参 足だけじゃ済まないよ?
〝眠りの森〟から一方的にサーバーを
「バイト雇うとなー……カネがかかるんだよなー……」
……だが、彼女となかなか連絡がつかなかった。
アカウントを作り直して『眠りの森』を見れば、チャットにはログインし、発言もしている。蓮本個人にダイレクトメッセージをあて、相談したい旨を伝えた。
連絡がつかないことには、どうしようもない。
乗は昼のうちに近場の神社に出かけ、十枚ほどお札をそろえた。オカルトは信じるタチではないが、足の歯形と友人からの心配が重なると、さすがに無視できない。
「苦しいときの神頼み、ってね」
乗の事務所の居住スペースは、長方形のワンルームだ。
入って正面が風呂とトイレ、左手には冷蔵庫。バスルームの横に食器棚を置いてキッチンスペースを確保し、キッチン仕切りの向こうにテーブルセットとベッドが置いてある。その向こうはベランダだ。洗濯物はコインランドリーに持って行く。
冷蔵庫の隣にはテレビが置かれ、飲食スペースから見えるようになっていた。ベッドの前にはソファもあるし、暮らすのに必要なものは最低限そろっている。
乗としては気軽で居心地の良い空間だ。その室内に、思いつく限りもらってきたお札をぺたぺたと貼る。しっかりと糊づけして、これでよし! と満足を覚えた。
「ついでに妙な歯形も、どうにかなんないかねぇ」
傷以外には、心身に異常はない。数日様子を見て、おかしいことが起きるようなら、改めて神社にお祓いを頼みに行こう。
蓮本と連絡がついたのは、その夕方だった。だが本人ではない。
『わたしは妹の蓮本
事務所の番号が登録されていたから、姉の代わりに出たらしい。
「お姉さんは今、どちらに?」
聞きながら乗は片手でパソコンを操作する。『眠りの森』ではほんの三十分前に、彼女の他愛ない書きこみがなされていた。
『一週間前から連絡が取れないんです』
では、今彼女のアカウントでチャットに書きこんでいるのは、いったい誰なのだ?
『姉のマンションに来ても、帰ってきた様子がなくて。丹村さんは何かご存知なんですか?』
「それは……」チャットの件を話すべきか否か。「守秘義務もありますし、お役に立てるようなことはお伝えできません」
通話を終え、乗はベッドに腰かけて髪を掻きむしった。妹が出たということは、蓮本のスマホは彼女の手元にある。
自宅にも来ているなら、パソコンもそこにあるはずだ。とすれば、蓮本はここ一週間、あるいはもっと前から行方をくらまして、ネットカフェか何かから『眠りの森』チャットに参加し続けているということになる。
だが、そんなことをして何になるのか?
急に自宅や手元の端末を放り出して、ネットのコミュニティにだけつながり続ける……現実の人間関係すべてが煩わしくなって、そこから逃げるため? しかし、わざわざ金を払って雇った探偵との連絡まで放棄するのは相当だ。
偶然、乗がアオギリ会に出たタイミングで、誰かが彼女を誘拐し、さらにアカウントを乗っ取った? だが後者だけならともかく、蓮本をさらう意味が分からない。
誰かがアカウントを乗っ取ったタイミングで、彼女が何らかの理由で失踪したのか? それは偶然が重なりすぎている。
やはり一番自然なのは、蓮本が自ら姿を消した可能性だ。
乗がアオギリ会に参加するまで、彼女とは普通に連絡が取れていた。自分が依頼した仕事の報告がいよいよ上がるという時に、姿をくらます必要性――
(蓮本は棺桶の中を見て欲しいんじゃなくて、オレを棺桶に入らせることが目的だったんじゃねえの?)
そう考えると筋が通る。それにどんな得があるかは知らないが、現に異変が起きているのだ。あの時集まった六人のうち、乗だけが「噛まれた」ことにもきっと、意味がある。それが彼らにとって「成功」なのか「失敗」なのかはともかく。
八尋と飲み明かして無理やり忘れていたが、空っぽのはずの棺に入れた足が、明らかに人間の歯形をつけられたという状況も異常なのだから。
(……オレ、何に関わっちまったんだ?)
