誘霊(いざない)の章

怪起

壱 アオギリの木は棺の木

 仏間に置かれた棺桶の中から、「開けてください」とか細い声がした。

 棺桶は全面に鳳凰の彫刻が施され、荘厳ではあるがひどく古ぼけている。造りこそしっかりしているが、材質の桐もくすんで変色していた。


 近畿の山深いへんぴな一軒家。真っ昼間から雨戸を閉め切った室内は、寒さに向かう季節にもかかわらず、暖房も電灯もなく、何本もの蝋燭ろうそくが薄暗がりを作っている。

 奇妙な空間の中、七人の男女が座布団に座って、ぐるりと棺桶を囲んでいた。

 その輪の中から。


「はいはいっと」


 丹村にむらじょうが快活に立ち上がると、陰鬱な空気にぱっと明るさが広がる。それは彼の声や話し方だけではなく、華やかな容姿のためでもあった。

 美丈夫、伊達男、佳人、麗人。

 筋肉質な体は黒のジャケットとスラックス、ストライプのシャツに収められ、一本線がスッと通った鼻筋に、ぱっちりと印象的な瞳、さらさらと艶やかな黒髪。


 中でも瞳だ。精神にも肉体にもたるみのない人間が持つ、水晶のような涼しい輝きがあった。そのまばゆさが、乗の全身にきらきらした光と魅力を与えている。

 女優のような顔立ちだが、わずかに青い果実のような固さを残し、彼が間違っても美女ではなく美青年なのだと教えた。


 彼が棺桶の蓋を持ち上げると、袖からは和彫りの龍――タトゥーが覗く。棺に入っていた青年が身を起こすと、濡れた頬が蝋燭の炎を照り返した。

 乗は薄い唇に、ニカッと綺麗な弧を描いて笑う。


「おかえりぃ。光とか声とか、神さまっぽいもん見えました?」


 青年は身を起こすと、何も聞こえないかのように顔を覆い、肩を震わせて泣き出した。棺に入って五分もしなかったのに、とても話ができそうな様子ではない。


「〝牡丹ぼたん煙草たばこ〟さま、最初にお願いしたとおり、質問はご遠慮ください」


〝眠りの森〟と名乗る主催者が牡丹煙草――乗に釘を刺す。

 手足が長い細身の体型に、黒いタートルネックの長袖とズボン。薄い目鼻立ちと相まって、影のように印象が薄い男だ。

 乗は「すいませーん」と両手を振って座布団に座り直す。青年がではないか、という疑いはおくびにも出さない。


(アンタらのトリック、オレが暴いてやらぁ)


 これから自分は、名前も素性も知れない連中と、生きたまま棺桶に入るのだ。そう思うと乗は、馬鹿馬鹿しさと少なからぬ怒りで笑い出しそうになる。

 最近は葬祭業者やお寺が入棺体験というサービスを提供しているが、弔辞を書いたりお経を上げたりという演出はない。ただ入って、横になるだけ。


――「あの世が見える棺桶に入って、見えたものを教えてください」


 数週間ほど前。京都府七守道ななかみどう市で、探偵を営む乗に依頼を持ちこんだのは、蓮本はすもと小静こしずという若い女性だった。

 ピンクのショートボブとコケティッシュなメイクを、三食きちんと食べているのか不安になる痩身で台無しにしている。明るい表情さえどこか白々しい。


「カンオケねぇ……葬式で使う、あの棺桶ですか」


 探偵なんてものをやっていると、妙な依頼が舞いこんでくるものだ。下着を盗んできてくれだの、好きな女の後をつけて住所を調べてくれ、だの。

『丹村探偵事務所』という看板がいけないのか、探偵と聞くと何でも屋みたいなものだと思う客層が、少なからずいるらしい。とはいえ、明らかに犯罪性のある例に比べれば、まだ蓮本の依頼はまともだ。話を聞く価値がある。


「そー、そのオケカン。とりあえず、コレ見てください」


 スマホを取り出してチャットアプリを立ち上げながら、彼女は自殺・メンタルヘルス系サーバー『眠りの森』のメンバーだと自己紹介した。


 ***


サーバー名:眠りの森

コミュニティ:352online

タグ:「雑談」「初心者歓迎」「精神疾患」「性的マイノリティ」「虐待」「死にたい」「躁鬱」「非正規雇用」「OD」「希死きし念慮ねんりょ


ストレスや生きづらさなどを、誰にも言えず閉じこめていませんか?

