6-14 祈りの燈



 玉兎ぎょくとで起こった一連の出来事は、最悪の結末で幕を閉じた。そのすべてを聞いた無明むみょうは、自分の無力さに悔やむことしかできなかった。


 あの時こうしていたら、もっと違う結果になったのではないか。そればかりが頭の中を駆け巡る。結果的に、蘭明らんめいは命を落とし、攫われた少女たちは救えず、その親族まで烏哭うこくに命を奪われた。


 一方で疫病は都から消え失せ、市井しせいは賑わいを取り戻していた。姮娥こうがの邸は修繕中で、宗主や朎明りょうめいたちは別邸に移り、後始末に追われているようだ。


 白笶びゃくやが目覚めてから半月ほど経っていた。玉兎ぎょくとがこんな状態で次の地へ離れるわけにもいかず、姮娥こうがの宗主たちの手助けをしつつ、無明むみょうたちは宿に身を置いていたのだ。


 そんな中、椿明ちゅんめいがひとり、夕刻前に竜虎りゅうこを訪ねてきたので、何か問題でも起きたのかと心配になったが、どうやら違ったようだ。


玉兎ぎょくとで犠牲になったひとたちや、邪気払い、弔いの意味を込めて、みんなで天燈てんとうを飛ばして祈ろうと思うの。二度と、こんな悲しいことが起こらないように······、」


「良いと思う。俺たちも手伝うよ」


 本当!? と椿明ちゅんめいは明るい声で嬉しそうに声を上げる。思ったよりも大きな声になってしまい、慌てて口を閉じた。この場にはふたりしかおらず、無明むみょう白笶びゃくやは昼過ぎに市井しせいの様子を見に出たっきり帰って来ていない。


 清婉せいえんは宿の女将さんの手伝いをしており、賑わってきた食事処で配膳などに追われている。


「どうしてひとりでこんな所に?」


 紺青色の上衣下裳に藍色の広袖の羽織を纏い、椿の耳飾りをしている椿明ちゅんめいは、紛れもなく姮娥こうがの宗主の末の娘だ。どんなに腕が立つといってもまだ十二歳。護衛も付けずにひとりで出歩くのはどうなのか。竜虎りゅうこはここに来ている事を、宗主たちが知っているのか心配になる。


「それは······ええっと、実は、竜虎りゅうこ殿にお願いがあって、」


天燈てんとうのことじゃなくて?」


 そうなの! とまた椿明ちゅんめいは大きな声で大きな瞳で竜虎りゅうこを真っすぐに見つめ、肩に力を入れる。無理して大人しくしなくてもいいのにな、と竜虎りゅうこは困った顔で愛想笑いを浮かべる。


「俺にも君と同じ歳の妹がいるんだ。璃琳りりんというんだが、あいつはいつも騒々しく、霊力もないのに妖退治をする俺たちについて回るようなお転婆娘なんだ。聞き分けの良い大人しい子も素敵だと思うけど、君くらいの歳の女の子は元気で明るい方が可愛いらしいと思うよ」


 言って、竜虎りゅうこが笑うと、椿明ちゅんめいの顔がみるみる真っ赤になっていった。


「わ、私! 頑張りますっ」


「え、ああ、うん? で、お願いってなに?」


「あ、そうだった! はい、実は、」


 椿明ちゅんめいはその「お願い」を竜虎りゅうこに伝え、任務完了と言わんばかりにすくっと立ち上がり、丁寧にゆうし、またね! と元気に声を上げて出て行った。


 竜虎りゅうこは嵐でも去ったかのように静まった部屋の中で、ひとり故郷へ思いを馳せていた。



****



 数日後。


 都の至る所で天燈てんとうに橙色の火が灯される。竹で底部を形作り、その上に紙袋を被せただけの簡易的なものだが、そこに各々の願いを書き込み、天に飛ばすのだ。

 一時的に都の灯りを消し、代わりにその天燈てんとうが次々に舞い上がる。


 玉兎ぎょくとの暗い闇夜を照らす無数の穏やかな燈に、無明むみょうは笑みを浮かべていた。


「綺麗だね。俺、こんなの見たことないよ」


 ゆっくりと宙に浮いていく、この地の人の数だけある祈りの燈たちに、目を奪われる。他の灯りがまったくないため、余計に美しく闇夜を照らしているのだろう。


「みんなの願いが、祈りが、届くと良いね」


 無明むみょう白笶びゃくやはふたり、宿の屋根の上からその光景を眺めていた。


「君のも、飛ばすといい」


 まだ手の中にある天燈てんとうの仄かな灯りを見つめ、白笶びゃくやが言う。どんどん増えていく橙色の燈は、この空を覆ってしまいそうだ。


「なんだか、怖くて、」


「怖い、とは?」


 祈りを込めて書いた文字を指でなぞって、無明むみょうはへへっと困ったように笑った。白笶びゃくやは不思議そうに首を傾げる。


「俺なんかの祈りが、天に届くかもって思ったら、なんだか、さ」


 下ろしたままの少し癖のある髪の毛の先は、屋根の上に付きそうで付かない。いつものように頭の天辺でひとつに括らず、左右ひと房ずつ括られた髪の毛を、後ろで軽く赤い髪紐で結っている。


 黒い羽織には左右の袖の下の部分にだけ、銀色の糸で描かれた小さな胡蝶が二匹と、山吹の花枝の模様が入れられていて、中に纏う赤い上衣が映える。


 膝を抱えるように座り、手の中の天燈てんとうを眺めている無明むみょうの顔が、ほんのりと色付いていた。


「君の祈りも願いも、天ではなく私が叶えるから心配は無用だ」


「······そっか、そうだったね」


 真面目な顔でそんなことを言う白笶びゃくやに、くすくすと無明むみょうは音を立てて笑う。本当に、君ってひとは、と心の中で呟く。


(怖いものなんて、なにもない······君が傍にいてくれるから、)


 無明むみょう天燈てんとうを天へと掲げ、そのまま手を離した。ゆっくりとゆっくりと昇っていく。その願いは、祈りは、自分ではない誰かのためのもの。

 そ、とすぐ右隣にいる白笶びゃくやに凭れ、その光景を見上げる。


白笶びゃくや、こんな俺の傍にいてくれて、ありがとう」


「君が望まなくても······そうしていた」


 頬に触れて。確かめるように、その翡翠の瞳を見つめる。


 祈りの燈の下で、何度でも誓う。

 何度生まれ変わっても、必ず君を見つける。

 君の傍にいる。


 君の隣が、いい。 


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