第19話 甘味は楽しめる時に楽しむもの

アシマに連れてこられて、食堂で紅茶を淹れていたら突然肩に腕を乗せられた。僕はガクッと膝を崩したが、刹那の気合いで一滴たりとも溢すまいと紅茶は死守した。結果として、両膝を崩す様にくるりと回って床にへたり込んだ。改めて確認するまでもない。僕のお守りの対象ことイツキだ。

「なぁなんでアシマ連れてかねぇんだよ!」

「依頼のことか?そんなもん、危ないからに決まってるだろ」

乗艇してから、この程度のサプライズには動じなくなった。お茶の子さいさいといったもんだ。へたりこんだまま紅茶を一口決め、しっしっとイツキの腕を払いった。不満な様子だが、おそらくの先だっての人事についてだろう。

「あたしらが一味同心なの知ってるだろ、運命共同体なんよ寸歩不離なんよ、アシマがいない間にあたしになにかあったらどうすんだよおい」

 襟首を掴んでがくがくと首を揺さぶられる。立場や能力的にお前が彼女の心配をするべきだろう。

「だったら直談判してみりゃいいじゃないか」

 だがアシマを連れて行かないのは僕も賛成だった。さすがに非戦闘員を連れて戦地の只中を行進するのは得策とは思えない。それに万一彼女が怪我でも負ってみろ。イツキが怒りで狂人化するのはもちろんのことだが、僕も理性のタガが外れて予想外の行動に出てしまいそうだ。うちの大事な鍛治師に怪我を追わせる様な不貞な輩はそのツラをしっかり拝んでから、重火器をゼロ距離でぶっぱなしてやらねばなるまい。

「あたしがあの副長に押し問答で勝てるわけねぇだろお」

「だからって僕があの人を納得させられるわけでもないだろう」

案外自分を客観視出来てるじゃないか。普段から今の半分くらい冷静に物事を見定めて欲しい。とにかくここは心を鬼にしてでも大切な人を守ることを優先すべきだろう。たとえ相手がイツキだろうと僕はかの弁慶の様に立ちはだかり、いかなる嘆願も弾く所存だ。

 

「ボクからもお願い。武器や備品の整備は必要だよね」

 後方の声はアシマだった。下方右斜45度から見上げてくる彼女の眼差しは真剣で、その澄んだ翠色の瞳から跳ね返る光に晒されて僕は心の中の弁慶が脛から崩れ落ちるのを覚えた。そういえば弁慶といえば、何人たりとも通さんとか言っときながら若造に翻弄されてあっさり通しちゃう様な奴じゃないか。僕は人選の時点で敗北していたのだろうか。だがしかし地に足を踏みつけ居直った。

「今回ばかりは危ないかも知れないんだぞ。なにかあったら僕も自分の身を守るので精一杯だろうし」

 そんなぁ、とあからさまに項垂れる二人を見ると流石に胸が痛むが、諦めてもらう他ないだろう。

「せっかくいろんな火薬を試せると思ったのになぁ」

 どうやらうちの鍛治師は大層危険な遊戯を期待してたらしい。頷かなくてよかった。

「まあ機会があれば相談しに行くよ」

 僕は紅茶に乾燥した花弁をいくつかいれてから二人に出した。

「あ、比喩的にそして物理的にお茶を濁した」

「はいはい」

僕は砂糖を掴もうとして手を引っ込めた。お茶請けもないから紅茶だけでも甘くしようと思ったがやめよう。せっかく今日明日どうこうという話でもない。のんびり狩りをしながら護衛するだけだ。向かっている地域が物騒だという以外は、実際はいつもとそんなに変わらないはずだ。

 

 諦めないイツキを適当にあしらっていると、甲板長から声がかかった。

「暇なやつは甲板に来い。珍しいもんがみれるぞ」

促されるまま甲板に上がると、船首側デッキで何人かが集まっていた。男性艇員が数人がかりで網を引っ張り出して来ていた。イツキと船首デッキに向かい、手すりから艇下を見下ろした。

「なにが取れんだ?」

「卵だ」

 オーディは網の設置を指示しながら答えた。卵って、鳥がデッキに巣でも作ったのだろうか。上空ではたしかにあまり考えられないが、寄港している間に巣作りでもしたのだろうか。だとしても、そんなに珍しいものではないと思うけど。

「鳥の巣なんぞに網引っ張り出すか。空獣の卵だ」

 思考が顔に出ていたのだろうか、ジトーが捕捉した。

 言われてみれば空獣も生き物なのだから、なにかしらの方法で繁殖しているはずだ。いままで巣に遭遇したことがないので考えてもみなかった。どれどれ、とイツキの隣に立って見下ろしたが特にめぼしいものが見当たらない。