あの棺桶には何かある。棺桶自体が化け物なのか、目に見えない何かが潜んでいるのか、想像はとりとめがない。
乗はパソコンにかじりついて、『眠りの森』のチャットログを徹底的に洗った。アオギリ会の告知、参加表明、参加者の報告、感想。少しでも手がかりを探して。
「くそっ!」
〝眠りの森〟の
翌朝、乗はスリープ状態のパソコンの前で、そのまま寝落ちていた自分を発見した。喉はカラカラで頭も重い。椅子から立ち上がって身体を伸ばそうとして、すぐ異変に気づいた。物盗り、ではない、だが昨日より確実にどこかが荒れた部屋。
室内のあちこちに貼ったお札が剥がされている。きちんと糊づけしたそれを、爪で無理やり引っ掻いた跡が、そこかしこの壁に残されていた。
誰がこんなことを? いつ侵入した? そいつはお札だけ剥がして去っていったのか。それならば、果たして人なのかどうか。
「ったく」白々しく笑う。「幽霊にお札が剥がせたら、意味ねーじゃん……」
人間の仕業ならその方がマシだが、警察に届け出る気にはなれなかった。手近な壁に近寄ると、床に細かくちぎられたお札の残骸が落ちている。
それを摘まみ上げて、乗はぎょっとした。
自分の爪の間に、白く紙の繊維が詰まっている。
コピー用紙などとは違う、お札と同じ和紙特有のものだ。
その上、無理に剥がそうとして割れたのか、爪にはいくつか白い筋が入っていた。つまり乗は自分自身でも知らない内に、自分で貼ったお札を剥がしたらしい。
――『お祓いとか、そういうのした方がいいんじゃないか』
八尋の勧めが脳裏によみがえる。
確かにこれは、心霊案件かもしれない。精神科を受診するという選択肢もあるが、予約を入れたところで実際の診察は一ヶ月、二ヶ月先がざらだ。
乗はスマホを取り出して、まず八尋に連絡を取った。昔、心霊スポットを数人の仲間と冷やかしたことがあるが、あまり頼りにならない気がする。飲み会の時、すでに何かを察していた八尋なら、きっと相談に乗ってくれるだろう。
『……そうか』
蓮本のことを伏せてお札の件を伝えると、八尋はしばし神妙な沈黙を返した。
『やっぱり、何か起きたか』
「は?」
『ああ、ごめん。気を悪くしないでくれ』
親友の慌てたような声に、乗の心臓がバクバクと激しく脈打つ。
やっぱりとは、どういうことだ。彼が自分をハメたなどとは思わない、八尋はそんなことはしない。心配するような何かがあったから、忠告してくれたまでだ。
『乗、見せたいものがある。今日、会えそうか?』
「いや、オレが行く。今からいいか」
『あ、うん』
通話を切って、乗は身支度をした。今日は事務所も臨時休業だ。
ソフト帽を被って出ると、冬初めの空気が刺すように身を尖らせていた。街路樹のイチョウもすっかり葉を落としていて、物寂しい気配を漂わせている。
八尋が営む『
傾斜地のため、店内にも段差があるのが特徴で、古書の他に新刊や雑誌も扱う。出入口すぐが平積みの新書コーナーで、その奥がカウンター。
朝九時すぎ、店の前には白黒ハチワレの猫が丸くなっていた。アザラシのようにでぼーんとしたくびれのない体形で、ダミ声で鳴くじいさん猫だ。
「よう、クー」と声をかけたが、ちらっと目を上げただけで無視される。
八尋はすでに、カウンター内の定位置に座していた。ここの二階が彼の住居で、正直乗の自宅より広い。いつもなら本を手にしているが、今日は違った。
「乗、だいぶ……顔色が悪いな」
カウンターから立ち上がる八尋に、乗は黙って手を振る。いつもならおまえほどじゃねえよ、などと返したかもしれないが、今日はその余裕もなかった。
八尋手製の木工スツールに、勧められるまま腰を下ろす。倹約家の彼は、毎日の食事から、ちょっとした修繕や工作は自分で済ませてしまうのだ。
手斧があれば、薪だって綺麗に唐竹割りにしてしまう。
「んで、見せたいものって?」
「これ」
八尋が差し出したのは彼のスマホだった。画面には動画データのアイコンがある。
「一昨日の飲み会で撮ったやつだよ」
あの時、八尋はカメラなど回していただろうか?
首をひねりながら、乗は再生ボタンを押した。何か重大な事実が隠れていることを予期したように、かすかに、指が震える。
※
なみなみとつがれたビールのジョッキに手をつけず、こちらを見る自分の顔が、まず画面に映った。顔は赤くないが、目は泥酔したようにとろんとしている。
『やーひろー、カメラ回ってるぅ?』
『いつでもどうぞ』八尋の声。
乗はテーブルから身をのり出して、画面いっぱいに顔を近づけた。
『オレは棺桶に入った』
顔中の神経がガチガチに凍りつき、血の気や体温というものを失った、まさに仮面のような表情で言う。「え……?」という八尋の戸惑った声がした。
『オレは全身すっぽり、あの世が見える棺桶に入った。たぶんかなりヤバい。やめときゃよかった、やるんじゃなかったよ、今さら遅いけど。でもな、八尋、これだけは覚えておいてくれよ。オレはあの棺桶に入った。もしねぶらまに呼ばれたオレがおかしくなったら、この動画を見せてくれ。それと』
乗は顔を離すと、腕をまくってカメラに見せた。そこには見慣れた和彫りの龍が彫られている。龍の体は上半身に続き、牡丹の花と絡んでいるのだ。
『万が一の時は、
『あ、ああ』
困惑した八尋の声は、そのまま動画を観ている乗自身の感想だ。
『よっし、終わり! 動画保存しといてくれよ、八尋』
袖を戻し、ぱっと乗の顔がいつもの調子に戻った。
『も、もういいのか?』
『ゴハン冷めちゃうじゃん。ほら、カンパーイ!』
それで動画は終わりだ。
※
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