幕間 善根世伸について 弐

ずっといっしょだね

「この人がヒロミさんよ。サラリーマンの服を着て、かみは黒くて短くて、真面目そうな見た目なの。眼鏡はかけてないわ。やせても太ってもいないかな」


 ファミリーレストランで顔を合わせた時、目が見えないぼくに、母さんはそう説明した。上で父さんが「だいたい合ってるね」とささやく。


「こんにちわ。しんです」


 あいさつだけして、ぼくはだまった。何を話せばいいかわからない。となりの母さんがメニューを読みあげてくれて、ストロベリーパフェを選んだ。


「伸くんは、はずかしがりやさんなのかな」

「初対面だから、キンチョウしているのよね」


 母さんもヒロミサンも勝手なことを言う。父さんは小さくクスクスって笑っていた。母さんがヒロミサンとあれこれ話している内に、パフェが運ばれてくる。

 父さんがそっと手をそえて、サクランボやウエハースがある所を教えてくれた。


「上手に食べるねえ。マキコさんから聞いたとおりだ」


 マキコは母さんの名前だ。父さんはマキコと呼んでいたから、やっぱりこの人は父さんじゃない、よそのおじさんだなと思う。それに、ぼくは上手にパフェだって食べられるんだから、本当は新しい父さんなんていらない。


――父親がいれば、母さんはそのぶん楽ができる。


 ぼくは一回、サイコンに賛成した。母さんのために、がまんしないと。こういう時は、なんて言ったらいいんだっけ。


「ありがとうございます」

「おギョウギもいいね! だけど、そんなに固くならなくていいんだよ、これからはおれのこと、家族と思って欲しいからね」

「はい」


 ヒロミサンは少し感心したように言ったけど、ぼくはちっともうれしくない。お手ができた犬をほめてるみたいな声がいやだ。

 ぼくはずっとがまん、がまんって考えていた。


「シン、世の中には奥さんや子どもをぶったり、どなったりする悪い大人もたくさんいる。ヒロミさんは、きっとそんなことはしない、いい人だよ。もし悪い人なら、父さんがすぐ追い出してやるからね」


