5-30 断罪



 白虎の陣を展開し陰の気を静め、倒れている民たちの無事を確認した後、白笶びゃくや少陰しょういんに託した無明むみょうは、姮娥こうがの邸に行くと言い出した。


 もちろん予想していなかったわけでもなく、寧ろそうなるだろうことは解っていたわけだが、逢魔おうまは心配でしかなかった。


 無明むみょうの左手を自分の右手の上にのせて、壊れ物にでも触れるように軽く握る。


 気を抜いたら倒れてもおかしくない。それでもいつもの笑顔で傍らに立つそのひとは、事情を知らない者が見れば本当にいつもの無明むみょうだろう。立っているのさえやっとだというのに。


 今の状況は良くない。少女たちの怨霊が幽鬼となって、つぎはぎの人形に取り憑いていた。


(邪曲の影響かな?)


 だったら自分が始末するか。


 逢魔おうまは冷たい視線を幽鬼に向ける。首を掴まれ吊り上げられていた姮娥こうがの娘は解放されたが、邪気は増すばかりだった。


(でも、まあ、別に、)


 どうでもいい。

 暗い影を落としかけた逢魔おうまに、無明むみょうは何かを察して首を振った。


「幽鬼になってしまったら、もう、その魂は救えないというけど、」


「うん、そうだね。あの子たちは、もう」


 言いかけて、逢魔おうまは目を瞠った。


「それでも、救いたいって言ったら?」


「その身体で、まだ霊力を使うつもりなの? いくらあなたでも、白虎の陣を展開したばかりで、それ以上無理をしたら、」


 離れた左手を掴み損ねて、逢魔おうまは右手を握り締めていた。それでも、救いたいという無明むみょうの強い瞳に、自分を恥じる。


(俺は神子みこ師父しふ以外のことなんて、正直どうでもいい。でも、あなたが守りたいモノは、俺も守るよ、)


 その小さな背中を見守り、美しい笛の旋律に耳を傾ける。すべてを浄化するようなその音色は、この場に溜まった陰鬱な気をすべて祓うように、どこまでも優しく澄んだ水の波紋のようだった。


 本来、怨霊になり幽鬼にまで堕ちたモノは、祓ったところでその魂は救えない。消滅するだけ。けれども、最期くらいは良い夢を見てもいいはずだ。


 少女たちは望んでそうなったわけではなく、不運が重なり、歯車が狂ってしまっただけ。


『····あたたか、い······これで、帰れる········かえ、る······』


 幽鬼は笑みを浮かべ、嬉しそうにそう言った。借り物の人形の身体はぼろぼろと崩れ出し、光に包まれて消えて逝った。


 笛の音が止む頃には光も失せ、無明むみょうはゆっくりと口から横笛を離した。


「ごめんなさい。本当は、もう、」


無明むみょう、」


 気付けば竜虎りゅうこが支えるように肩を抱き、隣に立っていた。ふらついていたのがバレていたのだろう。目を伏せて身を任せ、そのまま意識を手放した。


「大丈夫だ。きっと、届いてた」


 少女たちの魂は消滅した。二度と生まれ変わることも叶わない。だからせめて、夢を見せてあげたいと思った。この暗闇から解放されて、自分たちの家に帰る夢を。希望を。光を。


「あなたは可哀相なひとだ。でも、自分を終わらせる勇気があるなら、過ちを認めて罪を償うのが道理なんじゃないか? 姮娥こうがの一族としてこの地を、民を守る立場のあなたがしたことは、勝手に終わらせて赦されることじゃないだろう」


 他人である竜虎りゅうこだからこそ言える言葉だった。終わらせるにしても、それを決めるのも手を下すのも、蘭明らんめいではない。

 座り込んで俯いたままの少女は、無言のまま静寂を保っていた。


蘭明らんめい、」


 その均衡を破るように、蘭明らんめいは声の主の方へ顔を向けた。そこにはやつれた様子の宗主がいた。


 自分を殺すようにと、まだ幼い椿明ちゅんめいに命じた母の考えは解っている。

 朎明りょうめいに命じなかったその理由も。


「母上、どうして椿明ちゅんめいに命じたのですか? 朎明りょうめいに命じれば、確実にわたくしを殺せたというのに、」


 わざと、問う。知っている。

 本当は、解っているのに。


 朎明りょうめいは命令を絶対とし、間違いなくこの胸を貫いていた事だろう。それがたとえ本人の意思ではなくとも。けれども、まだ自分の感情を制御できない幼い椿明ちゅんめいに、それができるわけがない。


あなた・・・を、救いたかったからよ」


「······そう、ですか」


 仕損じることは解っていて、しかしそれで救える可能性を残して。


 薊明けいめい蘭明らんめいの前で足を止め、そのままゆっくりと床に座り込むと、そっと両腕で包み込むように抱きしめた。


「あなたにはたくさん我慢をさせてきた。でもそれは、あなたが疎ましかったわけではない。あなたには、普通の幸せを手に入れて欲しかっただけ。今回の事は、言葉で伝えることをしなかった私の罪。共に罰を受けましょう」


 蘭明らんめいの頬に一筋の涙が零れ落ちる。あたたかい。こんな風に抱きしめられた記憶など、もうとっくに忘れてしまった。


「ごめん、なさい······っ」


 謝って赦されることではない。それでも。


「母上····私、は······」


蘭明らんめい?」


 薊明けいめいは様子のおかしい娘の身体を放し、驚愕する。蘭明らんめいの瞳にはすでに光がなく、涙だけがその反動でもう一筋流れた。


「姉様っ!?」


 抱き合うふたりに安堵し、喜びの涙を浮かべていた椿明ちゅんめいの表情が一変する。母の腕の中でぐったりとしている蘭明らんめいに、朎明りょうめいは慌てて駆け寄った。


「姉上······そんな、どうしてっ」


 息をしていない蘭明らんめいをよく見てみれば、首の辺りに赤い染みができていた。それは細い、糸でも通したかのような小さな傷だった。


 逢魔おうまは眼を細め、その様子を見ている。竜虎りゅうこは気を失っている無明むみょうの肩を抱きかかえたまま、どうすることもできなかった。


(あれは、あの時の、)


 紅鏡こうきょう晦冥かいめいの境目で見た、鬼面の青年が放った琴糸のような武器を思い出す。


 しかし一体どこから? 何の気配もしなかった。だが、今更それを解明した所で意味はないだろう。


金虎きんこの少年、そのひとのことをお願いね? あと、君の師匠は白帝はくてい堂にいるから、後で迎えに行ってくれる?」


「は? え? は、はい」


 突然話しかけられたかと思えば、もう姿はなく、竜虎りゅうこは目を丸くしたまま壊れた扉の先を見つめる。


(なんで渓谷の妖鬼が、無明むみょうや師匠と一緒にいるんだ?)


 しかし今はそんなことよりも、目の前の出来事に囚われて、何も考えられない。

 まさか、こんな結末になるなんて。


 竜虎りゅうこ無明むみょうが目を覚ました時にどんな顔をするのか、それだけが心配で仕方がなかった。



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