卒業式

 卒業式を目前に控え、僕らは寮でも教室でも、夏休みのあのときとはまた違うざわめきの中にいた。夏休みやいままでのときのような、楽しく浮かれた――というものではなくって、しんと静まって、いつも誰かがぼんやりしているようなもので、でも言葉少なになっても、みんながみんな、同じことを考えているのが、なぜだか伝わってくるのだった。

 いつも通りの振りをして、その日がくるのを寂しいと思っている。僕だって、そのうちのひとりだ。

「まあ、別れるっつっても、その先で同じ学校の奴はいるわけだろう。三ツ星や二つ星はだいたい高等学校に入るんだろうし」

 ハマの言葉に、「そうだよね」と僕は短く返事をした。放課後の教室には橙の光が差し込んでいる。きんと寒い空気が室内を満たしていて、着込んだ制服のブレザーの袖を引っ張った。このブレザーも、何度も作り変えたもので、最後に作り替えた一年前にはまだそれなりにぶかぶかだったのに、気が付けば、丈が足りなくてちんちくりんだ。

 「ハマはどこの学校に入るんだっけ?」と僕が訊ねると、ハマは鼻から息をひとつ吐く。「俺は高等学校にはいかない。親父の店の手伝いしろって言われていてさ」

「家の手伝い?」

「そ。嫌になるよな」

 ハマは「ミヤギは良いよなあ」と付け足して笑った。僕は首を傾げる。「そう……?」と僕が返すと、「そうだよ。お前は良いよ」とハマは笑みを消し、真面目な顔で頷いた。

「そういえば、ハマのとこの仕事のこと、あんまりきかなかったね」

 僕の質問に、ハマは鼻の頭を掻く。「特別なものでもないしなあ。ただの食材屋だよ。外国のものを仕入れていて、ちょっと変わったのばっか置いてるようなやつ」

 「そのお店を手伝うの?」と僕が訊ねれば、「そう。だからこれからは、ほぼこの国にはいないんだよ、俺」とハマは目を細めた。ハマが欠伸したのを理由に、この話はそこでお終いになった。

 ハマはどことなく、あんまり家の話をしたそうでなく、そういえばハマって、家族の話はよく話してくれるけれど、家の商いのことを訊くと、いつもこんな感じだった気がする。

 訊いたことにはきっちり答えてくれるけれど、必要最低限だけ話したら、あとはハマの退屈そうな欠伸でお終い。

 僕の卒業後は、皆と同じように高等学校に進む。それも結構一流のところで、フロージーや教室のみんなとは別のところだ。

 学年内のほかの三ツ星たちも、僕と同等だけれど別の学校や、全く同じ高等学校に入ったりもするみたいだ。現に、僕が級友たちに、「二つ星では到底手が届かないところ」と言葉にしても、「そのためにミヤギはいままで頑張ったんだもんなあ」としか、皆も言わなかった。

 そうなのだ。僕が三ツ星を維持しようと頑張るためには、やっぱり目標が必要だった。父さんや母さんからの期待の先は、一流の高等学校に僕が入学することで、僕は見事、その期待に応えられたわけだった。

 だから、ハマも同じ学校に――とは、僕は思ってはいなかったし、でも彼があまりにも、どの学校に入るのか言わなかったから、僕は少々気を揉んでいたのだった。

 それでもやっと訊ねれば、ハマは学校には入らないという。

 ――それでも、別に良いんだ。良いんだけれど、どうしてこんなにもやもやするのだろう。ハマが自身で決めて選択したことなら、応援しないといけないのに……。

 寮の廊下で、クロ、セリカとばったり会う。クロたちも僕らもちょうど寮室に戻ろうとしたところだったらしく、ハマと僕が並んで歩いているところに、小さな二人も自然に並んだ。くだらない話をして、ハマとセリカが先に四人部屋に戻り、それを見送って僕らも二人部屋へ行く。

 僕たち四人は、まるで示し合わせたかのように、卒業の話をほとんどしなかったし、四人揃って歩いている間は特に卒業のその字もなかった。

 僕ら上級生組が言い出さないと、下級生組もなにも言わないのが約束のようになっていて、クロとセリカに、なんだか気を遣わせているなあと思ってしまう。

 あの二人が、卒業のことと合わせて……、自分たちの学年が上がるということすら、全く口に出さないから、なおさらあの二人にそんな遠慮をさせていることに罪悪感がある。本当だったら、自分の学年があがることって、不安もだけれど、それ以上にわくわくがあるものだと思うのだ。セリカはそういう風なタイプに思えるし、人見知りのクロだって、なにかしら自分のすぐ近くの未来に、思うところはあって然りだろう。

