怪屍

漆 殺してあげない

 YOSHITAKA改め夜志よしたかは煙草を指に挟み、苦々しげに両手を挙げた。紫煙の向こうから、ただでさえ低い声が、より一層ドスを利かせる。


「……ご明察。ですがそんな教団、じいさまの代に潰れていますよ。よくこんなクソマイナー宗教、調べてきたもんですね。えぇ?」

「しゅっ、趣味、なの、で……」


 にらまれ、たちまち声をしぼませる八尋やひろに夜志高は訂正した。


「ただ、カジリはカザリですね。まあカザフルとか表記揺れも多いんですけど」

「かざふる……飾振る、飾揮るか」


 萎縮いしゅくしたと思えば知的好奇心に駆られる八尋を横に、じょうは話を戻す。


「勝手に身元を調べ上げるような真似をしてすいません」


 両膝に手を置いて頭を下げると、八尋もそれに習った。


「でも、オレたちは必死なんだ。あんたがこいつを解決できる力を持った〝本物〟か、はぐらかされて力を貸してもらえないか、そういうことがないよう調査させてもらった。まあ『斧の話』を出されちゃ、その必要もなかったわけだが」


 先代のこともスタジオの噂も、ネットですぐ拾えるものだったが、いかんせん二日という短時間で裏取りしきれない。それでも夜志高を頼ろうと踏み切れたのは、動画に残された自分の言葉以上に、八尋が見つけた古書の存在が大きかった。

 それは当たりだった、と今や乗たちは確信している。


「ええ、ええ、お二方が必死なのは、よーく伝わりましたよ。ですがね」


 夜志高は椅子に腰を下ろし、煙草を深々と吸うと、しばらく溜めてプハァと紫煙を吐き出した。喉に彫られた蝶のタトゥーが、呼吸に合わせてはばたくように見える。


「そんなことしなくても、うちゃ商売なんですから、頼まれりゃいくらでも彫りますよ。普通のタトゥーでも、魔落としのタトゥーでも」

「たははー」乗は罪悪感を誤魔化すように笑った。

「たははじゃねーんですよこのボケ。……失礼」


 夜志高は龍がとぐろを巻くデザインの灰皿に、吸いかけの煙草を置いて両手を打ち鳴らす。龍の口からは紫煙が立ち上っていた。


「確認しますが、丹村にむらサンのご要望は〝ねぶらまの棺〟の呪いをどうにかするってことでいいんですよね? そのために効きそうな図案を彫る、ということで」

「そいつで頼む!」

「OKOK、ただ、墨から作らなきゃいけないんで、通常料金より割高にはさせていただきます。別に倍額とかにはしないから、心配しないでください」


 タトゥーの相場は一時間一万円程度(※ヘナタトゥーはフェイクタトゥーの一種なので料金が違う)、あるいは彫る範囲によって価格が決まってくる。

 乗は背中と左脇腹が開いているので、その辺りに施術することになりそうだ。


「ただ、私は拝み屋でも霊媒師でもないんです」

「えっ」八尋がヘナを入れた自分の手と、夜志高の顔を交互に見る。

「おいおい、こいつにケガレが憑いてるってのはなんだったんだよ」


 夜志高は面倒くさそうに、口端こうたんをにぎにぎと歪めた。


「仕事にはしてねえ、っつー意味ですよボンクラ」ケッと吐き捨て、今度は失礼、と断りも入れない。「私ゃ彫師、刺青師、タトゥーアーティスト、職人が本分です。余計なモンが視えたり、魔除けをできるのは主に家系由来なので」

「いや……何かそれ矛盾してねえか、あんた」


 夜志高の言い分が「自分が除霊やお祓いをできるのはたまたまで、あくまで刺青は仕事。だから料金さえもらえれば何でも入れる」なら、八尋のヘナタトゥーも金を取っている方が自然だ。だが彼はサービスと言って無料にしてくれた。


「ゴチャゴチャうるせえですねえ」


 夜志高は大きく舌打ちを聞かせながらサングラスを外す。同心円状の模様が入った金の瞳を露わにし、悪だくみするようにニヤリと笑った。


「そもそもお二方、最初に心配することがあんじゃねえんですかね?」


 乗は「は?」と訊き返す。


「動画の丹村サンも正気じゃなくて、私ものお仲間って可能性ですよ」


――おそらく棺桶に入った者は、新しく他人を棺桶に入れようとする。


 八尋の推論は自分にも当てはまるのだと、初めて乗は気づいた。動画に残っていた自分の言葉は、正気の部分が発したSOSだと思たのに。

 それすらも罠だったとしたならば……ここで拉致されて〝ねぶらまの棺〟へ連れて行かれるのか。重ねてきた解釈が、推察が、脈絡をともなって飛躍する。


(オレは、自分でも知らない内に、八尋をハメようとしていたのか? いや、これからハメちまうかもしれねえんだ)


