拾壱 殺してあげないって言ったでしょ?
「え?」
どっぷりと不安が詰まった
「調べてみたら、
「ねぶらまを妖怪と仮定して、
「人を死んだように眠らせる妖怪、ってことか」
なぶだま、ねぼたま、ねぶらま。確かに音は似ている。そして〝ねぶらまの棺〟を広めようとした男が立てたグループチャットのサーバー名も『眠りの森』。
「ねぶらまもおそらくその一種だ。眠りの古語をねぶりと言う。となると、接尾のまは単に魔物の魔、つまりこれは
乗のみならず、
さすが常日頃、本の山に埋もれて暮らしている古書店店主、博覧強記の面目躍如といったところか。まさか問題のねぶらまが地元の妖怪とは想像もしなかった。
「サンキュー、八尋。でもおまえ、あんまり寝てねえだろ。無理すんなよ?」
「つい夢中になっちゃって……」
そこまで真剣に調べてくれたのは感謝の念に堪えないが、倒れられでもしたら事だ。「自分をいたわれって」と肘で小突いてやると、夜志高が割りこんできた。
「いやはや、有意義なお話が聞けました」
いつになく柔らかな口調には、八尋を称賛する気配がある。
「ねぶらまについちゃ、お恥ずかしながらまったく手がかりがない状態でしたからね。こいつが地元由来なら、調査が捗ります。助かりましたよ、
「……ど、どうも……」
八尋は蚊のように、相槌らしき鳴き声を発した。
親しくない人間に褒められ慣れていないせいだろうが、調査結果を
力が強すぎたせいか、親友は苦しそうにむせた。
(もし母さんがねぶらまにやられたなら、最期は眠るように苦しまず逝けたのかな)
少し安心したが、同時に違和感が乗の脳裏をよぎった。さきほど八尋は、七守道に伝わる妖怪を何と言っていた?
その時だ。
「落ち着いてお聞き下さい!」
待合室に火葬場スタッフが数人、血相を変えて飛びこんできた。
「こ、故人さまが、火葬中に生き返えられました!!」
一瞬、乗は何を言われたのか分からない。
彼らが言うには……
火葬炉に火をつけてしばらく経ったころ、ご遺体となっているはずの
だが、全身大やけどで生存する可能性は低い――と。
「な、んっだよ……なんなんだよ、それ!」
感情の持って行き所が分からなくなった乗の脳はブレーカーのように落ち目の前は真っ赤に頭の中は真っ白に足元の感覚はなく浮遊する火の玉になった気分だ全身が燃えた母はこんなもっと苦しんで無駄に苦しんで出してくれと炉の戸を叩いて我知らず胸ぐらをつかみ上げたスタッフの顔面を殴り抜き床に転がし蹴りを入
「てめぇら、生きたままオフクロを焼きやがったのかよ!?」
八尋が「早まるな、乗!」と胴に取りすがり、必死に声を張り上げた。
「この人たちのせいじゃない! 万が一生き返らないよう、死後二十四時間は火葬できないし、遺体を保存するためのドライアイスは体の芯まで凍らせる。だから、ありえない! 火葬の瞬間生き返るなんて、ねぶらまのせいに決まっている!」
――取り憑かれた人間は原因不明の昏睡に陥る。
――死んだと間違われて、葬儀を出された後で目を覚ました。
ああ、そうか。南無魂も寝坊玉も、そういう妖怪ではないか。これもねぶらまの仕業なら、乗のせいで母は苦しむためだけに
「あんたはどうなんだ!」
乗は自分でも手をつけられない剣幕で、夜志高らに矛先を向けた。
「さっきから分かんねえ分かんねえばっかで、こんなことが起きても何も感じねえのかよ!?」役立たず、という言葉を辛うじてのみ込んだ。「何とか言えよ、おいっ!」
「……お役に立てず、すいません」
夜志高は苦しげな表情で
乗の頭がわずかに冷えた。これはただの八つ当たりだ、夜志高が謝る筋はない。
だが、彼の謝罪は上辺だけやっているというものではなく、芯のような誠意を感じた。この惨事について、夜志高は確かに一端の責任を覚えているのだ。
その彼を乗はこれ以上責められない。しかし全身で渦巻くマグマをどこかにぶつけなければ、とても耐えられそうになかった。
赤くてドロドロして苦悶と断末魔を凝縮した地獄のようなものが詰めこまれ、怒り、憎悪、悲痛、錯乱、怨嗟に目まぐるしく翻弄される。
「う、あ、っ、ぁ、あ……」
火葬場スタッフは土下座して「申し訳ありません、申し訳ありません」とくり返している。それは乗が悪夢で、何度も謝罪を要求された時のことを思い出させた。
不意に蹴り飛ばしに行こうとするのを、友人たちが止めにかかる。止めないでくれ。オレを放っておいてくれ。いっそこのまま心が壊れてしまえ。
「母さん! 母さん!! ああぇえあああぁぁあっ!」
壊れないならオレがぶっ壊してやる。
ぶっ壊してやる。
ぶっ壊してやる。
ぶっ壊してやる。
ぶち殺してやる!!!!
そこから先は記憶にない。
後から聞いた話では、乗は叫びながら椅子や植木鉢を蹴倒し、投げ、壊し、式場で大暴れし、やがて力尽きて呆然としていたそうだ。
気がつくと、乗は八尋といっしょに病院の待合室にいた。
親友の顔には、自分がつけたとおぼしき青アザがある。謝らなければと思うのだが、舌先にすら力が入らなくて、払うべき労力も払えない、まるで空っぽだった。
どさくさに紛れてこいつまで殴ってしまったのか。そう思っても涙の幻影がせり上がるばかりで、乗の眼球は乾いたままだった。自分自身に『おまえなど死んでしまえ』と胸中で悪態をつく。胸の中で渦巻く宇宙のような暗黒が深まる。
(死んじまえ、死んじまえ、死んじまえ、乗。ぜんぶおまえのせいだ)
八尋は冷たいタオルで頬を冷やしながら、慰めも励ましもせず、こんな自分の隣に健気に、辛抱強くいてくれた。もうおまえもオレの傍にいなくていい。
母さんみたいにはなりたくないだろ? 乗がそう言ったとしても、八尋は聞きやしないのだろう。その優しさが、この世に存在するとは信じられないほど、幸福なことに思えた。きっと乗も、彼から離れられそうにはない。
そして手術室の扉が開く。
改めて母の死を告げられ、乗はその場に崩れ落ちて泣いた。
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