幕間 白草米徳の郷土史覚書 1994.09.04.

・ねぶら筋/提供者:雪見野仁民俗学教授

 憑き物筋ですか。

 家系に代々憑いているモノを使って、他人の富を盗んだり、邪魔者を傷つける家とされていますが……七守道ななかみどう市においては、そのような信仰は見られませんね。


――ねぶら筋についてはご存知ですか。


 それならあります。七守ななかみちょう崩艮くえやまが、地名とは別にそういう呼ばれ方をされていましたが、同時に、その土地にあった家々をそう呼んでいました。

 ご存知かと思いますが、現在崩艮くえやまは廃集落になって、誰も住んでおりません。


 ところで、ねぶら筋について私が正確な所をお伝えすることは、難しいと思います。当のねぶら筋の方々に会ったことも、お話をうかがったこともありませんから。

 民俗学には「私的な体験を述べることを控える」という、ほとんどの学問で暗黙の内になされている了解がありません。


 かの宮本みやもと常一つねいち氏(※昭和14年ごろから56年まで活躍した民俗学者)は「民俗学は、体験の学問であり実践の学問である」とお弟子さんに教えたそうです。


 ですから、私がフィールドワークなしで、資料から読んだ内容だけでお話するのは、門徒としては実に不誠実なことではあると思います。

 まどお筋側に連なる方々からの伝聞ならありますが、それでよろしいですか?


――はい、構いません。貴重な機会をもうけていただき、ありがとうございます。


 分かりました、ではお話しましょう。何からお聞きしたいですか。


――崩艮くえやまの由来について教えてください。


 確かに、この字でこう読むのも珍しいことですね。

 八卦のけんしんそんかんごんこんのうち、うしとらが対応する自然が「山」ですから、一般には「山崩れ」に由来するとされています。


 実際、崩れがつく地名は雪崩や水害があった所と相場が決まっていますが、もう一段深掘りしましょう。注目すべきは後ろのうしとらです、鬼門の方角ですね。

 この字は目と、退しりぞく人で形成されており、この場合の目は「邪眼」を。そして、侵入者が邪眼を恐れて退くさまを表しています。

 さらに、八卦のごんには山の他に犬、止まるという意味が。


――艮と言うと、他にも逆らう、もとる、悩む、苦しむという意味もありますね。


 ええ。

 また、崩れと書いてクエと読むのは、古事記に登場するクエビコなどがそうです。

 久延毘古くえびこと書かれますが、その意味する所は崩れた彦、つまり「壊れた男」で身体障害者です。クエビコが元となった案山子かかしは一本足ですからね。

 よって「崩艮くえやま」という字は、逆らうことや、何かの侵入を止めることができなくなってしまった。あるいは失敗した、とも解釈できるのです。


 私が思うに、崩艮くえやまは「壊れた犬」ではないでしょうか。その根拠に、かの地では犬の存在が禁忌とされていました。

 崩艮くえやまでは犬を飼うのも集落に入れるのも固く禁じ、毎晩のように巡回しては犬を見つけ次第殺して、死体も川向こうの集落・赤税あかみつぎにまで捨てていたのです。


 ところが定期的に……十年に一度の頻度ひんどでしょうか。

 崩艮くえやまでは時々、こっそり犬を飼う家が出るのです。見つかったら、もちろん殺されますよ。それが分かっているのに、なぜか飼う者が必ず出た。

 中には犬を連れて、一族全員が集落を追放された例もあります。さらには、一家全員を近隣住民が殺害し、集落ぐるみで隠蔽したというお話も。


――まさか! いくら何でもありえないのでは?


 ええ。この件は警察署に問い合わせましたが、それらしい事件の記録は見つけられませんでした。ので、かなり眉唾ものと言ってよいでしょう。

 なぜ犬が禁忌とされるのかですが、これについては複数の証言があります。

 一つは「人を食う大猿おおざるを犬の力で退治したが、猿の祟りが起きた」説と、「崩艮くえやまの住民は、猿の子孫である」説です。


 前者はしっぺい太郎など、全国的に見られる人身ひとみ御供ごくうたんのパターンですが……その後猿が祟ったというのは、合歓ねむせきの人柱譚に通じるものがあります。


――自らを獣の子孫と名乗るとは、ずいぶんと奇妙な話ですね。


 後者が気になられますか? そうですね……「株神かぶがみ」というものをご存知ですか。もちろん、投資の神さまではありません。


――初めて聞きました。


 氏神うじがみは社縁的な神、産土うぶすながみは地縁的な神、そして株神は血縁的な神です。本家、分家関係にあるものがすべて帰属する、いわば家の守り神。

 有名なところでは摩利支天まりしてんしんですね。中世の士分しぶん(武士)に崇められましたが、子孫を名乗ったわけではありません。


 しかし、崩艮くえやまのそれは違います。「ニニギさま」という株神が見られるのですが、これが様々な姿をしている。

 ある家のニニギさまは猿、ある家のニニギさまは鴉、ある家のニニギさまは蛇、またある家のニニギさまは猫。そして、最も多いのが猿なのです。


 念のためお断りしておきますが、日本には本来「ニニギ」という名の神はいません。瓊瓊杵ににぎのみことはあくまで瓊瓊杵尊であって、ニニギとは呼ばないのです。

 おそらく〝ねねさま〟の変形かと考えられますが、その由来についての話は長くなりますので、次の機会にいたしましょう。


――はい。では、家の守り神が動物であるということは、それが後世で憑き物筋と混同された可能性はあるのでしょうか。


 そのように勘違いされる方もいらっしゃるでしょうね。全国的に憑き物筋と似た事例には、福の神とされる座敷ざしきわらしや、邪眼の家系があります。


[中略]