 目の前の夜志高よりも、乗は自分自身の危険性におののいた。


「……何でもかんでも疑ってたらキリがないだろ。こっちゃテメエの頭も信じられなくって参ってんだ」


 だからこそ、乗ははっきり言い切る。


「オレたちは、あんたを信じてここに来た」


 少なくとも、「YOSHITAKAを頼れ」という部分は、今までの調査から間違いではないと思えた。自分が八尋を危険に陥れる可能性に思い至らなかったのは痛手だが、今、目の前の夜志高を信じられるかはまた別の話だ。


「も、もっ、し」つっかえ過ぎて咳こみながら、八尋が決然と宣言する。「君が敵なら、洗いざらいしゃべってもらう!」


 顔を上げて、きっと前を向いた八尋の横顔には、ナイフの鋭さが宿っていた。

 彼は友人の危機には、こうして自ら鞘を抜く。通った鼻筋も、すっきりした顎のラインも、鋭利で刃こぼれ知らずの意志を感じさせるやいばの造形美。

 いつもその顔を見せていたら、他人に侮られることなどあるまい。それを思うと乗は歯がゆかったが、八尋はすでに張り上げた声を小さくしていた。


「そ、それで乗が、助かるなら……」


 と何とか続ける。すっかり、ボサボサ髪で垢抜けない、ひょろりとした頼りない文学青年に戻ってしまった。


 それにしても――夜志高はどうも、無償で八尋にヘナタトゥーを入れたことから、話を逸らしたいように見える。他心があるのか、あるいは単なる親切を、追求されるのが恥ずかしいのか。しかもその親切なら、決して安くはない。


 夜志高を信用すると決めた乗は、何だか彼に対し微笑ましい印象を抱いた。一方、当の夜志高はタトゥーだらけの両手の平を向け、落ち着くように仕草で示す。


「はーいはいはい、あっち側じゃないんでご安心を。ただ、相手はそのくらいのズル賢さを持っているってのは、覚えておいてください」


 麗しい友情ですねえとつぶやきつつ、夜志高は置いてあったスケッチブックや鉛筆を横に寄せて、テーブルの上のノートパソコンを開いた。


「うちでタトゥーを入れたお客サマが、その後消したくなったりリメイクするのはそりゃご自由です。でも、部外者が無理やり剥がそうってのは、こちらとしてもトサカが立ちますんでね」


 個人的に仕事への意気込みがあるというのは、いいニュースだ。


「ま、とりあえず『眠りの森』とやらを見てみましょうか」


 乗の招待で、夜志高はサーバーに〝虎斗羅〟のアカウント名でログインする。一昨日から、八尋も〝暮らしにくい教育〟名でサーバーに参加していた。


「手っ取り早いのは、管理人の居場所を突き止めて、棺桶を壊しちまうことでしょうね。アオギリ会棺桶オフ会とやらの募集を待って、メンの割れてない白草サンが参加するとか」

「そのつもりだけどさ」乗は肩をすくめてみせる。「今のペースだと、どう頑張っても次の募集は来年になりそうだ。管理人は個人に対しても棺桶を見せてくれるらしいんで、そっちを狙った方が早いな」


 残念ながら発信者情報開示請求の要件を満たさないため、〝眠りの森〟の居場所は地道に探るしかない。乗は彼のSNSアカウントとブログを追っていた。

 ぶうん、と乗のポケットでスマホが鳴る。


「うお、オフクロだ」


 前に話したのは半年前ではなかっただろうか。意外な相手に驚きながら、乗は部屋の隅へ移動して、他愛もない近況報告と世間話に付き合った。


『乗、ちゃんと食べてる? 変な買い物してない? 自堕落な生活は駄目よ』

「大丈夫だよ」今はまったく大丈夫な状況ではないが、母に言えるわけがない。「正月にはまた、そっちに顔出す。あー、タラコとこんにゃくの煮物、また食いたい」


 母、里麻りまはすこぶる元気そうだ。乗が物心ついた時にはすでに父の姿はなく、里麻に聞いても「遠くにいるよ」とはぐらかされるばかりだった。

 児童書で「名探偵」というものを知って、その真似事で父親の足跡を追ったのが、今探偵を営んでいることにつながっている。結局のところ、父親のことは分からなかった――分からなくていい、と見切りをつけてしまった。


 ふと心配になって連絡をかけてきたらしい。実際、息子がよく分からない怪奇現象に見舞われている真っ最中なのだから、これが虫の知らせというやつだろうか。


「……母さん、なんか最近、変なこととか起きてねぇ?」

『変なってなにさ。いつも通りよ』


 ならいいけど、と乗は通話を切った。


(まだまだ死ぬわけにはいかねえ)


