禍途

拾漆 合歓(ねむ)の堰(せき)人柱譚

「薬の名前?」


 七守ななかみどう学院大学民俗学教授、雪見ゆきみの言葉に八尋やひろはオウム返しになった。じょうが呪われてから二度目の定休日だ。


 グレーの壁には書棚がぎっしりと並び、空いた所には額縁に入った賞状が飾られている。窓側に長方形の立派な机があり、八尋と乗はその前にしつらえられた応接セットのソファに腰かけていた。

 の調査は八尋に任せると言った乗だが、〝眠りの森〟捜索が行き詰まっているからと、教授の訪問に同行している。


 イギリス紳士然とした雪見野は、八尋の店に古書を買いつけに来るお得意さまだ。仕事上の付き合いがあるだけでなく、ウマが合って話しやすい。

 乙夜いつやどう書店の定休日と雪見野の都合をつけて、八尋は二人で大学まで話を聞きに来ていた。彼は郷土史研究家でもある。


「ええ、寝坊玉ねぼたま、または南無という丸薬が役目を失って化けた、いわば器物の妖怪の一種と考えられます。〝化け物寺〟や〝化け物問答〟に現れる、名前から正体を暴かれて退治されるタイプの妖怪ですね」


〝化け物寺〟。旅の僧侶が廃寺に泊まると、その夜寺に集まった化け物が宴を始め、自分たちの正体のヒントとなる名前を口にする。化け物の本性が、年を経た道具や動物であることを知った僧侶は、後日、村人と共に化けて出た古いものを焼き払って退治、めでたしめでたし――全国各地に類話がある、妖怪退治の典型だ。


「その南無なむだまは、何の薬だったんですか?」


 念のため八尋が問うと、思いがけない答えが返ってきた。


「眠り薬だったと考えられています。少し長い話になりますが、七守町の〝合歓ねむせき〟に残る人柱伝説はご存知ですね?」

「はい」


 七守町こと旧七守村は、村に流れる白重川しらえがわのおかげで水は豊富だが、大雨が降るとたちまち田んぼが押し流される土地だった。

 安定した農業用水の確保に、村人たちはさぞかし知恵をしぼったことだろう。そこで古老から、人柱を立ててはどうかという案が出た。

 くじ引きの結果、選ばれたのはねむという娘だ。彼女を犠牲にして作られた〝合歓の堰〟には、今も合歓の木が植えられている。

 七守道市で育った者なら、よく知っている昔話だ。


「市内でよく知られた話からは省かれていますが、原型となった伝承に南無玉が登場します。人柱に選ばれた娘が苦しまないよう、丸薬が与えられたことから、かつては南無玉に見立てた団子を供える風習がありました」

「その風習が廃れて、南無玉が妖怪の名前に変化していったんですね」


 相づちを打ちながら、八尋は腑に落ちない点を訊ねた。


「しかし人柱といえば、生きたまま埋められたり沈められたりすることが多い。眠り薬を与えるというのは、僕も初めて聞きました」

「それですが、南無玉についてはいくつか文献に食い違いがあるんです。ある資料では水に沈める前に与えたとあり、ある資料では沈めた後で供えたとある」


 伝承のバージョン違い、よくあることだ。眠り薬なら、沈めた後で供えても意味はない気がするが……。八尋はありえそうな可能性を挙げてみた。


「となると、人柱に捧げられた娘がのちに祟りか何かを起こして、それを鎮めるために使われたのででしょうか。ただ、それが眠り薬というのは奇妙です」

「それについては、〝ねずらわし〟のせいでしょう。〝合歓の堰〟の人柱伝説には、あまり知られていない後日談があるのです」


 八尋は隣に座る乗と顔を見合せた。以前、八尋の偽物が彼の事務所を訪ねた時、「ねずらわす」という言葉を残している。


「人柱に選ばれた少女、棔が捧げられると川の氾濫はなくなり、村人は安心して田畑を耕せるようになりました。しかし川に近い家から順に、夜な夜な彼女が訪れ、恨み言を訴えて眠りを妨げるようになります。これが〝ねずらわし〟ですね。村人が困り果てていた所、現れた旅の僧侶が作った丸薬が南無玉でした。それを飲むと朝まで死んだように眠りこけ、棔の訴えも聞こえません。そこで棔は僧侶に、自分にも南無玉を要求し、丸薬を供えられると二度と現れることはありませんでした」


 雪見野は応接テーブルに置いたメモ帳に「不棔忘」「不眠患」と書きつけた。


「この〝ねずらわし〟には逆のバリエーションも伝わっています。棔に村に伝わる秘伝の薬・南無玉を与えて水に沈めた後、彼女は祟りで村人を覚めない眠りに陥らせた。この場合も旅の僧侶が登場し、気付け薬のようなものを授けます」