 崩艮くえやまの艮が、邪眼を指しているかは定かではありませんが。かつての水害から蛇を祀ったほこらもありますし、蛇の眼で蛇眼じゃがんかもしれません。

 また、人の死や病を予知する力を持った家系があった、という伝承もありますね。と言っても、誰の死期も当てられたわけではないのですが。


 ねぶら筋の方は「山の神に連れて行かれる」と言われ、突然死が多かったそうです。だが死ぬ前に、必ず誰かがそれを予知する。

 そして予知した者が、次に連れて行かれるのです。それ以外の死や病を言い当てるのは、副産物のようなものなのでしょう。

 この山神は、ニニギさまの総元締め、あるいは同一の存在とされます。


――ということは、猿を殺してしまったので、山神が祟っているのですね。


 おそらくは。禁忌とされている犬を飼う者が出たのは、その祟りから逃れるためだったと考えられます。

 資料によると、彼らの祖先は何らかの罪――仮に猿殺しとしましょう――を犯してに呪われており、贖罪を続けているそうです。


――えっ? 何ですか、とは。


 不明です。今はほとんど忘れ去られている七守の子守唄に、眠らない子供を連れて行く化け物として登場しますね。正体不明の妖怪か、あるいは大猿の名か。


――なるものに取り憑かれているなら、ねぶら筋ではなくねぶらま筋、と言うのが正しいと思うのですが、なぜマの音が抜けてしまっているのでしょう。

 ねぶらの魔、で「ねぶらま」でしょうか。舐めるのねぶるとは、おそらく関係なさそうですが……。


 いえ、新嘗にいなめさいの方の「める」の可能性もあると思います。


――なるほど。大新嘗おおにいなめ大嘗祭おおにえのまつり。神に供え、みずからもきっする……まさか、生け贄や捧げられたものを指している?


 それも一つの可能性ですね。あるいは、古語の眠りでねぶる、か。合歓の堰の人柱譚でも、眠りは重要なキーワードですから。

 例えば、ねぶら筋、というか七守村では、〝送りびつ〟という長櫃ながびつに故人を入れて葬る習慣が、少なくとも江戸時代には根付いていたことが分かっています。

 時代劇などで、桶のような形の棺に、死者が膝を抱えた状態で入れられるのを見たことがありませんか? あれが座棺ざかんです。


――江戸時代はそれが主流で、今のように故人を仰向けに寝かせた状態で葬られるのは、一部の上流階級だけでしたね。


 はい。彼らは故人をで送ることに並々ならぬこだわりを持っていた。それが時代の移り変わりとともに、寝棺ねかんに置き換わっていったんですね。

 そのような埋葬法が取られたのは、死者を神さまへの贈り物にするためだった、と伝わっています。これがねぶら筋の贖罪なのかどうか……。


――が山の神と同一とすれば、神が呪った血筋を一人ずつ連れて行き、死んだものはきちんと神に送り届けられるよう棺に入れられた……。

 七守村、ということはねぶら筋以外の村全体にまで祟りは及んでいた。崩艮くえやまは特にその中心だったのですね。


 ええ。崩艮は七〇年代に廃集落となり、隣接する赤税も高齢化、過疎化がいちじるしい限界集落です。このままいけば、独特の信仰や風習は途絶えていくことでしょう。

 神曽かみそ焼きになったタヌキ地蔵や猫王明神の像ユーモラスで人気がありますし、名物陶器として動物信仰には残っていただきたいものです。


――本当にそうでしょうか。


 え?


――七守村は合併されて七守道ななかみどう市になった。外と内を分かつ線が引き直されてしまった。崩艮くえやまだけで留められていた祟りが、結界を解かれて市全体にまで広がっているんじゃないか、とぼくは想像しています。

 教授、大丈夫だと思われますか。崩艮くえやまが廃集落になって、七守に過疎化が広がっていく。そこに神の意志があるならば、より拡散していくことを願うのではありませんか。だって「七守」に「道」がつながってしまったんですよ。

 道が通れるということは、崩艮くえやまに祟っていた何かも歩いてこちらに来れる。


 それでは、道祖神や八丁締めなどを提案してみるしかないですなあ。結界が壊れたなら引き直せばよろしい。ただ、地域をあげての祭りが必要でしょうが。


雪見野ゆきみのひとし教授への聞き書きはこの後、十数ページほど続く]

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