 決意を新たにして、夜志高らの所に戻る。


「次のアオギリ会までオレが無事でいられるか、あんた分かるか?」

「さあて、それはなんとも」


 パタン、とパソコンモニターを閉じながら、夜志高はそっけない。


「ま、灼けちまった部分は今日の内に手直ししちまいましょう。それから、まあ何つうんですかね、魔除けをお渡ししますよ。それと――白草サンはどうされます?」

「えっ、ぼ、僕ですか」


 急に水を向けられ、八尋は肩を跳ねさせた。この流れは明らかに、タトゥーを彫らないかと聞いているのだが、彼の気が進まないのはさもありなん。

 ピアス一つ開けたこともない八尋は、うつむきながら「僕は、本物のタトゥーはまだ、ちょっと……」と二人の予想どおりの返事をごにょごにょと返した。


「さっきのヘナは、すり切れたケガレを消したら役目を終えちまうんです。脅すワケじゃあないんですがね、近くにいれば、縁をたどって害をこうむりますよ」


 何本目かの煙草をスパーッと景気良くふかしながら、夜志高は「ああ、こう言うと霊感商法っぽいですよね」と付け加える。


「今日のところは、丹村サンと同じお守りを渡しておきましょう。刺青の図案をヒトガタに描くんです。要するにお札と同じですね」


 黥儺道げいなんどうは、法規制によって刺青が禁止されていた時代に興った宗教だ。

 谷崎潤一郎の小説『刺青』に見られるように、実際にはほとんど摘発されることなく、熱心な顧客と彫師の情熱によって、刺青文化は途絶えることなく続いた。


 そんな中であっても、「お祓い」のため体に刺青を彫るというのは、心理的抵抗が少なくはない。だから人形ひとがたのような代替手段があるのだろう。

 乗の施術をする前に、夜志高は簡単な〝精進しょうじん潔斎けっさい〟としてシャワーを浴びてくると言った。八尋は不安でそれを引き留めてしまう。


「もし、〝ねぶらまの棺〟が止められなかったら、どうなるんですか」

「ンッンー」夜志高は少し考えて。「どんな風になるか、ちょっと想像してみてくださいね」と言うなり奥に引っ込んだ。


 髪も生乾きのまま夜志高が戻ると、乗は再びシャツを脱いだ。

 使い捨て手袋を入れるゴミ箱、インクで変色したタオルの山、軟膏や包帯、道具を消毒するためのオートクレーブ滅菌器などに囲まれたベッドにうつ伏せる


 夜志高は乗の左肩、鱗が薄くなった箇所に消毒ジェルを塗り、手作業で針を立てた。針とは言っても、七~八本から十本、二十本と並べて二段にしたものだ。

 その形はいくつも溝が入った、ギザギザの刃と言う方が近い。夜志高は親指と人差し指で皮膚を張り、針を動かしていった。


 乗は涼しい顔をしているが、それはまったくの演技だ。

 墨のついた針が初めてはだに入る時は冷たく、やがて熱くなる。それが間断なく次から次へと突き立てられるので、刺されると言うよりカッターで切られるように痛い。


 針は親指をてこにして、跳ねるように動かすから、チャッチャッチャッと軽妙な音になる。それがゴアトランスのベースとメロディーラインに混ざって、血と消毒剤の匂うスタジオに幻惑的に響き、痛みを忘れさせていった。


「怪異とか呪いってのは、人を殺さないんですよ」


 だから夜志高が口を開いた時、乗は「へ?」気の抜けた返事をしてしまう。それからタトゥーの手直しをする前、八尋の質問への答えだと気づいた。


「人を殺す、あの世に連れていく怪談なんて腐るほどありふれているでしょう。怪異が存在するなら、もっともっと人死にが出てなきゃ数が合わないんです。勘違いしてもらっちゃ困るのが、殺せないんじゃなくて、〝殺さない〟ってとこですね」


 それは、単純に殺されることより恐ろしいことかもしれない。そんな予感がひやりと乗と八尋の背中にはりついた。


「怪異は、人を〝こわす〟んです。人生をねじ曲げられて、袋小路に追いやられながら、呪われたまま生かされ続ける。当たり前にできてきたことができなくなって、悪い流れにいるのは分かっているのに、どうすることもできない。そうしてただ、やつらの養分になって生き続けるんですよ。死んだら終わり、ですからね」


 くくく、と笑いながら夜志高は竹ベラから針を外して廃棄した。ついで乗の血を拭き、傷薬の軟膏を塗り込んでいく。

 死んだら終わり。夜志高は霊能者のたぐいと考えていいのだろうが、その口振りだと死後の世界は信じてはいなさそうだ。


はオレを殺したいじゃなくて、えんえんと嫌がらせをしたいんだな?」


 冗談じゃないねぇ、とベッドから起き上がった乗はいそいそと服を着る。


「そいつは可能性の一つですよ。毀れた人間は他人を殺したり、自ら命を絶ったりします。でなくとも、頭の中までやられちまって、自分がおかしくなった自覚も持てないまま、ただ漫然まんぜんと、這うように生きるんですよ。惨めなもんでしょ?」


 そして、そんな悪意を持った存在が間違いなく〝いる〟。

 そんなやつに、自分は眼をつけられているのだ。

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