第18話 交易艇員が求める平和は遠い

「そんなわけで、みんなもよろしく頼む」

 副長の説明を艇長が締め、僕らに出航準備を命じた。ベテランの艇員からはやれやれとため息が漏れたりもしたが、特に驚く様子もなくみんな持ち場に散って行った。

「あ、あれ、ちょっと」

 存外に薄い反応にターニャが戸惑ったのを見てフラウレットが声をかけた。

「この艇は身元不詳な人を、まるで捨て猫でも拾うみたいに受け入れちゃうから慣れてるの。さあ、こっちにきて。まずは制服から」

「ああ、あなたの侍女が居ないなと思ってたけど、奥で服飾をしていたのね。助かったわ、私の子は連れてこられなかったのよ」

「そんなのいるわけないでしょ」

 フラウレットはぐいとターニャの腕を掴んで奥に引っ込んでいった。僕は隣でいまだに豆鉄砲をくらった鳩のような顔をしている二人を突いて言った。

「ほら、もう行ったぞ。いいかげんその半開きの口を閉じろよ」

 ジトーとマイルズはターニャを見てなんのショックを受けたのかは知らないし僕が首を突っ込むところではないが、呆けたままでは仕事にならない。

「ふたりともどうしたんだ?」 

 甲板長まで覗き込みに来て、ようやくマイルズが正気に戻った様だった。

「オーディさん、俺らがこの艇に乗り込んだ時に逃げてたの、あの娘からっすよ」

「正確には彼女が指揮してた、彼女の父親の領軍から、だけどな」

 ジトーもようやくいつもの調子を取り戻して補足した。

 甲板長は、ははぁそうか、と一人納得し、ジトーの肩を叩いて言った。

「まぁとにかく、こうなっちまったなら仕方ないな。艇長が乗せたからにゃもう割り切るしかねぇ。おやっさんだってお前らのこと考えてないわけじゃない。問題ないと判断したってことだろ。地元に地元人送り返すだけだ、簡単な依頼さ。俺らみたいな零細は背に腹は替えられないしな」

 続いて僕にいくつか指示を出して、甲板長はいまだ釈然としていなさそうな二人を引っ張りデッキに出て行った。

 

 ジトーとマイルズが乗艇した時は、軍から脱走した直後で着の身着のままだったという話は何度か聞いたことがあった。ターニャはその頃に関わりがあったのだろう、おそらくはあまり良くない関係性で。だけどそんなことを邪推して楽しむのは趣味が悪いってものだ。僕はあまり考えないままにして、甲板長に指示されたお使いをこなしに食堂を出た。

 ところが、気が重くなりそうな話は、食堂を出ても続いた。ターニャとフラウレットだ。タチアナが憚らずいちいち大きな声で話すので、聞きたくもない会話が廊下にだだ漏れになっている。

「テューラ、亡命してるとはいえ侍従が兵士二人っていうのは流石にあまり格好がつかないわね」

「ここではフラウよ。誰かさんのお父様のおかげで逃げるので精一杯だったのよ。あなたこそなんでこんなことになってるの」

「二人でいる時くらいいいでしょ。お父様の命令で捜索隊を指揮していたのよ。あなたのための、ね。テューラを連れ戻すまで安心できないっていうところと、私の武勲にするのにちょうど良いと思ったのではないかしら。もちろん、私としては貴女を連れ戻すつもりもなかったし、ある程度経ったら適当に証拠をでっちあげようと思っていたのだけれど」

「それで、国境を越えて捕えられたってところね。まったくもう」

 フラウレットの大きなため息が聞こえた。僕はといえば、倉庫に入り損ねた結果、もう完全に聞き耳立ててるけしからん奴なんだけどどうしよう。二人が話し込んでるところに、今から割って入らなければならないのは大変心苦しい。ごほごほと咳払いをして薄い鉄の扉を開けると、二人は僕を一瞥してまた会話に戻った。よかった、モブとして認識された様だ。僕だって他人のいざこざに絡み取られるのはごめんだ。そそくさと荷物を持って出ようとしたら、なんとフラウレットに引き止められた。

「リックは一緒に行くんだから聞いていて。ターニャ、あなた艇長と副長にどんな提案をしたのよ。私たちが逃げ出した国にわざわざ戻りたくなるような報酬なんて、とても金銭だけとは思えないわ」

フラウレットの語気は強みを帯びていた。静かな迫力に、というか僕の肩を抑える力が強くて思わず着席してしまった。ターニャは不敵な笑みを浮かべて答えた。

「あら。そういうことなの?まあいいわ。送り届けてもらうのは貴女の領だったところよ。あれから、あそこの代行官は私になってるの。お父様は自領にいるから、私が戻ったと知らせが届くのに2週間はかかると思う。そして使者が戻ってくるのにまた2週間。その間に、ちょっと仕込もうかと思ってるの」

「ご想像にお任せするわ。私を自領に連れ帰って凱旋パレードでもするつもりならお断りよ。それとも、おとなしく領を私の家に返してくれるのかしら?それこそ、思想を掲げて亡くなったお父様やお兄様への侮辱だわ。到底受け入れられない」

 大事な会話と並行して妙な誤解が進行している気がするのは僕だけだろうか。

「誇りを保ってお家断絶なんて自己満足でしかないわ。貴族の誇りがあるなら泥を啜っても家名を守るべきよ。それにこの計画は貴女も私も得るものがある。この艇にだって損はさせない。艇長と副長はこの案に乗ったの。貴女さえ納得してくれればみんなハッピーじゃない」