 自室に入って、「クロ」とクロの名を呼ぶ。でも僕はそれきりうまく言葉が発せなかった。やがて「なんだよ?」とクロが眉間に皺を寄せる。

 「ううん……」となにも言えずに、誤魔化すみたいな笑みを浮かべた僕に、クロはちょっと首を傾げる。「風呂、はいりにいこう、ミヤギ」

 彼は僕にそれだけの短い、返事にもなっていないような言葉を返し、いつもみたいな慌ただしい足取りで、着替えと石鹸、歯ブラシなんかの風呂の準備をしに寝室へと行ってしまった。

 風呂から上がってきて、クロと一緒に自室へと戻る。その途中で、廊下に置かれた唯一の電話でなにかを話し込んでいるハマと会った。ハマはこちらをちらりと見たけれど、なにも言わずにふいと顔を背けてしまう。それはつまり、友達が茶々を入れたらいけないような、なにか大事なことを話しているということ。

「あいつ、どうしたの? なんか変」

 鈍いはずのクロがぼそっと呟く。僕はその言葉でなんだかハマの様子が嫌に気になってしまい、部屋に戻ってベッドに潜っても、まったく眠気がやってきてくれなかった。

 ハマは、その次の日、朝早く外出していた。

 彼が戻ってきたのは夕方、授業がすっかり終わってしまった後で、ハマが帰ってきたのを捕まえて、僕は「ハマ、どうかしたの?」とつい訊ねてしまったのだった。

 ハマはそんな僕に、「ああ……」と、どういおうか迷っているような素振を見せて、「いや」と首を振り、にかっと笑った。「おふくろが倒れたんだと。でも、風邪をちょっとこじらせただけなんだそうだ」

「そうなの? 風邪、大丈夫かな?」

「大丈夫だと思うよ。そんな騒ぐことじゃないのにねえとか言って、笑ってたしな」

 「でも、ハマ、顔色が悪いよ」と言いそうになって、僕はその言葉をぐっと飲みこんだ。風邪だと説明されたのなら、風邪なんだと思うのが一番良いんだろう。釈然としないけれど、ハマがそれ以上踏み込んでほしくなさそうなのも手に取るようにわかってしまって、僕はそれ以上なにも言えなかった。

 ハマはそのあと、ぽつぽつと外出するようになった。卒業間近どころか、気が付けばもうすぐそこだというような時期に、外に出る数が増えれば、勿論みんなの噂にだってなる。でもハマは学校にいるときは本当に普通で、当たり前に笑って冗談を飛ばしているから、みんななにも聞けないようだった。

 卒業式の前日、ハマがまた学園に外出届を出し、教室から出て行ったあとに、教室内の仲間たちが集まって、こそこそ話をしていた。僕はそれに敢えて混じらずに、ぼうっと進みもしない本を開いている。

 「ハマ、どうしたんだろうな」「なんか、噂ではお母さんが倒れたんだってよ。あいつの家ってさ、結構忙しい商家で、だから働きすぎだったらしくて――」

 ぱたんと本を閉じて、僕は大きなため息を吐く。本音をいえば、僕もそういうことなのだろうかと思っていたのだけれど、「風邪をこじらせた」と僕に説明してから、ハマはそれきりお母さんのことも、家のこともしゃべらなかったのだ。そんな彼のいない間に噂話にのっている友人たちに、どうしても醒めてしまう。

 その日のあと、夕方、門限ぎりぎりに帰ってきたハマは、その足で僕の部屋にきて、扉をノックした。

 ハマがすごく真剣な顔だったから、僕は敢えて「おかえり」と笑った。「ミヤギ、ごめんな」と開口一番にハマが言って、僕は首を傾げた。

「俺、卒業式に出られないかもしれない」

 ハマが真剣な顔でいう。僕はきょとんとしてしまっていたけれど、ハマはお構いなしに続ける。「ちょっと、いま、家が大変でさ。おふくろが肺炎になっちまって、入院しているんだ。そんなときにでかい仕事が入ってさ……家の手伝いなんてしなくて良いって、父さんは言うんだけど、そうはいかないだろう。お偉いさんがくるって、店中走り回っているときにさ、おふくろの代わりができるの、俺しかいなくて」

 「だから……」とハマは目を逸らす。彼らしくなく弱り切った様子に、僕は目を瞬いた。「どうして謝るの?」とつい出た言葉は、ハマの気持ちは痛いほどにわかっても、どうして、彼がそういう彼らしい理由を言い訳のように言うのか、僕には本気で分からなかったからだった。

