幕間 善根世伸(よねせ・しん)について 壱
ウソじゃないよ
ぼくとお父さんがじこにあってから、みんなウソつきになった。
おうだん歩道で手をつないで、わたっていたとき自どう車が走ってきて、ぼくもお父ささんもぽーんととばされた。頭をぶつけて、すごくいたかった。
だから目が見えなくなっちゃったんだって。
これは本当。ずっとまっくら。
ウソなのは、お父さんはしんだってこと。
ちゃんとぼくといるのに。手をにぎって、そこはあぶないよ、前から人が来るよ、おはしはここだよって、教えてくれるのに。お母さんはやめなさいっていう。
だから、はじめてお母さんとケンカした。お母さんは、おこりながらないてた。これもはじめて。でも、お父さんはもういないって言うからきらい。
「母さんをこまらせるんじゃないぞ」
ぼくのへやで、お父さんはかなしそうに言った。
「父さんは、人には見えないし、話してもシンにしか聞こえないんだ。だからみんな、しんだって思うんだよ。しかたないことなんだ」
「どうして?」
「お前がしんぱいだから、父さんはここにいるんだよ」
お父さんはいつもやさしい。
「本当は、空にいかなくちゃいけないんだけどな。シンがびょういんにいる間に、おそうしきも出しちゃったんだ。母さんが毎日おぶつだんを見ているのは、父さんのシャシンがかざってあるからなんだよ。母さんも、すごくつらいんだ」
お母さんはお父さんがいても、見えないし、お話できない。それは、かわいそうだなって思う。でも、ぼくはどうしたらいいのかな。
「ぼくは、みんなにお父さんしんだってウソつかなきゃいけないの?」
そんなのいやだって思った。ウソつくのはわるいことだけど、こんなの、すごくいやだ。おなかがゴロゴロする。お父さんはいるのに。ぼくにはわかるのに。
「父さんのことは、シンと父さんだけのヒミツだ。しんだのにまだいるってことは、おばけってことだからな。みんなこわがるよ」
「お父さん、おばけなの?」
「みんなにはな。シンは?」
「お父さんは、お父さんだよ」
本当におばけでも、こわくない。目が見えたら、お父さん頭に三角きんつけてるのかな。ヒトダマ、とんでるのかな。
「でも、ナイショだぞ。男と男のやくそくだ」
「うん、わかった」
ウソじゃない。ヒミツにするだけ。なんだか楽しい。
ぼくとお父さんは、ゆびきりげんまんした。
「父さんはずっとずっと、いつまでもお前をみまもっているからな」
◆
小学校五年が終わりかけたころ、母さんはサイコンすると言い出した。
「父さんがいるのにひどいよ。ねえ、今からでも母さんに、話しかけられないかな。父さんはいつも、ぼくといるよって」
「すまない、シン。それは無理なんだ」
父さんに手を引かれて歩いたり、物を取る時、ぼくは小さな声でしかありがとうって言えない。人がいると、だまっていることもある。
ふつうの声で父さんと話せるのは、ぼくの部屋だけ。おふろは母さんがいっしょに入ろうって言うし、家に母さんがいる時も、安心できない。
急に部屋に入ってこられないか、どきどきする。前にも一度、下からよんでいるのに来ないってやってきて、「だれと話してたの?」ってびっくりしてた。
サイコンしたら、家の中にもう一人増える。今よりもっと、安心できる時間がなくなるかもしれない。それに、ぼくは「新しい父さん」なんていらない。
「わかったよ。三年もずっと、話せなかったもんね。でも、サイコンなんてぼくはいやだな。知らない人を父さんって言いたくない!」
「だいじょうぶ。母さんも、すぐ父さんとよびなさいって言ったりしないさ。しばらくは、下の名前でじゅうぶんだよ」
それを聞いてちょっとだけほっとしたけど、だからって賛成できない。
「母さんね、やっぱりシンちゃんには、父親が必要なんじゃないかと思うの」
夜、ブタのショウガ焼きを食べていたら、母さんがそんな話しを始めた。父さんがいることはヒミツだから、母さんはそんなカンちがいをするんだ。
「そんなことないよ。ぼくは平気」
とてもぶっきらぼうに返事してしまう。昔は父さんが手をそえてくれたけれど、今は一人で食べ物を口に運べるようになった。
「一人になると、こっそり父さんと話しているのに?」
ドキッとして、ぼくはおはしを落としそうになる。
「聞こえてたの?」父さんの声が。
「うん、いつも一人で話しているでしょ。だれかがそこにいるみたいに。……まだシンちゃんは小さいから、つらいだろうって放っておいたけど」
やっぱり、母さんにはぼくの声しかわからないらしい。
「……ぼくがさびしくないように、新しい父さんとサイコンするの?」
「そう」
「本当は、その人が好きになったからじゃないの」
「だって、ステキな人なのよ。シンちゃんは目が見えないんだって話しても、まかせろ! って言ってくれる、たのもしい人なの」
ぼくのためって言う母さんからは、何だか今まで感じたことのない、変な調子がした。なんだか少し気持ち悪い。これは、たぶん、うっとりしているんだ。
やっぱり、その男の人が好きなんだって悲しくなってしまう。
「ぼくは、こんなにしっかりできるのに」
残りのショウガ焼きをかっこんで、ぼくは居間を出た。
ぼくは父さんに手助けされているから、周りがびっくりするくらい何でもできる。いちおう、白いつえを持って、サングラスをかけて、特別学級に入っているけど。
あんまりぼくが何不自由なく動くから、「本当は見えてるんじゃないの?」と言ってくる人もいる。こづかれたり、笑われたり。
そうやってだれかが意地悪すると、父さんの方からすごく冷たくて熱い、こわい空気が流れてきて、意地悪はすぐ止まる。そのうちだれも、ぼくに近づかなくなった。
「あれは何をしたの?」と聞いてみたら、父さんは「ちょっとおどろかしただけ」とイタズラっぽく言う。新しい父さんのことも、おどろかしてくれないかな。
「なあ、シン。父さんはサイコンに賛成だよ。母さんは毎日働いているけれど、パートのお給料だけじゃ大変なんだ。父親がいれば、母さんはそのぶん楽ができる」
そう言われると、ぼくは少し自分がはずかしくなった。
母さんは朝早くから起きて、せんたく物をほして、ぼくのごはんを作って、お仕事に行く。帰ってきたら、おふろをわかして、夕ごはんを作る。
ぼくもせんたく物をたたんだり、おふろをあらったりしたけれど、母さんがあぶないからやめてって言うからできない。父さんがいるのを知らないからだ。
でも、父さんのことはヒミツ。言っても、母さんにはわからない。
「新しい父さんがいれば、母さんはお仕事休めるかな?」
「たぶんね。それに、シンと二人じゃ、さびしいんだよ。うちはおじいちゃんも、おばあちゃんもいないしな」
それから父さんは、サイコンしたらこんなにいいことがあるぞ、って色んなことを言った。母さんが選んだ人だから、ぼくをたたいたりしないだろう。昔みたいに、遊園地とか、旅行にだって連れて行ってもらえるって。
父さんがどれだけ助けてくれても、ぼくは目が見えない。もしかしたら、母さんはぼくの知らない所で、泣いたり、つかれた顔をしてたのかな。
ぼくの父さんは父さんだけ。でも、母さんのためなら、サイコンもいいと思う。おふろの時、母さんにそう言ったら、だきしめられた。
春休み、その男の人に会いに行く。
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