 フラウレットは応えなかった。

「衝突を起こしたのは私たちじゃなくてお父様達よ。テューラも私も巻き込まれて、こんなに振り回されてしまったのは不幸だったと思っているわ。でもこうして二人とも生きているし、私もお父様に最高の形で仕返しができる。これも女神様のお導きね」

「人をなんだと思って・・・」

 フラウレットが言葉に詰まった。なんの話が進んでいるのかいまだに判然としないが、あまりに一方的かつ強引で聞くに耐えない。特に目配せがあったわけでもないが、フラウが僕を引き止めた理由がなんとなくわかった。確かに、僕だってこんなしたたかそうな相手に一対一で言い合いはしたくない。とりあえず、劣勢なようなので一旦仕切り直した方が良さそうだ。

「ターニャ、そこまででいいだろ。君はお互いに損のない提案をして、うちの艇長がそれを受け入れた。今はそれで十分だ。それ以上のことを聞かなくても良い。艇長が信用した君をひとまずは僕も信用する。でも、君がフラウを傷つけるような事をしたら、僕らは君を許さないと思っておいてくれ」

 こちらが無理やりにでも話を切らないといつまでも強引に話を続けられそうだ。僕はフラウレットの腕を引っ張って倉庫を出て、背後から聞こえる依頼人の声を遮る様に扉を閉じた。

「お互いによい取引になると良いわね」

 

 勢いで出たはいいものの、足の勢いを向ける先がわからない。とりあえず気持ちが落ち着く場所と思い、武器庫に向かった。うちの小さな鍛治師兼女神はいるだろうか。

 「ごめんなさいね、無様なところを見せたわ」

 腕を引っ張られたままのフラウがつぶやいた。

 「あいつ強引だな、あんなの相手なら仕方ないさ」

 「なにもきかないのね」

 「どうせ夢見が悪いような話だろ。それにここのメンツは互いの過去は散策しないのが暗黙の了解だ」

 「私が聞いて欲しいって言っても?」

 武器庫は空いている。中にアシマが見えたので、そのまま扉を潜ろうとした。

 「できれば聞きたくはないね。聞いた後にフラウへの見方が変わったりしたらお前も嫌だろ」

 「それって、あなたも自分の過去を知られたら周りからの評価が変わるのが怖いから、そうやって人のこと知ろうとするのを避けているのよね?」

 僕は足首程も高さのある扉の枠を跨いで中に数歩入ってから止まった。突然ずかずかとやってきた僕らの会話の内容と様子に、アシマは手を止め口を結んだ。

 自分の喉が張ったのがわかった。艇内はうるさいはずなのに、人の声だけやけに澄んで聞こえる気がする。座ろうとしていたはずなのに足が止まった。付き合いも長い彼女には流石に見抜かれていることは薄々感じてはいたものの、こうしてはっきり言葉にされるとやはり刺さる。

 「気にいらない奴が艇に乗り込んだからって、八つ当たりをするのはやめろよ」

 口を開いた時に奥歯を強く噛み締めていたことに気づいた。鈍い僕でも、本音と建前の区別くらいはつくつもりだ。言われたことは自分でもわかっていたことだし、それに今本当に辛いのはフラウのはずだ。これは彼女が自分の中の黒い感情を発散させるために、とりあえず別のなにかに怒りをぶつけているだけだ。彼女が憤りを発散させる相手として、たまたま居合わせた僕が選ばれたというだけだ。本心ではないことはわかっている。ここで僕がすべきは、彼女が落ち着くまで罵詈雑言を好きなだけ吐き出させてやることだ。そう自分に言い聞かせる言葉が高速で脳から自我に向けて吐き出された。だが次の彼女の言葉は意外なものだった。

 「怒らないのね」

 そりゃ当然だ。たったいま、自分に怒るなやり過ごせと命じたばかりだというのに。でも僕のおもいやりは空回りしていて、彼女は僕に怒って欲しかったのだろうか?疑問が口を突いて出た。

 「なにが言いたいんだ?」

 「なんでもないわ。ありがとう、もう落ち着いたから大丈夫。あの娘を放っておく訳にもいかないし、戻るわね」

 フラウはくるっと周りすぐ出て行った。僕は未だ困惑顔のアシマに一言断った。

 「あいつさっきから少しおかしいんだよ、ターニャを拾った後からさ。さっきのも何のことだったんだろう」

 イツキだけでも手に余るのに、これ以上面倒ごとは御免被りたい。僕は平和に世界を旅したいだけなんだ。でも、早くもあの二人の間を取り持つ必要が出てきてしまった事については不安を禁じ得ない。

 「何だったんだろうね、なんでもいいじゃない。ほら、早く食堂に行こう。びっくりしたら喉が渇いたよ」

 アシマはすぐさま立ち上がり、道具もそのままに僕の背中を押して武器庫の外に出た。特に反応を求めていたわけでもなかったが、予想より強めに背中を押されて足が少しもつれた。

 フラウは僕に怒って欲しかったのだろうか。空気が読めてスマートに修羅場を解決できるような紳士への道は遠いなあと思いながら、背中に感じる手が示すままに食堂に向かった。

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