 ハマは顔を上げ、僕の目をまっすぐ見る。泣きそうな目のなかに、知らない大人みたいな表情が見えて、僕は我知らず一歩退きそうになった。

 でも、ハマが発した言葉は、「ほんと、なんで謝るんだろうな」だけで、それきりハマは無理やり一度口元を引きつらせて笑ってみせただけで、「おやすみ」と言って出て行った。

 ハマが出て行ったのと入れ替わりに、クロが部屋に戻ってきた。デイズの話をしながらどかどかと入ってきたクロが、僕の顔を見てぎょっとする。「ミヤギ? なに怒ってるの」

 クロの当たり前の疑問に、僕は短く答える。「べつに」

◇◇

 ハマがいなくても、やっぱり卒業式はつつがなく進む。卒業生代表の言葉を僕がいうことになってしまい、いつもなら何度やっても慣れないだとかなんとか考えてきりきり痛むお腹に、僕はなにかを煮えたぎらせていた。生徒代表だと名を呼ばれ、壇上に上がって、何事もなかったかのように頭を下げる。それからふと顔を上げて、目だけでぐるりと周囲を見渡し、そこにハマがいないという知っているはずの事実に、ますます腹が立った。――そう、僕はハマに、腹を立てているのだ。

 挨拶を終えて、壇上から降りる。まったく泣けそうもなかったのに、自分の席に戻ってほかの先生やお偉いさんの言葉をきいているうちに、涙が出た。でも、周りはそれを、「寂しいから」という理由で、自分たちと同じだと思っているらしかった。

「馬鹿だなあ」

 呟き、僕ははあと深く息を吐く。卒業式が終わって、みんながばらばらに散りつつ写真を撮っているとき、僕は自分の寮室の前に戻っていた。

 荷物をまとめてしまって、もう出て行ったあとの元自室は、当たり前に鍵がかかっている。最上級生の寮内に人はほぼおらず、しんとした一等室前の廊下には、いつものように外の光がたっぷり差し込んで、窓の外に学園の石城が聳えていた。

 クロも、セリカも、もう最上級生の寮室が並ぶこの階にはいない。ふたりとも二学年になるためにそれ用の部屋に移動しているだろうし、それは僕がこの部屋を出たのと同じ、今朝のことだったのだ。

 ――唐突に、僕は寂しくて仕方なくなる。

 ぼろぼろこぼれた涙は、「寂しい」だとか、「離れたくない」だとかの、みんなが流しているものと同じ涙だった。ハマの顔を思い出して、ますます大声で泣きたくなる。ハマは卒業式に出られなかった――ハマは卒業式に出られなかったのだ!

 でも、誰にこんな思いを吐き出したらいい? ハマはみんなの兄貴分みたいな存在で、卒業式前までいつも通りに学校にきていて……なのに、突然おばさんが倒れて……でもそれって、誰に当たることでも、僕が不貞腐れるようなことでもなくて……――いちばん悲しいはずのハマが、本当に寂しそうに頭を垂れて、僕に「ごめん」なんていう理由が、どこにあるっていうんだ!

「ミヤギ」

 名を呼ばれて、僕は驚いて顔をあげた。僕は泣き終わって疲れたまま、自分の寮室の扉に背をつけ座り込んでいたのだった。ハマ――それはまさしくハマだった――はこちらを見て、ちょっと首を傾げる。「卒業式、終わったんだな」

 彼が呟いた、みょうちくりんな問いかけに、僕は「うん」と、笑う気力もないまま頷く。彼は僕の傍に立って、「おふくろ、もう退院できるらしい」と呟いた。「でも、一週間後だってさ。そんなんじゃ、店にはどうしたって間に合わなかったから、まあよかったよ」

「なにがよかったの」

 僕が呟くと、ハマは僕を見たようだった。顔を上げてその表情を確かめることはできなかったけれど、僕は何故か、ハマが僕を見下ろしている気がしていた。

 「なにがよかったんだろうな」とハマがため息を吐く。「でもさ」とハマは静かに言った。「おふくろのこと、よかったねって、いつものお前なら言うんじゃないかと思ったんだよな」

 ハマの言葉に、僕はぐっとのどを詰まらせる。ハマは続けた。「俺、卒業したらさ、店を継ごうと思う。いや、前からそういうつもりだったけどさ、なんか……それも良いかなって、やっと思えたんだよな」