 そう言って、父さんはぎゅっとぼくの手をにぎる。温かくも冷たくもない、大きな手。ちょっとうれしくなって、ぼくは口を閉じたまま小さく「うん」って言った。

 口の中は甘くてすっぱいイチゴと、クリームがいっぱいで、ほっぺが落ちそうにおいしい。ぼくはパフェに喜んでいるフリをして、笑ってみた。



 一ヶ月と半分がすぎて、もしかしたらサイコンはやめになったのかなとドキドキしたころ、母さんが「来月、式をあげるの」と言うから、ぼくはガッカリした。


「ケッコン式は準備がかかるからね」


 と、父さんはぼくのカン違いを笑いながらなぐさめた。


「今どきジューンブライドなんて、マキコはロマンチストだな。父さんとケッコンした時もそうだったよ」


 何それ? と聞くと、六月にケッコンすると幸せになれるんだ、って父さんは教えてくれた。父さんと母さんは、幸せだったのかな。


「ジューンブライドしたら、ヒロミサンもしぬのかな」

「それはわからないよ」


 しぬなんて言ったらダメだぞ、と父さんに注意されちゃった。

 母さんはエステに行ったり、着物を試し着したりして、とてもいそがしいけど、楽しそうだった。母さんが父さんとケッコンした時はドレスだったんだって。


「白むくも似合うなあ」


 と、父さんも何だかうれしそうだから、サイコンもあんまり悪くないかもって、やっとぼくも思う。ちょっぴりだけだけど。


 ケッコン式の後、夏休みに四人でシンコン旅行に行った。

 ヒロミサンの運転で、温泉に行くんだって。おんせんなんて初めてだけど、もしかしたら母さんとじゃなく、ヒロミサンと混浴しないといけないのかもしれない。


「おんせん、やだな」

「シン、そんなこと言わず楽しんでおいで。家のお風呂より広いんだから、ヒロミさんにくっついていなくて、いいんだからね」


 出発の前日、ベッドで父さんと話してちょっと元気が出た。おんせんはプールみたいに大きいっていうから、ぼくでも楽しそう。

 長い長いあいだ車にゆられて、ぼくはねたふりをした。せますぎて父さんとはしゃべれないし、ヒロミサンが話しかけてくるから。でもそのうち本当にねてしまう。

 起こされた時はサービスエリアで、少しきゅうけいして、また長い時間車に乗せられて。くたくたになったころ、車が停まった。そろそろ、おんせんかな。


「シンちゃん、ここは大きなお寺でね、境内に目を良くしてくれるって有名な神社があるの。こういう所を、二泊三日であちこち行こうね」


 びっくりした。でも、オバケやユーレイがいるなら、神さまだってほんとにいるに決まってる。目が見えるようになったら、父さんの姿も見えるかな。


「ぼくの目、治るの?」

「ひょっとしたら、だけどね。神さまに心をこめて、お願いしましょ」

「うん!」


 うれしくなって、ぼくはせなかの後ろで父さんとにぎっていた手をぎゅってした。なのに、父さんがにぎり返してくれなくて、あれ? って思う。


 どうしたのかなと思っている内に、母さんがシートベルトを外して、外からドアが開けられた。たぶんヒロミサンだ。手をひっぱられておりたとき。

 後ろから冷たくて熱い、父さんがおこっている感じがした。


(どうしたんだろう?)


 すぐ近くにヒロミサンと母さんがいるから、聞きたくてもきけない。仕方なくぼくは、ヒロミサンに連れられて――転びそうになった。


「あっ」

「シンちゃん、だいじょうぶ!?」


 母さんが後ろからだっこしてくれて、転ばずにすんだ。けど。


「なにかあるなら、教えてよ……!」

「ご、ごめんね、ごめんね、シンちゃん。いつもならひょいひょい歩いちゃうから、お母さん気づかなくて、本当にごめんね」


 どきどきしながら、「いつもなら父さんが教えてくれるのに」って気づく。どうして、何も言ってくれないんだろう。おかしい。


(もしかして、神社に近づいたから?)


 だって、父さんは父さんでもオバケだもん。おこってるんじゃなくて、神社がこわいのかもしれない。……だったら、置いていっちゃうのは、ひどい。


(車の中で待ってたいけど、母さんはぼくのために連れてきてくれたんだ)


 ヒロミサンがぼくの手をにぎって、「ここはカイダンだよ」って引っぱっていく。ぼくはつえで足元を確かめながら、一歩一歩おそるおそる進んだ。

 つえの感触はいつも自分で探っているけれど、父さんが手をにぎったり、背中をなでててくれないのが、ずっと穴の中を落ちているみたいな気分になる。

 父さんが教えてくれないだけで、目の見えないことがこんなに、こんなにこわいなんて。早くおまいりをすませて、帰りたい。


 そんなことを考えながら、カイダンを上りきった時だった。――ぱぁん!!――とこまくがやぶれそうな、ものすごい音が頭の中いっぱいにひびく。


「なに!? 今の音!」


 おもわず両耳をおさえて、足元にカランコロンとつえが転がった。


「お母さん! お父さん!」

「どうしたの? シンちゃん」


 母さんの温かい手が背中をさすってくれる。不思議そうな声だ。


「音なんて何もしなかったけど……」

「えっ」


 学校のグラウンドのすみずみまで聞こえそうな、ピストルみたいな音だったのに。ウソ、と言いたくなるのをぼくはガマンした。


「耳鳴りかな? 大丈夫、ここは人も多いけれど、危ないことはないよ」


 頭をなでるのはヒロミサンの手だ。

 それから、ぼくの手につえがおしつけられる。ヒロミが母さんに「今、お父さんって言ってくれたね」とちっちゃく言うのが分かった。おまえのことじゃない。


 おまいりの間、ぼくは何が何だか分からなくて、おいのりもうわの空だった。

 父さんの声がしない、気配がしない。もしこのまま神社を出て、父さんが消えたままだったらどうしよう。こんなところで、お別れなんてイヤだ。


 カイダンを下りて、ぎゅっと温かいものに抱きしめられたときは、泣きそうになった。良かった、ちゃんと待っててくれたんだ。

 父さんとやっと話せたのは、旅館のトイレだった。ヒロミはついてこようとしたから、逃げるのは大変だったけど。


「ごめんな、シン。お父さん、神社やお寺には入れないみたいだ。みんなには聞こえなかったみたいだけど、すごい音がしたろう? 父さん、あれではじかれたんだ」


 やっぱりオバケだなあ、と困ってるみたいに言って、笑う気配がする。と思ったら「あれはお護りが強すぎる……」って、また冷たくて熱いのがただよった。


「無理やり入ったら、成仏しちゃう?」

「そうかもなあ」


 ぼくはこわくてこわくてたまらないのに、父さんはのんびり言う。


「置いてかないで、父さん」

「当たり前だよ」


 大きな手がぼくの頭に乗せられて、指がワシャワシャかみの毛をかき回した。気持ちよくて、うれしくて、この日一番の笑顔になっちゃう。

 ぼくは後ろを向いて、父さんのお腹に抱きついた。


「大好きだよ。神さまや仏さまや、ヒロミになんか、負けないでね」

「ああ、もちろんだよ」


 指切りげんまん。

 ウソついたら、針千本のーます。

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