「巣みたいなものは見えねえなー」

 彼女にも見えないとなると、デッキの真下だろうか。

「もうかかってるぞ、今引き上げてる網の中見てみろ」

 甲板長が腕を伸ばして指差した先では、投網が大きく揺れている。末端は確かに大きく膨らんでいるが、中にあるものは空気にしか見えない。もしやと思った矢先に、イツキが声を上げた。

 「なんだあれ鏡か?あれが卵なら、殻が鏡面になってるのか?っていうか今網で獲ったってことは浮いてたんだよな?すげえなぁ」

 手すりに両手をつけてぴょんぴょんと飛び跳ねている姿を見るに、先ほどの人事についてはもうすっかり忘れた様子だった。

「そういうことだ。思ってたよりでけぇぞ。よし、お前らも網引くの手伝え」

 掛かった卵は想定外に重く、すぐに僕は巻き上げ用の治具を倉庫に取りに走ることになった。


 

 だが女子艇員を動員しても、網は上手く上がらなかった。

「なんで浮いてる卵がこんな重いんだ」

悪態を吐くような言い方で漏らした疑問にはジトーが答えた。

「卵自体が抵抗してんだよ、孵化する前からすでに空獣ってわけだ」

 そう言われてしまうと、生命を狩る行為をしていることを認識させられて少し胸が痛んだ。自然の摂理とはいえ、身を守ることしかできない生き物を僕らは多勢で一方的に捕獲しようとしているのだ。


 だが、僕の憂鬱はイツキの一言で消し飛んだ。

「なあなあ、あれ使って厨房でなんか卵菓子作ろうぜ。かすてらとか、ふらんとかよ」

 お菓子だと。

「作り方知ってるのか?」

 気がついたら僕は網から両手を離して、彼女の両肩を掴んで揺らしていた。故郷を出る前になんどか噂で聞いていただけだが、卵糖とも言うくらいに甘く、生地はふんわりと柔らかく、それでいてもったりとしないお菓子だそうだ。故郷でも都市部では中流階級以上では食べられているが、いかんせん北の田舎だったためについぞ出会うことはなかった。この艇に乗ってから方々の街で様々なお菓子を食べたが、一貫して濃厚すぎるというか、生地が重たくて過度に甘い。もっと手軽に食べやすいものはないものかと常々思っていたところに、意外な奴の意外な提案につい興奮してしまった。

「ああああ知ってるよ、そんなに好きなのか?わかった、作ってやるから、手をはなせよ顔が近ぇ」

 我に帰ると、視界がイツキでいっぱいだった。さすがに女の子に不用意にこんなに近づくのは紳士たり得ない行いである。僕の手を払って彼女は顔を背けた。そんな女子っぽい反応されたら僕の方が恥ずかしいじゃないか。普段狩りをしてる時には血濡れで微笑む癖に。なんて脳内でモノローグを展開していたら、甲板長に怒られた。

「何回目だそのネタ。ふたりともラブコメごっこはいいからさっさと網引け」

「へーい」

 僕らはしれっと目下の仕事に戻った。みんな恋に恋する年頃なうえ、娯楽も出会いも少ない空の上なのでこんな三文芝居がたまに繰り広げられる。実際には、共同生活が長すぎてお互い兄妹にしか見えないが。

 

 真面目に網を引き込もうとするも、どうにも踏ん張りが効かず難航した。

「これはあれだな、誰かに掛け声かけてもらった方が上手くまとまるはずだ」

 確かに、ばらばらに力むより一斉に引っぱるほうが上手く引き込めるはずだ。それには、見るに楽しく聞くに嬉しく、そして失礼ながら腕力的にそこまで期待しなくてもよい人物を立てるのが理想的だろう。僕はアシマを先頭に立たせ、彼女に掛け声を出してもらうことを提案した。決してアシマが先頭で音頭を取る姿を見たかったわけでは無い。隣で網を引っ張っているはずの戦乙女がやけににこやかな顔をこちらに向けて主張していた気もするが気のせいだろう。他に異論もなかったので、アシマは手すりに登って、どこから取り出したのか和装の扇子を広げた。彼女は少しの間もじもじとしていたが、覚悟を決めたように顔をあげて息を大きく吸い込んだ。