 「それはよかったね」だとか、「なにがあったの?」だとか、いつもの僕なら笑っていえる、訊ねられる言葉が、出てこない。「いつものお前なら」というハマの言葉は、そのままハマが僕に求めているものだったのだろう。……きっと僕の役目は、ハマに怒ることや、憤りにどうしようもなくなることなんかではなくて……「うん」と僕は、心を決めて頷いた。ハマとやっと、目を合わせる。ハマはいつも通り笑っていた。

「ハマ。卒業、おめでとう」

 僕は立ち上がり、手に持っていた卒業証書代わりのバッジを、ハマに手渡す。それはこの学園らしい卒業した証で、なにもかもをバッジで区別していたリデラ学園は、卒業生に渡すのも仰々しいそれよりこんなちっぽけな、でも一等品の、花弁を広げた花のバッジだった。

 ハマは「ありがとう」と笑ってそれを受け取り、まじまじと夕日に照らした。花弁の一枚が、光を反射して眩しく僕の目に入る。ハマはふと目を逸らし、僕のほうを向き直って、「ほら、立てよ」と声をかけた。

 僕はハマに手を伸ばす。ハマはその手を取って、「ま、そんなこともあるよなあ」と、よくわからない、言い訳じみた言葉を呟いた。

 「クロ、遅いね」と僕は腕時計を見る。「ミヤギ、ハマのお店ってどこ?」とセリカが、あの頃より低くなった声で訊ねた。何度見ても見慣れないなあ、と僕は、セリカの姿にこっそり苦笑する。

 セリカもクロも、十四になって、いまやもう立派な最上級生だ。外出許可をふたり揃って貰うのはちょっとだけ大変だったらしく、クロが来るまでの暇な時間を、セリカと僕はその話で盛り上がった。

 僕は二十を過ぎる年になっていて、高等学校をつつがなく卒業し、父さんの会社に入った。それなりに経験を詰んだら、ゆくゆくは――と父さんが嬉しそうに話す横顔を見ながら、僕はずっとリデラ学園での日々を考えていた。クロはどうしているだろうとか、セリカはやっぱりいまもふわふわしているのかなとか、ということを。

 ハマと僕は、もちろんちょこちょこ時間を見つけて会っていたけれど、それもあまり多くはなく、それもそのはず、ハマはあれから家を継いで忙しく飛び回っているらしいのだ。今日はやっとこの四人を捕まえられた記念日でもあって、それなのにクロが待ち合わせ場所にやってこない。

 「ミヤギ?」と、知らない声が僕を呼ぶ。僕はその声のほうを見て、まず首を傾げた。「えっと――」とセリカを見ると、セリカはなぜか笑いを堪えている。「ミヤギ、クロワードだよ、それ」

 セリカがこっそり僕に耳打ちする。クロだって? と僕は戸惑っているのを隠しもせず、じろじろと彼を見た。高くなった背丈に、あの天使のような顔は憎たらしさを倍増させている。それというのも、あのベルの従弟であっただけあって、クロは――すごく中性的な美少年になっていたのだ!

 刈り上げた黒髪と、そのきりっとした眉は男性的なのに、分厚い唇と黒目がちの瞳が女性的というか、艶やかというのか……「モデルかなにか、しているの? クロ」と僕がつい変な質問をすると、クロは嫌そうに眉をしかめた。あ、この顔はクロだ!

「俺がモデルなんてするわけないだろ。俺は軍人になるんだって、昔からずっと言って……いたかな……」

 最初の自信満々さが嘘のように、語尾につれ声を落として、クロはセリカに訊ねるように言葉を切る。セリカは「うん?」と小首を傾げて、「言っていたかもね」ととりあえずのようなフォローをしていた。

 「でも、ミヤギだって、モデルやってる? って訊きたくなるよ」とセリカが僕を見たから、僕は苦笑した。「僕はああいう華やかなのに向いてなくて」

 そんな僕らに、クロは鼻から息をひとつ吐き、「よく言うよ。ハンサム次期社長、だとかハーレクインから出てきた美男子、だなんて雑誌に書かれているくせに」

 クロの言葉に、僕は、「あれ? どうして知っているの」

 訊ねると、クロは「ベルが持ってたんだよ。その手の雑誌、あいつ大好きでさ」

 「大好きっていうか、ベルはだって、女優でしょう」とセリカがクロに言うと、クロは嫌味たっぷりにセリカに返す。「セリカは、女を見る目だけはすごいんだよな。あのお転婆だったベルが、本当にいまや人気者なんだから」

 「クロ、レディに対してそういうのは……」と僕が注意すると、「ミヤギは、あいつが猫を被っている姿しか知らないからだよ」とクロはにんまり笑った。「ほらほら、そろそろハマのところにいかない?」とそんな僕らを見かねたセリカが声をかける。