一人で抱えこまなくていいのですよ。深く傷ついた心は一生治りません。取り返しがつかなくなる前に、ここで悩みを吐き出して少しでも楽になりませんか?


✔︎︎︎昼夜問わず毎日人がいます。寂しいとき、愚痴りたい時、いつでもどうぞ。

✔︎︎︎面接なし。年齢性別も問いません。いきなり通話に入ってOKです。

✔︎︎︎聞き専OK。挨拶、自己紹介、敬語も不要です。

✔︎︎︎「死にたい」を否定しない、心安らかな憩いの場を目指しています。

✔︎︎︎参加する皆さまが安心できて居心地が良い、そんなサーバーにしていきましょう。


 ***

一年前 11月17日 22:03


〝眠りの森〟@R.I.P.Life1212


 皆さま、もし死後の世界、【あの世を見る方法】があれば、どうなさいますか?


 ものの喩えではありません。このサーバーを立てた時から、いつか皆さまに広めたいと思っていました。【あの世が見える棺桶】を、私は所有しています。


 実は個別チャットで、こっそり棺桶のことをお伝えした方もいます。

 それが元でサーバーを去られた方、永眠を思い止まられた方、取り合っていただけなかった方など、反応は様々でした。詳しくは申しません。


 ***


 その書きこみから始まるチャンネルで、管理人〝眠りの森〟は廃火葬所で棺桶を見つけたこと、中に入った時の神秘体験をつづった。


 ***

 私は死ぬのをやめて、後日その棺桶を持ち帰りました。窃盗罪にあたりますが、廃墟に入った時点で不法侵入ですので、こればかりはオフレコでお願いいたします。

 さきほども申しましたように、このサーバーを立てたのも、同じような苦しみを抱えていた方に、棺桶のことを紹介できないかと思ってのことです。


 棺桶の中で見たものについて、サーバー内でも外でも、決して他人に話さないでください。中に入った者同士で語り合うのも、第三者を交えず行ってください。

 上記の約束を了解された上でご興味ある方は、このチャンネルで気軽にお声かけください。ご質問、どしどし受け付けます。


 ***


 サーバー内は希死念慮を吐き出す「#死にたい報告」、気分が良い時に書きこむ「#曇りのち晴れ報告」、楽に生きるためのライフハックを話し合う「#上を向いて歩こう」などの個別チャンネルがひしめきあっていた。


「こういうサバだから時々、自殺のために仲間を募集するチャンネルが立てられてたんですね。で、いくつかはホントに実行に移されちゃいました。あたしもお悔やみを書きましたよ。それで管理人さんが、あの世が見える棺桶持ってますって言って、臨死体験オフを始めたんです。安易な自殺をこれで思い止まってくださーいって」

