陸 いきはだたちかざりもどろく
YOSHITAKAのタトゥースタジオは、同じ
時刻は午後三時、歩道はさまざまな人でごった返している。八尋はくたびれたコートの襟を立て、周囲の喧騒から身を守るようにうつむきつつ歩いた。
なにせ人ごみが得意ではないのだ。
八尋が自炊に日曜大工にと何でもDIYで済ませようとするのは、倹約家であると同時に、可能な限り他人を避けるためである。
パリッとしたビジネスマン、いくつもの袋を抱えた買い物客、リュックを背負った学生、路上弾き語りのミュージシャン。
車道からは無遠慮なクラクションが鳴り響いてくる。他にもタクシー、ピザ配達のスクーターなどがひしめき合っている。
「僕も久しぶりに、こっちまで出たなあ……」
「ガンバれ、ガンバれ、負けんなよ」
八尋が雑踏でグロッキー状態になる寸前、目的地に着くことができた。
『1F Cafe and Bar 花盛りのけだもの/2F 刺青工房
赤煉瓦の
「いらっしゃい!」
U字型カウンターの中から出迎えたのは、ピアスとタトゥーだらけの金髪の女性だ。褐色の肌がしなやかな筋肉の曲線を備え、肉々しい女の魅力を放っている。
『花盛りのけだもの』という店名を体現したような、セクシーな女性だ。乗は店内の階段を指差して、「予約の
「ああ、丹村さんね。ヨシは上で待ってるよ!」
カフェバーの外側から直接スタジオに入ることはできない。狭い階段を上っていくと、突き当たりに『明け烏』と書かれたコルクボードがかかっている。
扉を開けると、大音量のゴアトランスが襲いかかった。インドの風を思わせるメロディー、クラブ音楽というより野外でかけられるタイプの音楽。
「いらっしゃいませ、丹村サン。三年ぶりですね」
店内BGMをドスの利いた声が貫く。
生まれつき声質が低いのだろう、口調そのものは愛想が良い。しかし、「ナメた客はブチ殺してやる」と密かに凄んでいるような緊張感が、ピリッと伝わってきた。
声の主は丸テーブルの横、キャスターつき椅子に座る大男だ。毛先をねじった
ロング丈のジップアップパーカーにTシャツ姿で、手のひらの両面からうなじまで、見える所は顔以外すべてに
そのデザインは蓮の花やクジャク、直線と曲線を複雑に組み合わせた漢字、幾何学模様など。乗が施術してもらった時より、少し増えたようだ。
首元にはじゃらじゃらと、勾玉や獣の牙を加えた数珠を二重にしてかけていた。
「いよっ、ダンナ、お久しぶり。こっちの連れはマブダチの八尋」
「……初めまして、
八尋は初めて踏み入れる場所を物珍しげに見回している。
タトゥーの見本画や専門誌が詰まったマガジンラック、壁にかけられた図案や、工房オリジナルデザインのTシャツなどで店内は雑然としていた。
YOSHITAKAはぬうっと椅子から立ち上がって、二人にソファを勧めようとする。その直前、「あ゙?」と不機嫌さを隠しもしない声を出した。
彼の立ち姿は直立したヒグマのようで、頭が天井をこすりそうだ。YOSHITAKAはつかつかと歩み寄ると、サングラスを外し、八尋の顔を下から覗きこんだ。
八尋は不愉快だろうが、さぞかしその目に驚いたに違いないと乗は思う。
それは人を吸いこむように渦を巻く、
三年前に見た時は乗も驚いたが、眼球にインクを注入するタトゥーの一種だと説明された。あれは普通、白目の部分に色をつけるものだった気がするが……。まあ、彫師本人がタトゥーだと主張するなら、カラーコンタクトなどではないだろう。
YOSHITAKAは不思議な瞳をサングラスで隠して言った。