◇◇

 僕は背が伸びて、声も低くなり、肩幅も広くなって、それなりの見目になった。そんな僕と同じく、ハマもだいぶ背が伸び、恰幅がよくなっている。ハマのそんな話をしていると、クロとセリカはハマの外見を思い思いに想像して笑っていた。一体どんな想像をしたのかは、あまりきかないようにしておこう。

 ハマの店に着き、僕が先頭を切って店内に入る。「ハマはどこ?」と僕が小声で店主に訊ねると、「こちらですよ」と僕を見知っている彼はすばやく僕らを連れて行ってくれた。

「ハマ、ちびたち、連れてきたよ。可愛さがなくなってる」

 僕がそう言いながら気軽に、奥の社長室に入れば、クロがいつか言っていた言葉を引用すると――「のっぽ」のハマが、「お?」と立派な社長椅子を回してこちらを向いた。「そちらさんは?」とふざけたハマが、僕の後ろの二人を見て訊ねる。

 セリカのほうはハマの冗句に、「僕はただの知り合い。こっちは女優のベル=リーツ」と自分とクロを差して笑った。「誰がベルだよ」とクロが言ったところで、ハマが大声で笑った。「ベルにはちょっと無理があるなあ」

「クロワード、セリカ、しっかり大人になったな。いや、まだガキだけどさ、十四か……あの頃は七にもなってなかったのに」

 ハマがしみじみそういうと、セリカが「そう?」と嬉しそうに目を細めた横で、クロが照れたようにそっぽを向いた。それからクロのほうから、小さくハマに訊ねる。「俺たちのなかで、一番出世したよな、ハマ」

「七も下から言われてもな。まあ、ありがとう」

「七年後には、俺も立派な軍人だからな。ちゃんと父さんの借りは返す」

 「父さんの借りってなあ、俺もそのライバルの話はかなり最近に訊いたし……」とハマが呟く。クロとハマが言っているのは、互いのお父さん同士が好敵手だったとかいう、僕も随分前にきいたきりのあの話のことだろう。

「さ、今日は食事にいくんだろう? 勿論俺とミヤギが奢るから、遠慮せず食えよ、セリカ、クロワード」

「え、待って、僕も奢るうちに入っているの」

 「大会社の次期社長がなにを言っているんだよ」とハマが細い目をますます細める。クロとセリカが大声で笑ったのを皮切りに、僕とハマも心の底から笑った。

◇◇

 ――卒業生代表、ミヤギ=ポートマン。

 ――皆さん、卒業、おめでとうございます。そして先生方、僕たちの面倒を、九年間も見てくださり、本当にありがとうございました。

 ――僕は、この学園で過ごした九年という長くも短い日々を、きっと一生忘れません。

 ――その中でも、やはり一番印象に残っているのは、自分で誰かの面倒を見ることになった、最後の一年間でした。

 ――僕が担当した彼から、学ぶことも沢山あって、僕の未熟さだって、思っているより沢山、僕にはあるのだと知った、そんな一年間でした……


「クロ、僕は君を、ちゃんとした紳士にできたかな?」

 リデラ学園の、卒業式前夜の夢を、久方ぶりに見た。そこでクロは、あの夜そのままに、生真面目な顔をして座っている。クロは言った。「ちゃんとした紳士って、なにかわからないけど」

「俺は、ミヤギが俺の面倒を見てくれることになって、よかったとおもうよ。だって、すげえたのしかった」

 クロはそういって、にんまり白い歯を見せる。「親睦の証はさ、ミヤギ」

 「ああ……あの軍人さんのバッジの話は、もう」と苦笑した僕に首を振り、クロが言い募る。「そうじゃなくて」

「親睦の証ってさ、きっとこれなんだよな。あの証もだけど、俺たちにとってのしんぼくって、きっとこれなんだ」

 クロは、そう言って壁にかけた自身の制服を取り、その襟元に並ぶ三つの星を引っ張る。

 ――三つ並んだ一等星。

 「そうだね」と言って笑えばよかったのに、僕は胸が詰まってなにも言えなかった。でも、襟に輝く三つの星は、いつまでも見ていたい、いつまでも僕の襟元についていてほしいと、そのとき本当に、本気で思った。

 叶うはずのない願い。もう明日には消える願いだ。それでも、その瞬間、その三つ子の星が電飾に煌めいて、「大丈夫。叶うよ」と僕にそっと告げたような気がしたのだった。

(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕らのスピカ ひなた @aohi31

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