参 足だけじゃ済まないよ?

〝眠りの森〟から一方的にサーバーを追い出キックされ、じょう蓮本はすもとに依頼された「あの世が見える棺桶」に入ることは不可能となってしまった。アカウントだけなら新しく作り直せるが、実際にオフ会に出向かなければならない以上、どうしようもない。


「バイト雇うとなー……カネがかかるんだよなー……」


 奥柱おくはしらちょうのメインストリートから少し裏に入った雑居ビルの三階、『丹村にむら探偵事務所』は乗が一人でやっている。アルバイトを雇って依頼を続行するなら、蓮本と改めて費用の相談をしなければならない。

……だが、彼女となかなか連絡がつかなかった。

 アカウントを作り直して『眠りの森』を見れば、チャットにはログインし、発言もしている。蓮本個人にダイレクトメッセージをあて、相談したい旨を伝えた。


 連絡がつかないことには、どうしようもない。

 乗は昼のうちに近場の神社に出かけ、十枚ほどお札をそろえた。オカルトは信じるタチではないが、足の歯形と友人からの心配が重なると、さすがに無視できない。


「苦しいときの神頼み、ってね」


 乗の事務所の居住スペースは、長方形のワンルームだ。

 入って正面が風呂とトイレ、左手には冷蔵庫。バスルームの横に食器棚を置いてキッチンスペースを確保し、キッチン仕切りの向こうにテーブルセットとベッドが置いてある。その向こうはベランダだ。洗濯物はコインランドリーに持って行く。


 冷蔵庫の隣にはテレビが置かれ、飲食スペースから見えるようになっていた。ベッドの前にはソファもあるし、暮らすのに必要なものは最低限そろっている。

 乗としては気軽で居心地の良い空間だ。その室内に、思いつく限りもらってきたお札をぺたぺたと貼る。しっかりと糊づけして、これでよし! と満足を覚えた。


「ついでに妙な歯形も、どうにかなんないかねぇ」


 八尋やひろはいわゆる〝見える人〟ではない。それなのにお祓いを勧めるということは、アオギリ会の一件が、傍から見ても明らかに影響を及ぼしているのだろう。

 傷以外には、心身に異常はない。数日様子を見て、おかしいことが起きるようなら、改めて神社にお祓いを頼みに行こう。


 蓮本と連絡がついたのは、その夕方だった。だが本人ではない。


『わたしは妹の蓮本子安こやすです』


 事務所の番号が登録されていたから、姉の代わりに出たらしい。


「お姉さんは今、どちらに?」


 聞きながら乗は片手でパソコンを操作する。『眠りの森』ではほんの三十分前に、彼女の他愛ない書きこみがなされていた。


『一週間前から連絡が取れないんです』


 では、今彼女のアカウントでチャットに書きこんでいるのは、いったい誰なのだ?


『姉のマンションに来ても、帰ってきた様子がなくて。丹村さんは何かご存知なんですか?』

「それは……」チャットの件を話すべきか否か。「守秘義務もありますし、お役に立てるようなことはお伝えできません」


 通話を終え、乗はベッドに腰かけて髪を掻きむしった。妹が出たということは、蓮本のスマホは彼女の手元にある。

 自宅にも来ているなら、パソコンもそこにあるはずだ。とすれば、蓮本はここ一週間、あるいはもっと前から行方をくらまして、ネットカフェか何かから『眠りの森』チャットに参加し続けているということになる。


 だが、そんなことをして何になるのか?