「……覚醒剤?」ボソッと乗がつぶやく。

「南無玉が麻薬の一種ということは充分に考えられます。材料や製法については一切伝わっていませんが。この類話でも、棔はやはり僧侶に薬を要求して鎮まります」

「前後が入り乱れていますね……」

「私が収集した資料や聞き取りでは、68%が水に沈めてから南無玉を与えた、32%が南無玉を与えてから水に沈めたとなっております」


 眠り薬、覚醒剤、麻薬。人柱にされた者が要求するものとしては、どうにも奇妙に思える。八尋は自身の仮説を口にした。


「もしかして、南無玉とは人柱の祟りを鎮めるために差し出された、生け贄ではないでしょうか? この伝説はくり返された人身御供の祭儀を伝えているのかも」

「ええ、玉は魂、または頭に通じる。崩艮くえやまあかみつぎの間に架かる橋は刀がないと書いて〝無刀むとうばし〟と呼ばれていますが、元々は頭がないと書く〝無頭橋〟でした。赤税で首を落とし、体は置いて、頭だけ運んだ。棔の人柱譚は、複数回に渡る人身御供を示している可能性が高いと私も考えています。なぜ薬がそれにとって変わったのか、なぜ祟りが眠りに関わる形となっているのか、その点については不明です」


 について、八尋は人を死んだように眠らせる妖怪=睡魔ねぶらまと推定した。が南無玉だとすると、〝合歓の堰〟の人柱伝説は奇妙だ。

 とはいえ、人柱の伝説は事実かどうか簡単に判定できない問題だ。専門家の雪見野にも分からないなら、八尋たちとしてもこれ以上はいかんともしがたい。


「南無玉や〝合歓の堰〟人柱伝説に、棺桶……特に寝棺は登場しますか?」

「棺ではありませんが、伝説では棔は白木の長櫃ながびつに入れられて沈められたそうですから、そのぐらいですね」


 まさか乗が足を入れた「あの世が見える棺桶」が、その長櫃ということもないだろう。そこまで考えて、八尋は根本的な質問を忘れていたことに気づいた。


「ちなみに、という言葉に聞き覚えはありませんか? ねんねがら唄以外で、ですが」

「あれは私が子供のころ聞かされたから、もう六十年以上前ですな、よくご存じで。他は、そうですなあ……七守が村だったころにあった、〝ねぶら筋〟に憑くものですね。憑き物筋とは違います、岡山県の〝なめら筋〟と同じ、魔物の通り道ですよ」

「ねぶら筋!?」


 初めて聞く単語だ。八尋はについて片っ端から探して、ようやく寝坊主や南無玉に行き当たったのに、地元にそんな言葉があったとは。


「七守ではどちらかというと、同じ意味の〝まどお筋〟の方が知られていますが、それもほとんど忘れ去られていますからね。……あ!」


 何かを思い出したように、雪見野は軽く腰を浮かせた。


「そういえば四半世紀ほど前に、お父さんに聞かれて話しましたよ。小説の参考に、郷土史を取材していたそうで。白草しらくささん、お話をうかがってはいかがですか?」

「父が、教授にの話を?」


 調査を開始した当初、父に「という語に聞き覚えはないか」と訊ねたら「聞いたことがあるような気がする」と言われ、思い出すのを待っていたのだ。


「ええ、話しながら前もこんなことがあった気がしていたのですが。ようやく思い出せました、歳は取りたくありませんな」


 八尋の父、白草ゆたかは白草米徳べいとく名義で小説を書いている。一般にはミステリー作家として認知されているようだが、ホラーや怪談も手がけていた。

 実家には、父が書き留めた取材ノートがぎっしり保管してあったはずだ。

 雪見野教授のことを伝えれば、さすがに思い出してくれるのではなかろうか。当時取材した内容が読めれば、の正体に迫る重大な手がかりになるだろう。


「ありがとうございました、雪見野教授」

「ありがとうございました」


 八尋と乗は、雪見野に礼を述べて大学を後にした。父にこれから行くと連絡を入れ、八尋は半ば興奮しながら親友に笑いかける。


「色々分かってきたな、乗。父さんの所で、正体がつかめるかも」

「……ああ」


 生返事に八尋は眉をひそめた。何だか今日の乗は、ぼんやりしている。


「昨日、ちゃんと眠れたか?」


 顔を覗きこんで確認すると、乗ははっと目を見開いて視線を合わせた。


わりぃ、ボーッとしてたわ。おまえのオヤジさんに会うのも久しぶりだな! なんか土産とか買っていくか? 桂茶けいちゃどう甘藍かんらんもち好きだったよな」


 甘藍とはキャベツのことで、甘藍餅はもちもちした米粉の生地にカスタードクリームが詰まった、七守道市銘菓の和風シュークリームだ。父も八尋も好物である。


「ああ、じゃあ寄っていこうか」

「おう」


 友人がいつもの調子だと分かり、八尋はほっとしてバスに乗った。

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