「白草サン、〝ヘナタトゥー〟はご存知ですか? インドの結婚式などで入れられるもので、ヘナという植物の汁をインクにしてペイントするんです。消えるまでは一週間、長くて三週間ほど、料金はサービスで無料。お一ついかがでしょ?」
八尋は頭をぶるぶると振って、断固拒否の意思を伝える。
「じゃあ残念ですが、白草サンだけお帰りください。そんな状態でうちのスタジオに居てもらっちゃ困るんですよ。あとは私と丹村サンだけで」
「何言ってんだよ、あんた!」
できるなら、乗はYOSHITAKAの胸ぐらを掴んでやりたかったが堪えた。それでもずいっと距離を詰めてにらみ、拒絶の意志をはっきと伝えた。
「八尋がヘナタトゥー入れるのと、スタジオに入れないのと何の関係が、」
次の瞬間、乗はYOSHITAKAの一言に凍りつく。
――「斧、と言えば、分かりますか?」
そんなバカな。
予約からたった二日で調べられるようなら、乗も八尋もこうしてシャバを出歩いていない。そしてカマをかけるには、斧という単語はあまりにも限定的すぎる。
「……どこまで知って?」
今度は冷ややかな八尋の声に、乗はいっそう腹の中が冷たくなった。こいつは一度スイッチが入ったら、マズい。YOSHITAKAは両手の平を上げ、肩をすくめた。
「別に何もありませんや。ただね、こう言っちゃあ悪いんですが、〝ケガレ〟が憑いているんですよ、白草サン。スタジオは私にとって神聖なものなので、お引き取り願いたいわけです。なに、ヘナタトゥーだけでも、充分ほっぽりだせますよ」
無料という点が得に、この男は何を企んでいるのかと不安を覚える。
しかし乗も八尋も、YOSHITAKAが何をどこまで知っているのか、何のつもりなのか、問い質す気にはなれない。あの忌まわしい出来事は、口に上らせたくないのだ。
八尋はしばらく逡巡し、「入れます」と答えた。
「OK。両手の平と甲に入れて一時間そこそこ、乾燥に三〇分、その後保護シートを貼ります。まあ二時間ぐらいで終わりますよ」
「えらく気前がいいな」
そのプランなら、料金は一万円を超えるはずだ。
「今回だけですよ、お客サマ」
おどけた仕草でYOSHITAKAは口元に一本指をあてたが、その顔に笑みはない。
◆
きっちり二時間後、YOSHITAKAの施術が終わった。ゴキゴキと首を鳴らし、ただでさえ大きな体を伸ばしてほぐしながら、彼は口を開く。
「ヘナを入れた後は、できれば飲酒を控えた方がいいって話もありますが、気にしないで下さい。何なら日本酒でも飲んでいただければ、むしろ都合が良いんで」
「お清めってことかね」
一人待たされていた乗は、無言を貫く八尋に代わってYOSHITAKAとずっと話していた。会話を続けながら、自分の手をながめる親友を観察する。
両の手をひっくり返したり、角度を変えたり、熱心に視線を注ぐ瞳には、キラキラと明るい輝きがあった。見たところ、気に入ったらしい。
「どうよ、タトゥー初体験」
「うん……自分の手じゃないみたいだけど、間違いなく僕の手だ。諦めと、楽しさと、色んな気持ちが絵柄に閉じこめられている感じがする。悪くないね」
「上々だな。そのうち本物のタトゥーにも挑戦してみようぜ!」
乗はタトゥーを勧めたことはない。だが、もし八尋が自分の体に絵を持って生きることを決めて、実際に入れたら喜ばしいことだ。
図案を決める楽しみ、入れる楽しみ、治っていく楽しみ、馴染んだ時の楽しみ、自分だけの充実と満足感。そういうものを親友にも感じてもらえればとワクワクする。
八尋のヘナは、インドの伝統的なデザインではない。直線を組み合わせたような幾何学模様に、どこか奇妙な漢字に見えるマークが散らばっている。