 急に自宅や手元の端末を放り出して、ネットのコミュニティにだけつながり続ける……現実の人間関係すべてが煩わしくなって、そこから逃げるため? しかし、わざわざ金を払って雇った探偵との連絡まで放棄するのは相当だ。


 偶然、乗がアオギリ会に出たタイミングで、誰かが彼女を誘拐し、さらにアカウントを乗っ取った? だが後者だけならともかく、蓮本をさらう意味が分からない。

 誰かがアカウントを乗っ取ったタイミングで、彼女が何らかの理由で失踪したのか? それは偶然が重なりすぎている。


 やはり一番自然なのは、蓮本が自ら姿を消した可能性だ。

 乗がアオギリ会に参加するまで、彼女とは普通に連絡が取れていた。自分が依頼した仕事の報告がいよいよ上がるという時に、姿をくらます必要性――


(蓮本は棺桶の中を見て欲しいんじゃなくて、オレを棺桶に入らせることが目的だったんじゃねえの?)


 そう考えると筋が通る。それにどんな得があるかは知らないが、現に異変が起きているのだ。あの時集まった六人のうち、乗だけが「噛まれた」ことにもきっと、意味がある。それが彼らにとって「成功」なのか「失敗」なのかはともかく。

 八尋と飲み明かして無理やり忘れていたが、空っぽのはずの棺に入れた足が、明らかに人間の歯形をつけられたという状況も異常なのだから。


(……オレ、何に関わっちまったんだ?)


 あの棺桶には何かある。棺桶自体が化け物なのか、目に見えない何かが潜んでいるのか、想像はとりとめがない。

 乗はパソコンにかじりついて、『眠りの森』のチャットログを徹底的に洗った。アオギリ会の告知、参加表明、参加者の報告、感想。少しでも手がかりを探して。


「くそっ!」


〝眠りの森〟の箝口令かんこうれいは徹底していた。参加者はどこに集まったか、顔を合わせたチャット仲間の印象がどうだったかという話はするが、棺の中で何を見たかについては、決して触れない。もしかしたら、他にも噛まれた、あるいは別の怪奇現象に見舞われた者がいやしないかと思ったが、それもないのだ。


 翌朝、乗はスリープ状態のパソコンの前で、そのまま寝落ちていた自分を発見した。喉はカラカラで頭も重い。椅子から立ち上がって身体を伸ばそうとして、すぐ異変に気づいた。物盗り、ではない、だが昨日より確実にどこかが荒れた部屋。


 室内のあちこちに貼ったお札が剥がされている。きちんと糊づけしたそれを、爪で無理やり引っ掻いた跡が、そこかしこの壁に残されていた。

 誰がこんなことを? いつ侵入した? そいつはお札だけ剥がして去っていったのか。それならば、果たして人なのかどうか。


「ったく」白々しく笑う。「幽霊にお札が剥がせたら、意味ねーじゃん……」


 人間の仕業ならその方がマシだが、警察に届け出る気にはなれなかった。手近な壁に近寄ると、床に細かくちぎられたお札の残骸が落ちている。

 それを摘まみ上げて、乗はぎょっとした。


 自分の爪の間に、白く紙の繊維が詰まっている。


 コピー用紙などとは違う、お札と同じ和紙特有のものだ。

 その上、無理に剥がそうとして割れたのか、爪にはいくつか白い筋が入っていた。つまり乗は自分自身でも知らない内に、自分で貼ったお札を剥がしたらしい。


――『お祓いとか、そういうのした方がいいんじゃないか』


 八尋の勧めが脳裏によみがえる。

 確かにこれは、心霊案件かもしれない。精神科を受診するという選択肢もあるが、予約を入れたところで実際の診察は一ヶ月、二ヶ月先がざらだ。

 乗はスマホを取り出して、まず八尋に連絡を取った。昔、心霊スポットを数人の仲間と冷やかしたことがあるが、あまり頼りにならない気がする。飲み会の時、すでに何かを察していた八尋なら、きっと相談に乗ってくれるだろう。


