのことであった。
私は小動物か何かか。よく刑務所で猫を飼って囚人を更正させるみたいなことあるけど。私はそれか。
とはいえ、私のことを誰か面倒見てもらえるのであればどんな扱いでもいい。むしろ好条件である。
保護委員というものがあるから私は、この高校にした。それが無ければ南高に進学していない。それどころか、高校生にすらなっていなかっただろう。
その保護委員が、叔母が作った夕飯を届けてくれるということになっている。それを食べてから私は帰路につく。しかし今日はその保護委員が来ない。私の腹は空く一方である。
千鳥足になりながら歩く。チョンチョンと草が足の峰を攻撃してくる。
空腹というのは恐ろしいもので、今こうして私を攻撃している草も実は美味しいのではないかと思いはじめる。今、イナゴが私に目がけて飛んでこよう物なら、それを食ってやる。
なんかイライラしてきた。これが空腹の力か。スマホを取り出す。SNSやメールのやり方は知らない。しかし叔母や弟に電話をすることなら出来る。
叔母に電話をする。
1コールで出た。
「どうした、どうした」
叔母の声は焦っていた。そりゃそうだ。私が電話など滅多にしないのだから。その間にも私の腹はグーグーと鳴っている。臍のあたりにスピーカーを当てて、私の腹の虫聞かせてやろうか。
「私の保護役来ない!!」
癇声になってしまった。
電話の向こうでは、沈黙が広がる。あまりにも静かなので、電話が切れてしまったのではないかと心配した。しかしちゃんと通話中である。なんだったらここは5Gなので電波も問題ない。
そして
「アハハ。保護役が来ないか」
と笑い声が聞こえる。
「笑い事じゃないよ。というか成美はどうした。成美は」
住吉成美。昨日まで私の保護役だった女性。眼鏡で真面目な奴だった。
「成美は、更正したので無事あなたの保護役から釈放されたわ。今では委員長をやって随分立派になったわ」
「何か、私の保護役が刑罰みたいになっていてムカつく」
「あら。でも大丈夫よ。それを伝えたら嫌だ。私雪菜ちゃんの保護役を卒業したくないと言っていたわ」
珍しい人もいたものだ。でも確かに、アイツは私の靴を舐めろと言ったら、満面の笑みで舐めようとしていたからな。今思えばかなりの変人だった。
「まぁ、成美ちゃんが保護役を卒業したのは、このままだと彼女が新しい世界へ旅立ちそうだったからだけどね」
とボソリそういう。
新しい世界? 何のことだ。
「そんなことはどうでもいい。私の次の保護役はどうした」
こうしている間も、私のガソリンメーターはどんどん減っている。既にガス欠な状態だ。
「えー、でも? あれー?」
叔母さんは随分と素っ頓狂な声を出す。
「まだ保護役来ていないの?」
「来ていない。だからこうして最後の力を振り絞って電話しているんだ」
「そっか。そうなんだ」
相変わらずあれーとか、困惑している。
「どうした」
「いや、あのね。実は2時間ぐらい前に保護役に弁当持たせたんだよ。だけどまだ来ていないんだ……?」
「いや、だから来ていないって」
その瞬間だった。どこからか、生暖かい気持ちの悪い風が吹いた。不思議と鳥肌が立った。
そう言えばクラスの誰かがここで、若い学生が熊に食われその遺体が発見されたと言っていた。
そんなはずはない。もしそれが事実であるのならそれは大事件として新聞などの記事が残っているはずだ。それが残っていないのだからデマだ。
だけど、どうしてだろうか。今だけそのニュースを思い出してしまった。そして、キラキラと街が輝く方向とは反対側。山側へと踵を返す。
夜景とは対照的。真っ黒の影に埋もれた山々が見える。霊感のない私でも、ただならぬ霊気を感じる。
そしてその奥に……だった。
何かが光った。スマホを落とした。
落ちたスマホよりも先に木の棒を持った。それは細く、軽く振っただけでも折れてしまいそうなぐらい頼りないものである。
そのキラリと光ったものは、ゆっくりと私の方へ向かってくる。
何かがいる。ようやく気づいた。
全身の血が抜かれていく。膝頭ががくがくする。ただ立つことしか出来ない。
それの姿は、どんどん現して来る。
足が見えた。手が見えた。顔が見えた。髪が見えた。そして
そして。
手に持っている弁当が見えた。
私の思考が停止した。
それの正体は、弁当を持った男生徒であった。
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