「あそーれどっこいせー」

 思いの外気の抜けた掛け声に腰砕けになった。しかし、うん、尊い。網を引っ張ってる場合では無い。頑張る彼女を応援する舞いを踊りたい。だが時と場合とオポテュニティは弁えなければなるまい。このピュアなパトスこそが今この時に力になるのだ。僕と、そして艇の男性諸君の気持ちが一つになったのを感じて力一杯引き込んだ。


 デッキにようやく引きずり上げた頃には、指がびりびりとしていた。推したい感情を力に変えて大きな仕事を成す。健全である。卵は変わらず暴れていたので、転がる卵に網をかけたままデッキに留めてようやく落ち着いた。

「擬態のために鏡面化してるのかな?」

 アシマがまじまじと殻を覗き込んで呟いた。

「夜に月明かりを反射させると逆に目立ちそうだしな、温度や湿度で変わるんだろうか」

 マイルズも寄ってきた。具体的な作用機序を僕らが理解することはないだろう。

「分厚いなー、これで何か作れるかな」

「丸く加工したらいろんな窓やレンズにもなりそうだね」

 アシマは、同じく物を弄るのが好きなマイルズと一緒にあれこれと話し込み始めた。それを横目に、僕は床に座り込んだ。すぐに、女子艇員らが話しかけてきた。

「残念だったな、あれはもう幼体ができてるからかすてらにはならなそうだぜ」

「せっかく手料理を作れそうだったのにね」

「手料理で胃袋を滅多切りにするのはお預けかぁ」

 項垂れた僕の頭の上でイツキとフラウレットがふざけている。先ほど垣間見えた感情の昂り様は影もない。女性とはうまく感情を切り替えるものだなぁと思った。そしてイツキの恐ろしく間違っている表現に突っ込む気にもならなかった。わかってた、わかってたさ。甲板に揚げる前から卵全体がわっさわっさ揺れてるんだもの。ほぼ孵化直前だろうことくらい想像がついたさ。でも、食べたことのない甘味に出会えるかもしれないと、一抹の希望を持ってたっていいじゃないか。艇の食材は勝手に使えないし、それこそデザートなんて献立に認められることの方が少ない。

 僕の情けない姿を見て、フラウレットは続けた。

「イツキ、なにか違うの作れないの?」

「しょうがねぇな。要するに和菓子食いてぇんだろ?何なら作れっかな」

 頭を掻きながら、イツキは言った。僕は顔を上げた。

「かすてらは無理っぽいけど、次停泊したら都のお菓子なんか作ってやるから元気出せよ」

 その時、僕は確かに、イツキに後光が射しているのを見た。実際には頭上の雲の隙間から陽が射したのだが。

 僕は彼女の手を取り、のべつ幕なしに感謝を意を述べた。まっすぐな厚意には真摯に向き合って礼を言うのが紳士の振る舞いである。

「うわ、きっもち悪いなぁ。ほらもういいから、さっさとこの空獣〆ようぜ。アシマ、この殻割るのは何使やいいんだ」

 僕を適当にあしらい、彼女はアシマに向かって手を差し出した。

「細刃の類いはだめだねぇ。もう、大槌で割るか、杭を打ち込んで鋸でも使うしかないんじゃないかな。それならここにあるよね」

 

 この場で簡単な解体処理をするとなると、それなりの準備がいる。お菓子イベントはひとまず置いておいて、倉庫から道具一式を持ち出さないと。

 階段に向かって歩き出した時にそれは起きた。背後から、イツキとジトーの大きな掛け声に続いて、打突と破砕音、続いて大きな破裂音が響いた。隣にいたアシマと共に急に体が浮いて、前にいたフラウとタチアナに強かにぶつかった。彼女たちも階下に戻るところだった。胸から息が押し出された感があった。甲板に体を打ち付けそうになったが、すんでのところで床の方が遠ざかったように見えた。そのままに宙に放り出され、身体が回って、飛空挺が見えた。デッキ上で、大槌を振り下ろしたままこちらを見ているジトーとイツキと目が合った。同時に、上空で駆けていく空獣とそれに引っ張られて旋回する艇の船首が見えた。多分、卵に杭を打ち込んだら、空獣が驚いて殻を破って飛び出したのだろう。僕らは、その際に振り回したであろう尻尾にでも飛ばされたのだと思う。空獣逃すとか痛ぇなぁ、ボーナスはまたお預けだなぁ、さっきの紅茶にやっぱり砂糖入れとくべきだったなぁ、お菓子も食べ損なったなぁなんて思いながら、手を伸ばして何かを叫ぶイツキを見た。刺す様に冷たい風の轟音で何も聞き取れない。瞬きよりも早くイツキが小さくなっていくのを僕は見ていた。

 


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飛空艇は何をや見やる @Minamie

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