『……そうか』


 蓮本のことを伏せてお札の件を伝えると、八尋はしばし神妙な沈黙を返した。


「は?」

『ああ、ごめん。気を悪くしないでくれ』


 親友の慌てたような声に、乗の心臓がバクバクと激しく脈打つ。

 やっぱりとは、どういうことだ。彼が自分をハメたなどとは思わない、八尋はそんなことはしない。心配するような何かがあったから、忠告してくれたまでだ。


『乗、見せたいものがある。今日、会えそうか?』

「いや、オレが行く。今からいいか」

『あ、うん』


 通話を切って、乗は身支度をした。今日は事務所も臨時休業だ。

 ソフト帽を被って出ると、冬初めの空気が刺すように身を尖らせていた。街路樹のイチョウもすっかり葉を落としていて、物寂しい気配を漂わせている。


 八尋が営む『乙夜堂いつやどう書店』は、乗の事務所がある奥柱町の隣、此渡これわたりちょうだ。渡笛わたしぶえざかの途中にある古民家を改造したもので、元々は彼の叔父の持ち物だった。

 傾斜地のため、店内にも段差があるのが特徴で、古書の他に新刊や雑誌も扱う。出入口すぐが平積みの新書コーナーで、その奥がカウンター。


 朝九時すぎ、店の前には白黒ハチワレの猫が丸くなっていた。アザラシのようにでぼーんとしたくびれのない体形で、ダミ声で鳴くじいさん猫だ。

「よう、クー」と声をかけたが、ちらっと目を上げただけで無視される。

 八尋はすでに、カウンター内の定位置に座していた。ここの二階が彼の住居で、正直乗の自宅より広い。いつもなら本を手にしているが、今日は違った。


「乗、だいぶ……顔色が悪いな」


 カウンターから立ち上がる八尋に、乗は黙って手を振る。いつもならおまえほどじゃねえよ、などと返したかもしれないが、今日はその余裕もなかった。

 八尋手製の木工スツールに、勧められるまま腰を下ろす。倹約家の彼は、毎日の食事から、ちょっとした修繕や工作は自分で済ませてしまうのだ。

 手斧があれば、薪だって綺麗に唐竹割りにしてしまう。


「んで、見せたいものって?」

「これ」


 八尋が差し出したのは彼のスマホだった。画面には動画データのアイコンがある。


「一昨日の飲み会で撮ったやつだよ」


 あの時、八尋はカメラなど回していただろうか?

 首をひねりながら、乗は再生ボタンを押した。何か重大な事実が隠れていることを予期したように、かすかに、指が震える。



 なみなみとつがれたビールのジョッキに手をつけず、こちらを見る自分の顔が、まず画面に映った。顔は赤くないが、目は泥酔したようにとろんとしている。


『やーひろー、カメラ回ってるぅ?』

『いつでもどうぞ』八尋の声。


 乗はテーブルから身をのり出して、画面いっぱいに顔を近づけた。



 顔中の神経がガチガチに凍りつき、血の気や体温というものを失った、まさに仮面のような表情で言う。「え……?」という八尋の戸惑った声がした。


『オレは全身すっぽり、あの世が見える棺桶に入った。たぶんかなりヤバい。やめときゃよかった、やるんじゃなかったよ、今さら遅いけど。でもな、八尋、これだけは覚えておいてくれよ。オレはあの棺桶に入った。もしに呼ばれたオレがおかしくなったら、この動画を見せてくれ。それと』


 乗は顔を離すと、腕をまくってカメラに見せた。そこには見慣れた和彫りの龍が彫られている。龍の体は上半身に続き、牡丹の花と絡んでいるのだ。


『万が一の時は、彫師ほりしYOSHITAKAヨシタカを訪ねろよ。あの人が入れたタトゥーが、オレを守っている。頼れるのはきっとYOSHITAKAだけだ』

『あ、ああ』


 困惑した八尋の声は、そのまま動画を観ている乗自身の感想だ。


『よっし、終わり! 動画保存しといてくれよ、八尋』


 袖を戻し、ぱっと乗の顔がいつもの調子に戻った。


『も、もういいのか?』

『ゴハン冷めちゃうじゃん。ほら、カンパーイ!』


 それで動画は終わりだ。


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