「死にたいを否定しないとありますが」

「死にたいけど自殺したいわけじゃないんです。でも、誰かがやっちゃったら、あ、自分もって引きずられる人もいるんですよ」

「それを管理人さんは止めたかったと」


 自殺サイトで心中相手を見つけて死ぬ、という事例が知られるようになったのは二十年ほど前のことだ。練炭自殺の手法が知られるようになったころ、とも言う。

 ネット心中ってまだ現役なんだな、と乗は暗い気持ちになった。

 いつも陰気な顔をしている親友の八尋やひろが、例えばこういう所でつながった相手と心中したらと思うと胸が痛む。


「棺桶オフは〝アオギリ会〟って名前で、あたしも一回だけ出てみたんですよ。んでも、やっぱ不気味で自分では入らなかったんですね」


 骨と皮ばかりの蓮本は、下手するとオシャレな死体を思わせる。その彼女が、棺桶に入るのを怖いと言うのは不思議な気がした。


「チャットのみんなは口が固いし。で、たまたまここの看板見つけたんですよ~」


 聞けば蓮本が見たのは、不動産屋の友人に安く掲げさせてもらっている看板だった。探偵業に広告は死活問題なのだ、その友人にお礼せねばなるまい。


「では、調査費用はこの程度になりますが……」


 こういう業務の例はないので、浮気調査などを基準に、日数単位でおおまかな見積もりを出す。まとまった額になったが、蓮本の意志は変わらない。

 訴訟や離婚を目標に据えた調査ならまだ分かるが、こんな酔狂な目的のために、馬鹿にならない金を払おうとする精神は、なかなか理解しがたいものだ。

 おかげで飯が食えるのだから、乗としては文句は言えないが。スケジュールにもちょうど空きがあり、師走にもまだ遠い。


「サバにはあたしから招待しときますね。よろしくお願いします!」


 乗が引き受けると、蓮本は満足そうな笑顔で帰っていった。アイシャドウが作る立体的な目元が、痩せすぎて落ちくぼんだ眼窩がんかをますます虚ろな穴のように見せる。

 ピンクの髪をした笑う髑髏どくろ、その印象が乗の胸にいやに残った。


 乗は努めて楽天的に生きるようにしているが、辛気くさい親友のように、それができない人間が多いことも知っている。

『眠りの森』の住人である蓮本は、いかなる心の傷を抱えてそこに入ったのだろう? 気にかかったが、乗にそれを知る権利はない。


 それは、彼が「将来への不安を多く抱えた、幸薄い自営業の若者」という牡丹煙草のペルソナを被って入りこんだ、『眠りの森』のメンバーに対しても同様だった。

 代わりに乗が感じたのは、管理人に対する怒りだ。


 生きづらい人々に憩いの場を提供し、信用を築き上げた所で弱みにつけ込み、食い物にする。膨大なログを洗う中で、こいつはその手合いだと乗は確信していた。


 タダより高い物はない。最初は無料でも、いつか管理人は棺桶を見ることに値段をつけ始めるだろう。マルチ商法でもお馴染みの手だ。

 あるいは洗脳。人間を狭い場所に長時間閉じこめ、追いつめることで脳内麻薬の爆発をうながす。はたまたもっと直接的に、一服盛るのかもしれない。


(詐欺師だって証拠が見つかり次第、ぶっちめてやんよ)


 蓮本の依頼とは別に、ロハで。

 そんな決意を胸に秘め、乗はしばらく当たりさわりのない雑談を交わしたり、住人の愚痴に耳を傾けながら、過去ログを追う日々を過ごした。


 ***

 1週間前 10月30日 20:00


〝眠りの森〟@R.I.P.Life1212

 アオギリ会の人数を締め切りました。今回は六名の方がお集まりくださり、子供っぽいですが遠足の前日のような気分ですね。

 どうぞ、新しい世界を体験してみてください。棺桶は外観を見るだけでも構いません。

 よい旅を。


 ***


 今日が待ちに待った、アオギリ会当日だ。


「では、〝牡丹煙草〟さまの番です」


〝眠りの森〟にうながされ、乗は立ち上がって棺桶の蓋に手をかけた。他の連中が入るのを見ていたが、とうとう自分が最後の一人だ。

 これまで入った五人は、例外なく大きなものに打ちのめされたように涙を流していた。「宇宙の真空に放り出されるようなもの」とこぼした者もいる。


 蝋燭の黄色い灯りに包まれて、棺桶は白っぽい巨大な繭のように見えた。


 まさか自分以外、全員がサクラということはあるまい。飲み物は各自が持参したペットボトルなどで済ませていたから、薬物の可能性もないだろう。

 事前に危惧したような長時間の監禁もない、みんな長くとも十分以内に出てきた。

 となると、棺の中に何が仕掛けがしてあるのではないか。ポケットの中でスマホの録音アプリは起動済みだ。もう入るしかない。


 乗は持ち上げた蓋をおろし、片足を棺桶の中に差し入れ


――がりっ――


いでっ!?」


 とっさに足を抜いた彼がバランスを崩さなかったのは、空手で鍛えた体幹があったからだ。尖った何かを踏んだとか、刺さったとかいう感触ではない。

 ぶつけたのとも違う、なまくらの刃物で無理やり切られるような、ごろっとした鈍い痛み。骨にじわりと響くその感じは、喧嘩慣れしている身には覚えがある。


 人間に噛みつかれた痛みだ。


 誰かが電灯を点け、空っぽの棺桶を照らし出す。何もいない、誰も入っていない。全員座布団に座っていたし、棺に出入りすればすぐ分かる。

 乗が痛む足から靴下を脱ぐと、くっきりと甲に人の歯形が残っていた。

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