YOSHITAKA自身の手にあるものと同系統のようだが、八尋の手に入ったそれは不思議と似合っていた。彼自身が選んだデザインではないと言うのに、良いことだ。
深みのある色が
「さて邪魔が入っちまいましたが」
「あんたねぇ」邪魔呼ばわりされる八尋が、乗は気の毒だ。
「丹村サン、タトゥーを見せていただけませんか?」
乗は黒いベストと
日本伝統の和彫りには「
乗が入れたのは、額抜きでメイン図柄だけを彫った「抜き彫り」というものだ。
右胸から脇腹、腹にかけて咲き誇る大輪の牡丹は、乗の厚い胸板と割れた腹筋を見事に彩っていた。そして両の肩口から腕まで絡む龍の姿と合わさって、肌の上に
タトゥーが多すぎて、レースの黒手袋をつけたような手で、YOSHITAKAは背中側の肩を指で押さえ、ぴんと肌を張る。ひどく忌々しげな表情だった。
「
ぼそりと、彼はそうこぼして、愛想笑いを貼りつけた顔を上げる。
「丹村サン、最近こぅ~、何か罰当たりなことされました?」
脳裏によぎるのは棺桶、〝ねぶらまの棺〟のこと――乗は服を着ながら、八尋と視線を交わした。
「実は今日、相談したいことってのが、まさにそいつなんだよ」
乗は『眠りの森』チャットログのスクリーンショットと、八尋が居酒屋で撮った動画データを差し出した。蓮本の名前を伏せ、これまでの経緯を説明する。
アオギリ会、足を噛んだ歯形、知らずに剥がしたお札、訪ねて来た何かと悪夢。
「つまり怪しい棺桶に呪われて、ねぶらまとか言うやつが丹村サンを連れていくために、なんとか
「灼けてるってのは、そういうことか?」
「レーザーの刺青除去ってあるでしょう、あれの呪詛版です。しばらくは持つでしょうが、剥がすのと他の怪奇現象が同時進行ですよ」
YOSHTAKAは煙草を取り出して、断りもせず火を点けた。吐き出した紫煙が天井に向かって渦を巻くのを見ながら、言葉を続ける。
「しかし、丹村サンはなんでまたウチに来られたので? 神社でお祓いするなり、霊能者の看板掲げた所に相談した方が早いような気がしますけどね」
「お祓いは済ませたけどよ、気休め気休め。まともな占い師や宗教家は、単なるセラピストやカウンセラーと同じだぜ」というのは八尋からの受け売りだ。「本物を引き当てるまで、どんだけかかるか。とりあえず、こいつを見てくんな」
乗にうながされた八尋は、肩提げ鞄の中から紙袋を取り出した。袋から茶色く変色した和綴じの本を剥き、テーブルに置いて棒読みで説明する。
「『
ほとんど一息に言われた台詞は、芝居の脚本をそのまま読んだように不自然なものだ。初対面の相手と話すのが苦手な八尋が、事前に練習した言葉だった。
「アナタねえ、どっからどうやって見つけて来るんですか、そんなモン」
呆れ声のYOSHITAKAに、「だろ? こいつすげえんだよ」と乗は自慢げに言って、しまったと気づく。八尋がそれはそれは嫌そうに、(何でそんなこと言うんだ)と顔を悲哀に歪めてこっちを見ていた。
こうした手際が、かつて探偵業のパートナーに誘った理由の一つなのだが、八尋本人は人前で褒められるのが、恥ずかしくて辛くてしょうがないのだ。
八尋は気を取り直して、YOSHITAKAの方を向いた。
「僕は古書店を営んでいます。これは個人的なコレクションなんですが、乗が『YOSHITAKAを頼れ』と言った時から記憶に引っかかっていて」
壊れ物を扱うように、八尋はそっと古書のページをめくり、一節を読み上げた。
「〝
「『明け烏』はYOSHITAKAさんで二代目ですよね、先代のお名前が柊
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